東谷村 (福岡県)
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ひがしたにむら 東谷村 | |
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廃止日 | 1948年9月10日 |
廃止理由 |
編入合併 東谷村 → 小倉市 |
現在の自治体 | 北九州市・行橋市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 福岡県 |
郡 | 企救郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 小倉市、田川郡採銅所村、京都郡諫山村、椿市村、白川村 |
東谷村役場 | |
所在地 | 福岡県企救郡東谷村 |
座標 | 北緯33度46分45秒 東経130度51分59秒 / 北緯33.77914度 東経130.86628度座標: 北緯33度46分45秒 東経130度51分59秒 / 北緯33.77914度 東経130.86628度 |
ウィキプロジェクト |
東谷村(ひがしたにむら)は、現在の福岡県北九州市東部にあたる、旧企救郡に存在した村。1948年9月10日、当時の小倉市に編入され消滅した。かつての村域は現在の北九州市小倉南区のみならず、同市そのものの最南部に位置し、京築・田川地域と接する。
歴史
[編集]1889年、町村制施行により、呼野・小森・木下・井手浦などの地域が統合され、企救郡東谷村として発足。同時に誕生した西谷村、中谷村と併せて、「三谷(さんたに)地区」と呼ばれることとなった。
その後、郡内の他の町村が合併などを繰り返し、最終的に門司市と小倉市に収斂されていく中、東谷村は山間の地で典型的な農村地帯であったことから、他の町村と合併することなく、第二次世界大戦の終結を村として迎えた。ちなみに、西谷村と中谷村は1941年、太平洋戦争の開戦を前にして小倉市に編入された。「小倉南区役所両谷出張所」の「両谷」とは、小倉市が西谷村と中谷村を編入した際に旧両村役場を統合して、新たに市役所の出先機関を置いたことによる。
東谷村が小倉市に編入されたのは米軍の占領下にあった1948年。他の町村はすべて終戦までに門司市、小倉市となっていたため、企救郡で最後まで残っていた自治体であった。今も、かつての村役場を引き継いだ小倉南区役所の出張所は「東谷」出張所であり、旧村域には、ほかにも「東谷」の名を冠した組織や施設が多く存在する。
行政区域の変遷
[編集]- 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、石原町村・新道寺村・母原村・井手浦村・木下村・市丸村・小森村・呼野村が合併して企救郡東谷村が成立。
- 1948年9月10日 - 小倉市へ編入され消滅。
- 1949年9月1日 - 小倉市大字新道寺の一部が京都郡椿市村へ分離。