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森田剛史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森田 剛史
佐賀県立佐賀商業高等学校硬式野球部 監督
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 佐賀県佐賀市
生年月日 (1971-08-19) 1971年8月19日(53歳)
選手情報
投球・打席 右投打
ポジション 二塁手投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 佐賀県立佐賀商業高等学校 (コーチ:2002 - 2007、監督:2008 - 2009)
  • 佐賀県立神埼清明高等学校 (監督:2010 - 2012)
  • 佐賀県立佐賀商業高等学校 (監督:2013 - )

森田 剛史(もりた たけし、1971年8月19日[1] - )は、佐賀県佐賀市出身の高校野球指導者[1]佐賀県立佐賀商業高校商業科教諭[1]、硬式野球部監督[1]

経歴

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高校時代は佐賀商業高校でプレー。高校2年のと3年には甲子園大会に出場した[1]。小学校からのチームメイトで幼なじみには香田誉士史(のち駒大)がいた。

1990年東都大学野球亜細亜大学に進学し硬式野球部所属。主に4番二塁手として活躍。1年春の全日本大学野球選手権では4年生エース小池秀郎の活躍により決勝で東北福祉大学を2-1で下し優勝。この試合で1年森田は5番打者、二塁手で出場した。1991年、大学3年秋のリーグ戦ではサイクル安打も達成[1]。ストナイン3回[1]。1年下に入来祐作投手、沖原佳典らがいた。

1994年に大学卒業後、社会人野球日本石油に入社。スポニチ大会都市対抗野球大会では優勝経験もある。

27歳で選手を引退後[1]高校野球の指導者になるため教員採用試験を4回受けて合格した。

母校の佐賀商業高校に配属されコーチや監督を歴任。

2010年春からは甲子園経験のない神埼清明高校に異動[1]。当時の神埼清明高校は部員の謹慎者が5人、練習後のグラウンド整備が行われないなど荒れていたが立て直し2年後には九州大会へ出場できるまで成長させた。

2013年、再び佐賀商業高校へ異動となり監督へ就任した[1]2018年夏の甲子園に出場。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 【佐賀商業】工夫とアイデアにあふれた練習、トレーニング(前篇)”. Timely! WEB (2017年10月17日). 2024年1月15日閲覧。