海部友光
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
改名 | 友光→宗寿?[1][2] |
別名 | 藤原友光[1] |
官位 | 左近将監[1] |
主君 | 三好氏 |
氏族 | 海部氏 |
父母 | 父:海部之親 |
子 | 吉清 |
海部 友光(かいふ ともみつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。三好氏の家臣。阿波国海部城主。
生涯
[編集]「海部町史」では鷲住王の末裔とされている。
海部之親の子として誕生。永禄年間(1558年 - 1570年)に友光によって海部城が築かれたという説がある。
元亀2年(1571年)に那佐湾に漂着した長宗我部元親の弟・島親益を討つ。弟の死に激怒した元親により天正3年(1575年)及び天正5年(1577年)に海部城は落城した。その後、友光は紀伊国の縁者を頼って落ち延びたと伝えられるが、経緯は不明である。
脚注
[編集]出典
[編集]- 『阿波志』
- 『海部町史』