安藤信馨
表示
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
---|---|
生誕 | 明和5年10月27日(1768年12月5日) |
死没 | 文化9年10月22日(1812年11月25日) |
改名 | 勝蔵(幼名)、信馨 |
別名 | 林又三郎(通称)、重馨 |
戒名 | 慈光院殿正円魏山口宗大居士 |
墓所 | 東京都杉並区永福の栖岸院 |
官位 | 従五位下、従四位下伊勢守、長門守、対馬守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 陸奥磐城平藩主 |
氏族 | 安藤氏 |
父母 | 父:安藤信成、母:不詳 |
兄弟 | 信厚、信馨、信邦 |
妻 |
正室:久世広誉の娘 継室:内藤信凭の娘 |
子 |
信発、信由ら 養子:信義 養女(安藤信厚娘、久留島通嘉正室) |
安藤 信馨(あんどう のぶきよ)は、江戸時代後期の大名。諱は重馨(しげきよ)とも。陸奥国磐城平藩2代藩主。官位は従四位下・伊勢守、長門守、対馬守。安藤家第7代。
生涯
[編集]明和5年(1768年)10月27日、安藤信成の次男として誕生。兄・信厚が廃嫡されたため、世子となる。文化7年(1810年)の父の死去で家督を継いだ。しかしほどなく、文化9年(1812年)10月22日に死去した。享年45。
長男の信発が早世し、五男の信由も当時まだ幼少だったため、兄・信厚の長男の信義を養子として跡を継がせた。
系譜
[編集]父母
- 安藤信成(父)
正室、継室
子女
養子、養女