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銅川市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中華人民共和国 陝西省 銅川市
玉華宮
玉華宮
玉華宮
旧称:銅官
陝西省中の銅川市の位置
陝西省中の銅川市の位置
陝西省中の銅川市の位置
簡体字 铜川
繁体字 銅川
拼音 Tóngchuān
カタカナ転写 トンチュアン
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
陝西
行政級別 地級市
建市 1958年
市委書記
市長
面積
総面積 3,882 km²
人口
総人口() 86 万人
経済
電話番号 0919
郵便番号 727000
ナンバープレート 陝B
行政区画代碼 610200
市樹 アルビジア
市花 バラ
公式ウェブサイト http://www.tongchuan.gov.cn/
銅川市の位置(中華人民共和国内)
銅川市
銅川市 (中華人民共和国)
地図

銅川市(どうせん-し)は中華人民共和国陝西省に位置する地級市

地理

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陝西省の北部に位置する。

歴史

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銅川の旧称は同官であり、中心地が銅水沿いであったことから銅川と称されるようになった。

の時代には雍州に属し、秦代には内史地に属していた。前155年前漢により初めて同官県が設置され左馮翊に属していた。

その後三国時代には北地郡北魏には銅官県が設置され、北周により同官県と再度改称され宜周に属した。には雍州京兆郡の管轄とされたが、後唐925年同光3年)に耀州の管轄とされると、清末まで同官県の名称が踏襲された。

中華民国が成立すると行政組織の改編が行われた。1935年7月、同官県は再び銅川県へと改称された。しかし中国共産党側はこの改称を採用せず、1948年5月に陝甘寧辺区政府の下に同官県政府を設置、1949年7月7日、同官県を“解放”した後に銅川と改称している。

1958年4月5日、中華人民共和国国務院は銅川県を銅川市へと昇格させ、更に1966年8月1日に地級市として改編され現在に至っている。

経済

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古くから石炭工業が発展していたが、近年の資源枯渇により他業種への転換を目指している。

観光

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唐代の離宮跡(玉華宮)、唐三彩の窯などの遺跡が市内に位置している。

行政区画

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3市轄区・1県を管轄する。

銅川市の地図

年表

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この節の出典[1][2]

  • 1966年6月24日 - 渭南専区銅川市が地級市の銅川市に昇格。(1市)
  • 1979年11月16日 - 渭南地区耀県を編入。(1市1県)
  • 1979年11月 - 渭南地区蒲城県の一部を編入。(1市1県)
  • 1980年2月2日 - 城区郊区を設置。(2区1県)
  • 1983年9月9日 - 延安地区宜君県を編入。(2区2県)
  • 2000年1月7日 (2区2県)
  • 2002年6月18日 - 耀県が区制施行し、耀州区となる。(3区1県)

脚注

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外部リンク

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