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2021年8月9日 (月) 17:39時点における版
三池藩(みいけはん)は、筑後国三池郡を領した藩。藩庁として三池(現在の福岡県大牟田市)に三池陣屋を構えた。藩主家は立花家であり、柳河藩の立花家とは一族であるが、互いに独立した藩であり、同藩は柳河藩の支藩ではない。
略史
立花宗茂の弟・高橋直次は慶長19年(1614年)、常陸国筑波郡に5千石を与えられ、旗本となった。その長男・立花種次は元和7年(1621年)、旧領地であった筑後国三池郡に5000石加増の1万石を得て三池に移り、三池藩が立藩した。
第4代藩主・立花貫長の時代である元文3年(1738年)に石炭の採掘が始まり、平成9年(1997年)まで存続した三池炭鉱の礎となった。
第6代藩主・立花種周は大番頭、奏者番兼寺社奉行を経て若年寄まで栄達した。しかし、反松平定信派に属し政争に敗北し、文化2年(1805年)11月に幕府の機密漏洩の罪により罷免され、12月には強制隠居の上、蟄居となった。そのため、種周の跡を継いだ第7代藩主・立花種善は文化3年(1806年)、陸奥国下手渡藩に左遷された。
その後、種善から種温を経て藩主となっていた種恭時代の慶応4年(1868年)9月、再び三池に藩庁を移し、三池藩が再立藩した。
明治2年(1869年)版籍奉還と同時に立花家は華族に列した。同4年(1871年)の廃藩置県で三池県となったのち、三潴県を経て福岡県に編入された。
明治17年(1884年)の華族令で立花家には子爵が叙爵された。
歴代藩主
- 立花家
外様 1万石 (1621年 - 1806年、1868年 - 1871年)
代 | 氏名 | 官位 | 在職期間 | 享年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 立花種次 たちばな たねつぐ |
従五位下 主膳正 |
元和7年 - 寛永7年 1621年 - 1630年 |
27 | 祖父は高橋紹運。父は立花直次。 |
2 | 立花種長 たちばな たねなが |
従五位下 和泉守 |
寛永7年 - 天和2年 1630年 - 1682年 |
87 | |
3 | 立花種明 たちばな たねあきら |
従五位下 主膳正 |
天和2年 - 元禄12年 1682年 - 1699年 |
56 | |
4 | 立花貫長 たちばな やすなが |
従五位下 出雲守 |
元禄12年 - 延享4年 1699年 - 1747年 |
61 | |
5 | 立花長煕 たちばな ながひろ |
従五位下 和泉守 |
延享4年 - 宝暦12年 1747年 - 1762年 |
59 | |
6 | 立花種周 たちばな たねちか |
従五位下 出雲守 |
宝暦12年 - 文化2年 1762年 - 1805年 |
66 | 寛政5年(1793年)、若年寄に。 |
7 | 立花種善 たちばな たねよし |
従五位下 豊前守 |
文化2年 - 文化3年 1805年 - 1806年 |
39 | 文化3年(1806年)に陸奥下手渡藩へ移封。 |
1806年 - 1868年は幕府領 | |||||
1 | 立花種恭 たちばな たねゆき |
従二位 出雲守 |
明治元年 - 明治4年 1868年 - 1871年 |
70 | 新政府の命を受け、再立藩。 |
関連項目
幕末の領地
参考文献
- 『藩史総覧』 児玉幸多・北島正元/監修 新人物往来社 1977年
- 『別冊歴史読本㉔ 江戸三百藩 藩主総覧 歴代藩主でたどる藩政史』 新人物往来社 1977年
- 『大名の日本地図』 中嶋繁雄/著 文春新書 2003年
- 『江戸三〇〇藩 バカ殿と名君 うちの殿さまは偉かった?』 八幡和郎/著 光文社新書 2004年
先代 (筑後国) |
行政区の変遷 1868年 - 1871年 (三池藩→三池県) |
次代 三潴県 |