コンテンツにスキップ

嘉熙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

嘉熙(かき)は、中国南宋理宗の治世に使用された元号。1237年 - 1240年。

西暦・干支との対照表

[編集]
嘉熙 元年 2年 3年 4年
西暦 1237年 1238年 1239年 1240年
干支 丁酉 戊戌 己亥 庚子

出来事

[編集]
  • 端平3年
  • 嘉熙元年
    • 5月22日臨安にて大火が発生。
    • 10月:黄州を襲ったモンゴル軍が撃退される。
  • 嘉熙2年
    • 2月:モンゴルが歳幣の提供を条件付きで南宋に和議を求める。
    • 3月2日:通好使をモンゴルに派遣する。
    • 9月:モンゴル軍が淮南に侵入したが、宋軍の反撃により敗退する。
  • 嘉熙3年
    • 正月2日史嵩之右丞相枢密使となる。
    • 3月:宋軍が襄陽を奪還したが、守備上の難しさから再び放棄する。
    • 8月:モンゴル軍が四川に侵入して劫略する。
    • 12月:孟珙長江中流域にわたってモンゴルの攻勢を阻止させる。
  • 嘉熙4年
    • 正月15日:星変により理宗の「罪己詔」が下る。
    • 2月:モンゴル軍が四川から退却する。
    • 7月:南宋とモンゴルの和議交渉が決裂する。
    • 10月3日:翌年より「淳祐」へ踰年改元の詔が下る。

他の王朝

[編集]

関連項目

[編集]


前の元号
端平
中国の元号
南宋
次の元号
淳祐