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関口朋幸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
関口 朋幸
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山梨県南都留郡河口湖町(現:富士河口湖町[1]
生年月日 (1960-10-15) 1960年10月15日
没年月日 2000年6月??
身長
体重
186 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1978年 ドラフト1位
初出場 1980年5月5日
最終出場 1990年5月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

関口 朋幸(せきぐち ともゆき、1960年10月15日 - 2000年6月)は、山梨県出身のプロ野球選手投手)。右投右打。

来歴・人物

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吉田商業高では1年の夏から登板する[1]1978年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、市川高に敗退。速球派として注目され、練習試合で対戦相手として登板した宇梶剛士も視察に来ていたスカウトにチェックされたという逸話もある。

1978年のプロ野球ドラフト会議阪急ブレーブスから1位指名を受け入団[1]

プロ入り2年目の1980年に一軍に定着し、6月からは先発としても起用される。1981年には抑えを任され41試合に登板、12セーブ、18セーブポイントを挙げる。しかし、右肘を故障し1983年に手術[1]1984年には一時支配下選手登録から外れ練習生扱いとなる[1]1986年に復帰を果たし、1987年からは中継ぎとして活躍。1989年には35試合に登板するが、1990年には出場機会が減少し、同年限りで現役を引退した[1]

オーバースローの本格派だったが、後にサイドスローに転向。ストレート、カーブ、シュート、パームボールを武器とした。
1989年の近鉄戦で元ボクサーのハーマン・リベラの頭部付近に投球して、殴りかかられた。

引退後は、スポーツ用品メーカーに勤務して兵庫県西宮市在住の会社員であった。2000年6月交通事故に遭遇し、39歳で死去したことがスポーツライターである島尻譲の公式ブログ内にて明かされている[2]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1980 阪急
オリックス
21 7 2 0 0 3 6 1 -- .333 429 96.2 110 17 34 2 3 37 0 0 65 54 5.03 1.49
1981 41 0 0 0 0 6 4 12 -- .600 473 108.2 133 9 37 1 4 52 2 1 61 54 4.47 1.56
1982 6 3 0 0 0 2 2 0 -- .500 79 16.2 20 0 8 0 3 7 1 0 12 12 6.48 1.68
1983 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 1 0.1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 0.00
1986 3 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 36 7.1 7 0 6 0 2 1 0 0 4 4 4.91 1.77
1987 24 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 138 35.2 27 0 8 0 2 20 0 0 6 5 1.26 0.98
1988 21 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 88 19.2 25 0 7 1 1 7 1 0 5 4 1.83 1.63
1989 35 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 162 37.2 32 4 22 0 1 15 2 0 20 17 4.06 1.43
1990 6 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 32 7.0 8 0 4 0 0 5 1 0 3 3 3.86 1.71
通算:9年 158 11 2 0 0 12 15 13 -- .444 1438 329.2 362 30 126 4 16 144 7 1 176 153 4.18 1.48
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 阪急(阪急ブレーブス)は、1989年にオリックス(オリックス・ブレーブス)に球団名を変更

記録

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  • 初登板:1980年5月5日、対ロッテオリオンズ前期7回戦(川崎球場)、7回裏に3番手で救援登板・完了、2回無失点
  • 初奪三振:同上、7回裏に井上洋一から
  • 初勝利:1980年5月7日、対西武ライオンズ前期5回戦(西武ライオンズ球場)、4回裏1死に2番手で救援登板、4回2/3を6失点(自責点5)
  • 初先発・初完投:1980年6月26日、対日本ハムファイターズ前期12回戦(阪急西宮球場)、9回5失点で敗戦投手
  • 初セーブ:1980年9月28日、対西武ライオンズ後期10回戦(西武ライオンズ球場)、8回裏1死に3番手で救援登板・完了、1回2/3を無失点
  • 初先発勝利:1982年8月24日、対ロッテオリオンズ後期4回戦(岡山県野球場)、5回0/3を3失点

背番号

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  • 15(1979年 - 1990年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、304ページ
  2. ^ 再会(後編) 島尻譲公式ブログ「シマジョーの『野球ノ歩キ方』日記」、2003年1月24日配信。

関連項目

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外部リンク

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