朝霧鏡子
表示
あさぎり きょうこ 朝霧 鏡子 | |
---|---|
本名 | 水谷 小夜子 |
生年月日 | 1921年2月19日 |
没年月日 | 1999年5月28日(78歳没) |
出生地 | 東京府 |
職業 | 女優 |
ジャンル | 映画・テレビドラマ |
活動期間 |
1933年 - 1963年 1995年 - 1999年 |
配偶者 | 清水金一(1951年 ‐ 1966年) |
主な作品 | |
映画 『シミ金・シリーズ』 『午後の遺言状』 『のど自慢』 |
朝霧 鏡子(あさぎり きょうこ、本名;水谷 小夜子[1]、1921年2月19日[2][3] - 1999年5月28日)は、東京都出身の女優。夫は清水金一。
人物・来歴
[編集]1933年、小学校卒業後に松竹少女歌劇学校へ1期生として入学。1939年、準幹部に昇格。1940年に退団。
1940年、松竹大船へ入社して「女人転心」でデビュー。1949年、大映[2][3]、1950年、東映[2][3]、東京俳優生活協同組合などに所属[2][3]。
戦前軽演劇の人気者・清水金一主演「シミ金・シリーズ」の相手役に起用され、その縁から1951年に清水と結婚して引退、1966年に死別するまでの献身ぶりは美談として話題になった。
引退後や清水の没後に何度か復帰を持ち掛けられたが、いずれも意に適うものではなく「復帰するなら土俵の真ん中じゃなきゃ嫌」「良い脚本なら出たい」と断り続け、現在も親類が経営する新宿のカレー店「ガンジー」などの飲食店経営で生計を立てていた。
1995年、新藤兼人によって『午後の遺言状』に出演し、実に45年ぶりに芸能界へ本格復帰。同年、山路ふみ子文化財団特別賞を受賞。
出演作品
[編集]映画
[編集]- 女人転心(1940年) - 李貞媛
- 秘めたる心(1940年)
- 冬木博士の家族(1940年) - 道子
- 幸福な家族(1940年) - 千津子
- 歌女おぼえ書(1941年) - 妹・縫子
- 争ひなき真実(1941年)
- まごころの歌(1941年) - 田端千枝子
- 碑(1941年)
- 君よ共に歌わん(1941年)
- 君と僕(1941年)
- 三人姉妹(1942年)
- 男の意気(1942年)
- 兄妹会議(1942年) - 末妹・弓子
- 海賊旗吹っ飛ぶ(1943年)
- 粋な風来坊(1946年) - お光
- お笑い週間 恋はやさし(1946年)
- 朗らか週間 第一話 抓って頂戴(1946年) - 京子
- 待ちぼうけの女(1946年) - 孝子
- 仮面の街(1947年) - せつ子
- 象を喰つた連中(1947年) - 妻・静子
- 縁は異なもの(1947年)
- 処女は真珠の如く(1947年) - 妻・敏江
- 女優須磨子の恋(1947年) - 抱月の娘・ハル子
- それでも私は行く(1947年) - 舞妓・鈴子
- シミ金の結婚選手(1948年) - 幸子
- 弥次喜多凸凹道中(1948年) - 娘・絹江
- シミ金の探偵王(1948年) - 娘・和子
- シミ金のオオ!市民諸君(1948年) - マリ
- 青春賭博(1949年) - 清原翠
- 森の石松(1949年) - お新
- 頓珍漢桃色騒動(1950年) - マリ子
- かっぽれ音頭(1950年)
- シミキンの無敵競輪王(1950年)
- 闇に光る眼(1950年) - 妹・あい子
- 突貫裸天国(1950年)
- 花ある怒濤(1951年) - 祥子
- 呼子星(1952年) - 寺崎孝子
- 女ひとり大地を行く(1953年) - シノ
- 雲ながるる果てに(1953年) - 秋田の妻・町子
- 赤い自転車(1953年) - 黒川ふみ子
- 唐人お吉(1954年) - お福
- 母の名は(1954年) - 加代
- 歌くらべ三羽烏(1955年) - マネキン
- 胸より胸に(1955年) - アパートのおかみ
- こぶしの花の咲くころ(1956年) - 北山礼子
- 台風騒動記(1956年) - のぶ
- おしどり喧嘩笠(1957年) - お菊
- ただいま零匹(1957年) - B夫人
- 午後の遺言状(1995年) - 牛国登美江
- 東京夜曲(1997年) - たみの義母
- のど自慢(1999年) - 坂上タマ
テレビ
[編集]- 矢車剣之助(1959年、NTV)
- ぼくらのチャンピオン 三船十段(1959年、CX)
- 若いやつ(1962年、TBS)
- 七人の刑事(1963年、TBS)
- 一枚の写真(1991年、CX)
- 恍惚の人'99(1999年、TX)