コンテンツにスキップ

荻野目慶子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おぎのめ けいこ
荻野目 慶子
生年月日 (1964-09-04) 1964年9月4日(60歳)
出身地 日本の旗 日本埼玉県[1]
血液型 A型
職業 女優
ジャンル 映画・テレビドラマ・舞台
活動期間 1977年 -
配偶者 あり(一般人男性)
著名な家族 荻野目洋子(妹)
事務所 カムトゥルー
公式サイト 公式プロフィール
主な作品
テレビドラマ
武蔵坊弁慶
同窓会
人間・失格〜たとえばぼくが死んだら
揺れる想い
女優・杏子
愛のソレア
映画
海潮音
南極物語
陽炎
いつかギラギラする日
忠臣蔵外伝 四谷怪談
三文役者
舞台
奇跡の人
ハムレット
業音
8人の女たち
阿修羅のごとく
受賞
日本アカデミー賞
優秀助演女優賞
1992年陽炎
1993年いつかギラギラする日
1994年忠臣蔵外伝 四谷怪談
その他の賞
テンプレートを表示

荻野目 慶子(おぎのめ けいこ、1964年9月4日[注 1] - )は、日本女優である。COME TRUE所属[1]熊本県玉名市出身の母と栃木県出身の父のあいだに熊本県熊本市で生まれ[2]埼玉県比企郡嵐山町千葉県柏市、同佐倉市などで育つ[1]昭和学院高等学校卒業[3]。4人きょうだい(姉、弟、妹)の次女であり、妹は歌手荻野目洋子[3]

経歴

[編集]

漫画『ガラスの仮面』で女優に憧れ、12歳で劇団ひまわりに入団。子役として活動を始める。雑誌や、映画『獄門島』(1977年)等に出演[4]

1979年、14歳のときに、舞台『奇跡の人』のヒロイン、ヘレン・ケラー役のオーディションに合格し芸能界入り。その後、テレビの若者向けバラエティ番組 『YOU』(NHK教育)の司会や映画 『南極物語』への出演などで、新進若手女優として知られるようになった。

1990年、当時の不倫相手であった映画監督が荻野目の自室で自殺。マスメディアに大きく取り上げられるスキャンダルとなったが、その後間もなく映画『陽炎』に出演。翌年には映画監督・深作欣二の勧めなどで出演した映画『いつかギラギラする日』のヒロイン役で再び脚光を浴びた[5]

その後も、映画、テレビ、舞台等、精力的に活動。見事にスキャンダルからの復活を果たす。

フジテレビ系昼ドラでは2001年女優・杏子』に続き、 2004年秋季(10-12月)の『愛のソレア』と2作品主演している。

2019年フロムファーストプロダクションよりCOME TRUE(グループ会社)へ事務所を移籍。

人物

[編集]

荻野目は連続して二人の映画監督とのあいだで不倫スキャンダルを起こしている。初めの不倫は1990年平成2年)、25歳の時。不倫関係にあった当時43歳の映画監督、河合義隆が、荻野目の留守中に荻野目の自宅で首吊り自殺し話題となった。そのおよそ一年後、今度は出演映画の監督で、34歳年上であったバイオレンス映画の巨匠、深作欣二と不倫関係になるも、まもなく深作が前立腺癌を発病。しかし副作用による男性機能の低下を懸念し、荻野目との関係が続けられなくなるとして有効なホルモン剤治療等を拒否。その後2003年平成15年)に死去。2人の不倫関係は10年近く続き、ワイドショーをはじめとするマスメディアに大きく取り上げられた。荻野目は2002年平成14年)、これら2件の不倫愛を含むこれまでの恋愛などを綴った自伝『女優の夜』を発表している。

また1992年には、自殺した河合義隆が生前に撮影したヌード写真集『SURRENDER』を発売。30万部を越えるヒットとなった。

2012年12月31日、2歳年上の一般男性と結婚[6]。 都内に複数のクリニックと医薬品会社を経営する医師である。

実母の介護のため「介護職員初任者」「レクリエーション介護士2級」の資格を取得。

足立淳は昔、高円寺古本屋大林宣彦の著書『ぼくのアメリカン・ムービー』を購入したら、大林のサイン入りで「荻野目慶子さま 今夜は最高デシタ!!いつか映画を 大林宣彦」と書かれてあったと話している[7]

出演

[編集]

映画

[編集]

テレビドラマ

[編集]

この他、連続テレビドラマのゲスト出演など多数。

1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代

舞台

[編集]

バラエティ番組

[編集]

他多数

書籍

[編集]

写真集

[編集]

吹き替え

[編集]

ラジオ番組

[編集]
  • 真田広之・荻野目慶子の青春キャンディバー(1983年、ニッポン放送

ラジオドラマ

[編集]

CM

[編集]

受賞

[編集]

1980年

1992年

1993年

1995年

2001年

音楽

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 公式サイトから生年が抹消されていたため、プライバシーを優先する[1]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d 荻野目慶子 Profile”. カムトゥルー. 2019年5月28日閲覧。
  2. ^ 『新訂現代日本人名録2002』第1巻1635ページには千葉県柏市生まれとある。
  3. ^ a b 荻野目慶子 - 略歴・フィルモグラフィー”. キネノート. 2019年5月28日閲覧。
  4. ^ 荻野目洋子対談vol.1荻野目慶子の巻”. 荻野目洋子 (2007年12月15日). 2021年10月8日閲覧。
  5. ^ その時の状況は自身の著書『女優の夜』に記されている他、NHK教育テレビの『ETV99』(現在のETV特集)のインタビューでも紹介された
  6. ^ 荻野目慶子、2歳年上一般男性と結婚 大みそかに入籍”. eltha. オリコン (2013年1月7日). 2013年1月7日閲覧。
  7. ^ 足立淳人間噂八百産経新聞出版、2008年、162頁。ISBN 978-4819110020 
  8. ^ 樋口尚文「昭和」の子役: もうひとつの日本映画史国書刊行会、2017年8月、367頁。ISBN 978-4-336-06198-0https://books.google.com/books?id=QRW1tAEACAAJ 
  9. ^ 伊藤俊也監督インタビュー2018”. アクターズ・ヴィジョン (2018年11月13日). 2019年5月27日閲覧。 “1979年に市原悦子さんのサリヴァン先生で「奇跡の人」の演出を芸術座でやっているのですが、ヘレン・ケラー役の少女をこれも児童劇団でオーディションをして。(中略)それらしい子がいると言って連れて来たのが14歳の荻野目慶子だったんです。”

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]