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大分県央飛行場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大分県央飛行場
大分県央飛行場ターミナル 地図
IATA: N/A - ICAO: N/A
概要
国・地域 日本の旗 日本
所在地 大分県豊後大野市
種類 商業
運営者 大分県
運用時間 9:00 - 16:30
開設 1992年(平成4年)4月
標高 235 m (771 ft)
座標 北緯33度01分34秒 東経131度30分20秒 / 北緯33.02611度 東経131.50556度 / 33.02611; 131.50556座標: 北緯33度01分34秒 東経131度30分20秒 / 北緯33.02611度 東経131.50556度 / 33.02611; 131.50556
地図
大分県央飛行場の位置
大分県央飛行場の位置
大分県央飛行場
大分県央飛行場の位置
大分県央飛行場の位置
大分県央飛行場
大分県央飛行場の位置
滑走路
方向 ILS 長さ×幅 (m) 表面
11/29 NO 800×25 舗装
リスト
空港の一覧
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大分県央飛行場の空中写真(2008年撮影)国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

大分県央飛行場(おおいたけんおうひこうじょう)は、大分県豊後大野市大野町田代にある飛行場大分県央空港(おおいたけんおうくうこう)とも呼ばれる。

概要

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1988年に始まった農林水産省農道離着陸場整備事業(通称:農道空港)のひとつとして建設され、1992年豊肥地区農道着離陸場(空港種別では場外離着陸場)として開場[1]。1997年1月14日にに人員輸送も可能な「その他の飛行場」に格上げされ、同年8月に現在の名称に変更され、同月19日から空港として開港した[1]

京浜地区への高付加価値の農作物の供給、及び、それによる農業の振興・地域の活性化が目的とされた。京浜地区まで直接飛行できる航続距離の飛行機は離着陸できないため、農産物は近隣の大分空港を経由して羽田空港まで運ばれていた。現在は採算面で当初の目的で利用されることはない。

旅客輸送に関しては、1997年8月19日より、九州航空(本社:大分市)が大分空港との間に定期便(使用機材・セスナ172 スカイホーク)を運航していたが[注釈 1]、数年で廃止され現在は定期便がない[1]。大分空港や福岡空港鹿児島空港など近隣の空港への貸切飛行や遊覧飛行が主である。同社は、敷地内に運行管理事務所を設けている。

また、大分県防災ヘリ「とよかぜ」(川崎BK117C-1)の運航基地となっているほか、日本文理大学航空宇宙工学科が空港に隣接する敷地に県央空港エクステンション・キャンパスを設置し、エンジン運転や整備実習を実施している。(空港とは高低差があり、滑走路やエプロンとは繋がっていない)

2004年2月には「県央フライングクラブ」が設立され、運航会社である九州航空所有の機体を使用しレジャー飛行及び訓練飛行などを行っている。2014年6月22日より「大分フライングクラブ」に名称を変更した。

施設

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  • エプロン:コミューター用3バース、防災ヘリ用1バース、小型機用6バース
  • 航空管制:大分県央フライトサービス 130.8MHz
  • ターミナル施設:格納庫290m2、旅客ターミナルビル

空港へのアクセス

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バス

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ギャラリー

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事故

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  • 1999年3月24日 - セスナ 172M(JA3701)が大分県鎧ヶ岳の西北西の斜面に衝突。機長1人死亡[2][3]

注釈

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  1. ^ 旅客業務は『JAぶんご大野』が行った。乗客は3人までとし、大分空港から約27分で運航。定期便は毎週金曜日に運航され、行きは特産のカボスや小ネギ等の農産物を積み、帰り便で乗客を乗せた。金曜日以外に月に15回程度あった運航日は予約方式で乗客を乗せた。当時の運賃は周辺市町村の援助もあり片道5000円。年間利用客を800人前後と見積もっていた。(アマゾンニュースダイジェストアーカイブ102号(1997年))

脚注

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  1. ^ a b c 『空港をゆく』イカロス出版〈イカロスMOOK〉、2013年。ISBN 978-4863207912 
  2. ^ 報告書”. 運輸安全委員会. 2021年6月27日閲覧。
  3. ^ 航空事故調査報告書 (PDF)

外部リンク

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