栗原浩
表示
栗原 浩 くりはら ひろし | |
---|---|
生年月日 | 1900年1月16日 |
出生地 |
埼玉県北埼玉郡原道村 (現:埼玉県加須市) |
没年月日 | 1978年8月24日(78歳没) |
出身校 | 早稲田大学高等師範部中退 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 | 勲一等瑞宝章 |
第45代 - 第48代(公選制第4代 - 第7代)埼玉県知事 | |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1956年7月13日 - 1972年7月12日 |
栗原 浩(くりはら ひろし、1900年(明治33年)1月16日 - 1978年(昭和53年)8月24日)は日本の政治家。埼玉県知事などを歴任した。
略歴
[編集]埼玉県北埼玉郡原道村(現:加須市)出身[1]。私立埼玉中学校(現:埼玉県立不動岡高等学校)を卒業。早稲田大学高等師範部(現:早稲田大学教育学部)を途中退学。
- この間、知事室長、出納長、副知事等を歴任。
- 1956年(昭和31年) - 埼玉県知事選挙に自由民主党公認で出馬。日本社会党の出井治人を下し初当選。埼玉県知事に就任する。
- 1960年(昭和35年) - 埼玉県知事選挙で再選。
- 1964年(昭和39年) - 埼玉県知事選挙で3選。
- 1968年(昭和43年) - 埼玉県知事選挙で4選。
- 1972年(昭和47年) - 埼玉県知事選挙に出馬せず、退任。
- 1978年(昭和53年) - 死去。78歳没。
知事引退後、埼玉医科大学理事長、校外教育協会会長、社会福祉協議会会長、共同募金会会長を歴任。県知事の職に4期16年間あり、長期政権であった。県知事であった時期と高度経済成長期が重なったこともあり、任期中には住宅・工業団地や鉄道・道路の整備に努めたほか、1963年には「総合開発計画」を決定した[2]。また、1972年に勲一等瑞宝章を授与された。
脚注
[編集]- ^ 市報かぞ 平成22年12月15日号 (PDF) p.28(裏表紙) - 加須市役所ホームページ
- ^ 「新編 埼玉県史 通史編7」p767-773、「埼玉の100人(政治編)」埼玉グラフ。
参考資料
[編集]公職 | ||
---|---|---|
先代 大沢雄一 |
埼玉県知事 公選第4 - 7代:1956年 - 1972年 |
次代 畑和 |