盛岡村
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もりおかむら 盛岡村 | |
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廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
編入 盛岡村、足助町、賀茂村、阿摺村→足助町 |
現在の自治体 | 豊田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 東加茂郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 44.68 km2. |
総人口 |
4,026人 (愛知県郡市町村勢要覧[1]、1950年10月1日) |
隣接自治体 |
東加茂郡足助町、阿摺村、松平村 西加茂郡高橋村、猿投町 |
盛岡村役場 | |
所在地 | 愛知県東加茂郡盛岡村大字国谷字寺の前13 |
座標 | 北緯35度06分09秒 東経137度17分11秒 / 北緯35.10244度 東経137.28631度座標: 北緯35度06分09秒 東経137度17分11秒 / 北緯35.10244度 東経137.28631度 |
ウィキプロジェクト |
旧・足助町の西部に該当し、巴川とその支流沿いの山間部の村であった。
沿革
[編集]- 江戸時代末期、この地域は三河国加茂郡であり、奥殿藩領、吉田藩領、旗本領などであった。
- 1875年(明治8年) - 大野村と籠林村が合併し、野林村となる。
- 1878年(明治11年) -
- 1889年(明治22年)10月1日 - 追分村、野林村、岩神村、国閑村、上佐切村、上脇村、四ツ松村、東山中村、栃本村、上小田村、沢ノ堂村、上国谷村、下国谷村、桑原田村、中国谷村、下佐切村、平折村が合併し、盛岡村となる。
- 1906年(明治39年)5月1日 - 盛岡村、金沢村の一部[2]、豊栄村の一部[3]、穂積村の一部[4]が合併し、盛岡村となる。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 足助町、盛岡村、賀茂村、阿摺村が合併し、足助町となる。
学校
[編集]- 盛岡村立盛岡中学校(足助町立西部中学校に校名変更後、1971年に足助町立足助中学校に統合。現・豊田市立足助中学校)
- 盛岡村立追分小学校(現・豊田市立追分小学校)
- 盛岡村立佐切小学校(現・豊田市立佐切小学校)
- 盛岡村立旭小学校(現・豊田市立冷田小学校)
- 盛岡村立則定小学校(現・豊田市立則定小学校)