銅川市
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中華人民共和国 陝西省 銅川市 | |
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玉華宮 | |
旧称:銅官 | |
陝西省中の銅川市の位置 | |
簡体字 | 铜川 |
繁体字 | 銅川 |
拼音 | Tóngchuān |
カタカナ転写 | トンチュアン |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 陝西 |
行政級別 | 地級市 |
建市 | 1958年 |
市委書記 | |
市長 | |
面積 | |
総面積 | 3,882 km² |
人口 | |
総人口() | 86 万人 |
経済 | |
電話番号 | 0919 |
郵便番号 | 727000 |
ナンバープレート | 陝B |
行政区画代碼 | 610200 |
市樹 | アルビジア |
市花 | バラ |
公式ウェブサイト: http://www.tongchuan.gov.cn/ |
銅川市(どうせん-し)は中華人民共和国陝西省に位置する地級市。
地理
[編集]陝西省の北部に位置する。
歴史
[編集]銅川の旧称は同官であり、中心地が銅水沿いであったことから銅川と称されるようになった。
夏殷の時代には雍州に属し、秦代には内史地に属していた。前155年、前漢により初めて同官県が設置され左馮翊に属していた。
その後三国時代には北地郡、北魏には銅官県が設置され、北周により同官県と再度改称され宜周に属した。隋唐には雍州京兆郡の管轄とされたが、後唐の925年(同光3年)に耀州の管轄とされると、清末まで同官県の名称が踏襲された。
中華民国が成立すると行政組織の改編が行われた。1935年7月、同官県は再び銅川県へと改称された。しかし中国共産党側はこの改称を採用せず、1948年5月に陝甘寧辺区政府の下に同官県政府を設置、1949年7月7日、同官県を“解放”した後に銅川と改称している。
1958年4月5日、中華人民共和国国務院は銅川県を銅川市へと昇格させ、更に1966年8月1日に地級市として改編され現在に至っている。
経済
[編集]古くから石炭工業が発展していたが、近年の資源枯渇により他業種への転換を目指している。
観光
[編集]唐代の離宮跡(玉華宮)、唐三彩の窯などの遺跡が市内に位置している。
行政区画
[編集]3市轄区・1県を管轄する。
銅川市の地図 |
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年表
[編集]- 1966年6月24日 - 渭南専区銅川市が地級市の銅川市に昇格。(1市)
- 1979年11月16日 - 渭南地区耀県を編入。(1市1県)
- 1979年11月 - 渭南地区蒲城県の一部を編入。(1市1県)
- 1980年2月2日 - 城区・郊区を設置。(2区1県)
- 1983年9月9日 - 延安地区宜君県を編入。(2区2県)
- 2000年1月7日 (2区2県)
- 2002年6月18日 - 耀県が区制施行し、耀州区となる。(3区1県)