立花種善
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政6年1月19日(1794年2月18日) |
死没 | 天保3年12月25日(1833年2月14日) |
改名 | 順之助(幼名)、種善 |
官位 | 従五位下、和泉守、豊前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 筑後三池藩主、陸奥下手渡藩主 |
氏族 | 立花氏 |
父母 | 父:立花種周 |
兄弟 | 種徳、種善、種道、種実 |
妻 | 正室:堀直皓の娘 |
子 | 5男3女:種温、寛愷(次男)、娘(京極高福室) |
立花 種善(たちばな たねよし)は、江戸時代後期の大名。筑後国三池藩の第7代藩主、のち陸奥国下手渡藩の初代藩主。官位は従五位下・和泉守、豊前守。
生涯
[編集]寛政6年(1794年)1月19日、三池藩6代藩主の立花種周の四男として誕生した。四男だったが、兄の種徳らが早世したために世子となった。
文化2年(1805年)11月、若年寄在任中に幕閣での政争に敗れた父が職を奪われ、12月27日に強制隠居と蟄居を命じられた。これにより、未だ若年の種善が家督を継いだ。しかし対立派閥の追及は止まず、種周が若年寄在任中に幕府の機密情報を漏洩させたとして、文化3年(1806年)6月5日に陸奥国伊達郡下手渡に左遷的に移封された。藩は下手渡陣屋を新規に構築して藩庁とし、種善は新たな領地において善い藩政を行ったと伝わる。
天保3年(1832年)12月25日に江戸で死去した。享年39。長男・種温が跡を継いだ。墓所は福島県伊達市の耕雲寺。
系譜
[編集]子は5男3女
父母
正室
- 常 ー 堀直皓の娘
子女