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小松憲太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小松 憲太
名前
愛称 ケンタ
カタカナ コマツ ケンタ
ラテン文字 KOMATSU Kenta
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1988-01-19) 1988年1月19日(36歳)
出身地 長野県塩尻市
身長 172cm
体重 69kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
2003-2005 日本の旗 武蔵工業大学第二高校
2006-2009 日本の旗 東海学園大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2010-2014 日本の旗 松本山雅FC 45 (1)
2014 タイ王国の旗 アユタヤFC
通算 45 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

小松 憲太(こまつ けんた、1988年1月19日 - )は、長野県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは、MF

来歴

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武蔵工業大学第二高等学校(現:東京都市大学塩尻高等学校)から東海学園大学を経て、2010年松本山雅FCへ加入。 大学時代は大学がサッカー部の強化に乗り出した時期と重なったため、1年生から主将を務めた。2014年7月、タイ・ディヴィジョン1リーグ(タイ2部相当)のアユタヤFCへ移籍[1]

2015年2月、現役を引退し、松本山雅FCユースアカデミーのスクールスタッフに就任すると発表された[2]

2017年4月から、母校の東京都市大塩尻高等学校で体育科の教員を務めている傍らサッカー部のコーチとして指導に当たる。2019年4月より監督に就任。

エピソード

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  • 生前の松田直樹松本山雅FC在籍時に目をつけていた選手である。2011年2月27日のキックオフイベントでは松田と共にトークショーに出演し、松田は「憲太にだけは怒っても大丈夫」と述べている。2011年4月30日の信州ダービー(対AC長野パルセイロ)では、勝利した後に興奮した松田から背負い投げを受けている。また松田が死去した後のインタビューでは「お前とボランチを組みたい」「お前は絶対に伸びるから頑張れ」と松田にいつも言われていた事を涙ながらに語っている。
  • 2011年は左足関節靱帯損傷と左腓骨筋腱脱臼により4月15日に手術を行い、前半戦を全てリハビリ期間に費やしたため、公式戦において松田とのボランチは最後まで実現しなかった(松田は同年8月4日に死去)。しかし復帰戦となる8月28日の長野県サッカー選手権兼天皇杯県予選決勝(対AC長野パルセイロ)では、病み上がりながら延長含め110分を走り切り、PKで予選突破を決める最後のキッカーとなった。
  • 上述のPKの際、小松は「正直、自分まで(PKが)回ってきてほしくなかった」と弱気だったが、木島良輔からビンタで気合を注入され、さらに片山真人から「マツさん(松田直樹)も見てくれているから大丈夫だ」と声を掛けられた事で落ち着きを取り戻し、冷静にゴール左隅に蹴り込んでいる。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2010 松本 4 JFL 9 0 - 0 0 9 0
2011 5 2 0 - 2 0 4 0
2012 J2 22 1 - 1 0 23 1
2013 12 0 - 1 0 13 0
2014 0 0 - 0 0 0 0
タイ リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2014 アユタヤ ディヴィジョン1
通算 日本 J2 34 1 - 2 0 36 1
日本 JFL 11 0 - 2 0 13 0
タイ ディヴィジョン1
総通算 45 1 - 4 0 49 1

脚注

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  1. ^ 小松憲太選手 アユタヤ-FCへの完全移籍のお知らせ』(プレスリリース)松本山雅FC、2014年7月13日http://www.yamaga-fc.com/news/2014/07/13/1405209934628.html2014年7月13日閲覧 
  2. ^ 小松憲太氏 松本山雅FCユースアカデミースタッフ就任のお知らせ』(プレスリリース)松本山雅FC、2015年2月16日http://www.yamaga-fc.com/news/2015/02/16/1424075518114.html2015年2月16日閲覧 

関連項目

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外部リンク

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