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阪神91形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阪神91形電車
基本情報
運用者 阪神電気鉄道
製造所 汽車製造
製造年 1947年
製造数 3両
引退 1975年5月5日
主要諸元
軌間 1,435mm
車両定員 76(座席38)人
自重 19.9t
全長 13,900mm
全幅 2,345mm
全高 3,885mm
車体 全鋼製
主電動機出力 26.1kW×4
駆動方式 吊り掛け式
歯車比 62:15=4.19
定格速度 33.1km/h
備考 諸元値は1963年6月末現在[1]
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阪神91形電車(はんしん91がたでんしゃ)は、かつて阪神電気鉄道が保有した路面電車車両である。同社の併用軌道線(国道線甲子園線北大阪線に対する、阪神電鉄社内における総称)で運行されていた。

概要

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91形は、1941年満州国の新京交通に譲渡という形で供出された51形5両の代車として、1941年に3両を汽車製造に発注したが、戦争による資材難の影響から、竣工は戦後の1947年となった[2]

元々の計画では71形と同型で製造の予定だったが、製造時期が201形の登場後となった事から、201形同様に車体の丸みが71形より角ばり、正面窓上が71形の緩やかなカーブから平面になり、前面窓と側面窓の下辺が揃えられたほか、ベンチレーターも71形の10個(1列5個×2列)から6個(1列3個×2列)に減らされたほか、内装も71形にあった座席下のヒーターは廃止されるなど、全般的に工作を簡略化した形となった。

台車及び電装品は、台車は阪神併用軌道線標準の汽車製造製ボールドウィン64-20R台車を履き、モーターは71形の三菱電機MB-163MR(1時間定格出力29.8kW)とは異なり、31形と同じ芝浦SE-116D(1時間定格出力26.1kW)を71形同様4基装備した。但し、制御器は71形の自動加速方式の油圧カム軸多段制御器の芝浦RPM-100を装備している。91形では当初から連結運転を行うことを想定しなかったため、連結器は装備されなかった。

1950年までにポールのうち片方をビューゲル(Yゲル)に取り替え、同時期にテールランプをエアインテークの上に移設した。ポールはビューゲル集電が安定するにつれて撤去されている。1957年には室内灯を60W×14本に変更した。また、1960年代以降、行先方向幕を使用せずに行先表示板を使用するようになった。

1960年代後半に入ると屋根の整備が実施され、92・93の2両はランボードが撤去され、トルペード型ベンチレーターの向きを変更された。その後、方向幕窓も埋められた。91形は1975年5月5日の併用軌道線の全廃まで1両も廃車されることなく使用され、全車解体された。

脚注

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  1. ^ 朝日新聞社 1963, p. 175.
  2. ^ 飯島巌・小林庄三・井上広和『復刻版 私鉄の車両21 阪神電気鉄道』ネコ・パブリッシング、2002年(原著1986年、保育社)。118頁。

参考文献

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  • 朝日新聞社「日本の路面電車車両諸元表」『世界の鉄道 '64 昭和39年版』、朝日新聞社、1963年9月、ASIN B00H9YRQZM 
  • 『鉄道ピクトリアル』1997年7月臨時増刊号 No.640 特集:阪神電気鉄道
  • 『阪神電車形式集.3』 2000年 レイルロード
  • 『車両発達史シリーズ 7 阪神電気鉄道』 2002年 関西鉄道研究会