遊佐正憲
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遊佐 正憲 | |||||||||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||||||||
フルネーム | ゆさ まさのり | ||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||
泳法 | 自由形 | ||||||||||||||||||||
生年月日 | 1915年1月20日 | ||||||||||||||||||||
生誕地 | 香川県仲多度郡多度津町 | ||||||||||||||||||||
没年月日 | 1975年3月8日(60歳没) | ||||||||||||||||||||
死没地 | 日本 | ||||||||||||||||||||
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遊佐 正憲(ゆさ まさのり、1915年(大正4年)1月20日[1][2] - 1975年(昭和50年)3月8日)は、日本の水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピックの800mリレーで金メダル、1936年ベルリンオリンピックの800mリレーで金メダル、100m自由形で銀メダルを獲得した。
人物
[編集]香川県仲多度郡多度津町の出身。旧制多度津中学校(現・香川県立多度津高等学校)から日本大学に進学、日大1年次の17歳で出場した1932年ロサンゼルスオリンピック800メートルリレーで宮崎康二、横山隆志、豊田久吉とチームを組んで金メダルを獲得する。この800mリレーの優勝を讃えられ、遊佐は宮崎、横山、豊田と共に1932年度の朝日賞体育部門(現・朝日スポーツ賞)を受賞した[3]。
1936年(昭和11年)、ロサンゼルスに続く二度目の出場となったベルリンオリンピックでは、遊佐は100メートル自由形で銀メダル、新井茂雄、田口正治、杉浦重雄とチームを組んだ800メートルリレーで金メダル[4]を獲得した。この800mリレーの優勝を讃えられ、遊佐は新井、田口、杉浦と共に1936年度の朝日賞体育部門を受賞した[5]。
日本大学卒業後は横浜ゴムに入社した。女優の逢初夢子は妻、女優の遊佐ナオコは長女(本名:遊佐 真温子)。妻の逢初とは1936年(昭和11年)頃に知り合い[6]、1942年(昭和17年)に長女が誕生したことを受けて正式に入籍した。
第二次世界大戦後に日本水泳連盟技術指導委員となり、自由形短距離選手の強化を担当した[7]。
1975年(昭和50年)3月8日、胃がんのため死去した[8]。60歳没。
脚注
[編集]- ^ 人事興信録 第16版 下、人事興信所 1951年2024年11月7日閲覧
- ^ 讃岐人物風景 15 (大正から昭和へ)、四国新聞社編、出版者丸山学芸図書、1986年6月出版2024年11月7日閲覧
- ^ 1932(昭和7)年度 - 朝日スポーツ賞 朝日新聞社、2020年(令和2年)10月6日閲覧。
- ^ 遊佐はリレーでのオリンピック2大会連続優勝を果たしている。
- ^ 1936(昭和11)年度 - 朝日スポーツ賞 朝日新聞社、2020年(令和2年)10月6日閲覧。
- ^ 1932年ロサンゼルスオリンピック時に既に知り合っていた説有
- ^ 冬季合宿練習報告 (PDF, 6.94 MB) - 日本水泳連盟機関誌『水泳』第84号、2020年(令和2年)10月6日閲覧。
- ^ 遊佐正憲選手について [リンク切れ] - DANCE & BOPS、2020年(令和2年)10月6日閲覧。
関連項目
[編集]- 池江璃花子 - 遊佐と同じく日大から横浜ゴムに入社した競泳選手。
外部リンク
[編集]- 遊佐正憲選手について - ウェイバックマシン(2005年4月10日アーカイブ分)
- 日本-水泳ニッポンの意地みせる
- 遊佐正憲 - 国際オリンピック委員会
- 遊佐正憲 - オリンピックチャンネル
- 遊佐正憲 - Olympedia
- 遊佐正憲 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 遊佐正憲 - 国際水泳殿堂