ニコニコ堂
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | |
本社所在地 |
熊本県熊本市上通町1-15[6] ↓ 熊本県熊本市南熊本1-9-27[7] |
設立 | 1960年(昭和35年)11月8日[6][8] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | スーパー |
代表者 |
林康治(代表取締役社長)[9] ↓ 林瑞栄(代表取締役社長)[10] ↓ 平山敞(代表取締役社長)[11] |
資本金 |
1000万円[6] ↓ 5000万円[8] ↓ 9000万円[9] ↓ 5億4000万円[12] |
売上高 |
901億0100万円 連結:943億9300万円 (1996年(平成8年)3月期)[13] |
従業員数 |
141[6] ↓ 1,800[9] ↓ 2,290(1996年(平成8年)3月)[13] |
決算期 |
8月期[9] ↓ 3月期[13] |
特記事項:ゆめタウン熊本と合併し、2007年(平成19年)2月25日消滅[14] |
株式会社ニコニコ堂(ニコニコどう、英称:NikoNikoDo Co.,Ltd.)は、かつて熊本県に存在した企業[15]。
熊本中心に展開していたスーパーマーケットチェーンであり、総合スーパーと食品スーパーの他、ディスカウントストアや専門店(書店や家電量販店)なども出店していた[10]。 また、パチンコ店もチェーン展開し、売上高の約4分の1近くを占めた時期もあった[16]。
概要
[編集]中国福建省出身の両親のもとで日本で生まれた林康治が[12]、1950年(昭和25年)に熊本市河原町で[6]、「林康治商店」としてセーターの卸業を行ったのが始まりである[12]。
1958年(昭和33年)に火災に遭い、同年9月にセンイセンター街でニコニコ堂として営業を再開した[6]。
1960年(昭和35年)11月には株式会社ニコニコ堂を設立して小売業に参入し[12]、熊本では初めてセルフサービスを導入した「衣料品スーパー」を[17]、熊本市上通りに開業した[18]。
百貨店法の規制下の時代には、売場面積1,500m2以下の店舗を出店し[19]、その後の商調協の規制下でチェーン展開を進めるために規制対象外となる売場面積300m2以下の小型店を出店し[20]、熊本市を中心とする地域に集中出店するドミナント戦略を推し進めて1970年代に急速な成長を実現した[21]。
また、1984年(昭和59年)6月に「フレッシュシステムズ」と共同出資で「フレッシュニコニコドー(株)」を設立し、同年10月に生鮮食品から日用雑貨、衣類などを扱う会員制宅配式無店舗販売事業を開始した[22]。
その後、1990年代には大型店14店を出店するなど、店舗の大型化を図ったが、そのうち過半の9店舗を熊本県内に出店しており、地元でのドミナント戦略は継続していた[23]。
1994年(平成6年)12月21日に福岡証券取引所に上場し[2][3]、華僑が経営する企業としては日清食品とロンシャンに続く3社目の上場となった[24]。 その後、1997年(平成9年)2月25日に大証2部にも上場した[5]。
しかし、中国事業の不振などで1998年(平成10年)3月期に約25億円の連結最終赤字を計上するなど業績が悪化[25]。 再建策として、既存店の活性化を目指して食品ディスカウントストア「スーパーバリュー」への業態転換を進めたり[26]、1999年(平成11年)に中国事業から撤退したり[27]、希望退職を募集して人員削減を実施し[28]、2000年(平成12年)には創業家の林瑞栄社長が退任した[29]。後任の社長としてトリアス社長の平山敞が就任することになった[11]。
2002年(平成14年)4月9日に、連結負債総額約1070億円を抱えて、民事再生法適用を申請して事実上倒産[30]。
業務提携を行っていた大手スーパーのダイエーは、民事再生法の適用申請を受け、提携解消の方針を発表[31]。
その関係もあり、民事再生手続においては、広島市に本拠を置く同業のイズミをスポンサーに選定[32]。
それに伴い、大型店4店舗をイズミの子会社であるゆめタウン熊本(元々山口県のSCゆめタウン長府の運営会社「長府商業開発」が改称したもの)に営業譲渡し、同社が賃料を当社に支払う形で債権の弁済資金の一部を確保[32]。
2003年(平成15年)7月に[33]当社と共同出資でに「株式会社ゆうあいマート」(現:ゆめマート熊本)を設立し[34]、食品スーパーの営業を継承して「ニコニコドー」の店名で継続[33]。 同社の利益と「ゆめタウン熊本」からの賃料と合わせて債務を返済し、再建を目指すことになった[32]。
以後はそれらの店舗の不動産管理業を営んでいたが、2007年(平成19年)2月25日付でゆめタウン熊本に吸収合併され、解散[14]。翌年の2008年(平成20年)9月に「ゆめタウン熊本」も「イズミ」本体に吸収合併され、法人格が消滅することになった[35]。
そして、2010年(平成22年)3月に最後まで「ニコニコドー」の店名で営業を継続していた松島店が「ゆめマート松島店」へ店名を変更し、ニコニコ堂が完全に消滅した[33]。
沿革
[編集]- 1950年(昭和25年) - 熊本市河原町で[6]「林康治商店」を創業[12]。
- 1958年(昭和33年)9月 - 熊本市センイセンター街でニコニコ堂として営業を再開[6]。
- 1960年(昭和35年)
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)11月 - CGCに加盟[39]。
- 1987年(昭和62年) - 女子陸上競技部を開設[24]
- 1989年(平成元年)7月 - ベスト電器とのフランチャイズ契約を解消し、上新電機とフランチャイズ契約[40]。
- 1994年(平成6年)12月21日 - 福岡証券取引所に上場[2][3]。
- 1995年(平成7年)
- 1997年(平成9年)
- 1999年(平成11年) - 中国事業から撤退[27]。
- 2000年(平成12年)
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)
- 2007年(平成19年)2月25日 - イズミの関連会社であるゆめタウン熊本に吸収合併され、解散[14]。
- 2008年(平成20年)9月 - 「ゆめタウン熊本」が「イズミ」本体に吸収合併[35]。
- 2010年(平成22年)3月 - 最後まで「ニコニコドー」の店名で営業を継続していた松島店が「ゆめマート松島店」へ店名を変更し、ニコニコ堂が完全に消滅[33]。
かつて存在した店舗
[編集]- 太字はイズミグループに引き継がれ、現存する店舗。
- ▲はニコニコドーからニコニコドースーパーバリューになり、後にニコニコドーの名称に戻った店舗。
- ×は解体された店舗。
- ビッグウェイ - 郊外型ディスカウントストア[17]。生鮮品の取り扱いはなし。
- スーパーバリュー - 食品ディスカウントストア[26]
- Books24 - 24時間営業の書店[47]
- ゆめマート熊本も参照のこと。
熊本県
[編集]熊本市
[編集]中央区
[編集]- 売場面積380m2[52]。
- 7階建ての店舗だった[53]。
- 売場面積298m2[55]
- 雑貨専門店[47]。
- モガドール上通店(熊本市上通[56])
- モガドール下通店(熊本市下通[56])
- チープシック新市街店(熊本市新市街[56])
- モガドール新市街店
- 婦人服専門店[47]。
- 新市街メロディハウス[8]
- 家電量販店へ業態転換[58]。
- 売場面積298m2[55]
- 1984(昭和50年)10月2日にニコニコ堂労働組合が店内に移転した[64]。
- ※現・江津店の道を挟んだ向かい側 店舗跡は、同仁堂(1F・ドラッグストア)・歯科、美容室(2F)→ミーツ江津ゆめマート別棟店[要出典]
- 売場面積214m2[60]。
- 延床面積6,771m2[59]、売場面積1,156m2[62] → 1,497m2[59] → 4,169m2[63]
- 売上高18億円(昭和53年)[62]
- 店舗跡は、建物解体 → 複合商業施設「Actyくまもと」(後にマリモへ経営権が移り、「MRRくまもと」へ改称)※ただし、立体駐車場部分は解体せずにそのまま使用し、2020年現在も現存。[要出典]
- ビッグウェイ南熊本店
- 売場面積567m2[66]。
- 京町店(熊本市京町本町98-3[54])
東区
[編集]- 売場面積1,695m2[62] → 1,982m2[69]。
- 駐車台数60台[69]。
- 売上高18億円(昭和53年)[62]
- 衣料品の他に、当社で初めて食料品の販売を行った[3]。
- 店舗跡は、建物解体 → パチンコ店[要出典]
- 健軍商店街(現・ピアクレス)の中に所在した。
- 売場面積79.22m2[71]
- じじや(居酒屋) → 九州すし市場(回転寿司)→じじや(回転寿司、居酒屋)[要出典]
- 秋津店(熊本市秋津町秋田3446-28[70])
- 売場面積270m2[60]
- 延床面積1,131m2[59]
- 売場面積560m2[56] → 700m2[59]
- 売上高5億3000万円(昭和53年)[56]
- ニコニコドー研修センター → ディスカウントドラッグコスモス託麻店[要出典]
- 延床面積11,749m2[75]、売場面積8,400m2[75]。
- 熊本市東バイパス沿い[3]
- 1996年(平成8年)3月期に増床[13]
- 2000年(平成12年)に家電量販店コジマが出店することになった[76]。
- ビッグウェイリカーセンター店(熊本市新南部町3-10-48[57])
南区
[編集]- 売場面積1,257m2[80]。
- 売場面積298m2[55]
- 売場面積298m2[55]
- 萩原店×(熊本市)
- 開業時点では、SSMのニコニコドーとディスカウントストアのビッグウェイの2業態で出店[83]。
- 敷地面積約90,100m2[82]、延床面積55,658m2[82]、売場面積22,735m2(当社16,031m2)[82]飲食1,718m2[82]、サービス6,078m2[82]。
- 店舗跡は、ゆめタウンはません
- ビッグウェイはません店(熊本市)
- クリスタルモールはません内に入居していたが、ニコニコドー時代に撤退。
- 売場面積2,055m2[84]。
西区
[編集]- 売場面積2,965m2[87]。
- 売場面積2,486m2[89]。
- 売場面積300m2[60]。
- 売場面積298m2[55]
- 城西店[90]
- 新土河原店(熊本市)
- 店舗跡は、業務用製品卸店「ラップス熊本」。[要出典]
北区
[編集]- 売場面積270m2[60]。
- 延床面積2,440m2[59]、売場面積1,286m2[62] → 1,497m2[59]、駐車台数約150台[92]。
- 売上高26億円(昭和53年)[62]
- 楠団地内に出店していた食品・日用品・衣料品を扱う店舗で夜9時まで営業していた[92]。
- 1996年(平成8年)7月26日に食品ディスカウントストア「スーパーバリュー」へ業態転換[93][94]
益城
[編集]- 売場面積2,550m2[95]。
- 売場面積485m2[55]。
荒尾市
[編集]- 売場面積650m2[66] → 2,700m2[49]。駐車台数約600台[49]。
- 三井グリーンランドに近い郊外立地で[49]、DIY用品や家電、カー用品など当時広域商圏が見込めた商品の品揃えを充実させた店舗として開業した[16]。
- ニコニコドーはあらおシティモール開店に伴い、移転のため閉店。跡地にビッグウェイが旧ニコニコドーフロアを拡張して営業を続けていたが、約1年後に閉店し閉鎖。[要出典]
- 長い間建物はそのままにされていたが解体され、現在は駐車場跡を含め住宅地へ、旧入口は拡張・延長され市道となっている。[要出典]
- 敷地面積約89,000m2[96]、延床面積約42,000m2[96]、売場面積23,459m2(当社11,618m2)[96]、駐車台数約2,000台[96]。
- ホームセンターサンコー(5,037m2)や鶴屋百貨店(1,500m2)と共に出店していた。
- 運営母体の「荒尾シティプラン(株)」は、当社とホームセンターサンコー、鶴屋百貨店という核店舗の運営会社の他、荒尾市も出資していた[96]。
- 店舗跡は、ゆめタウンあらお → ゆめタウンシティモール[要出典]
八代
[編集]- 売場面積1,480m2[60] → 6,409m2[63]) → 建物解体
- 売上高13億5000万円(昭和53年)[62]
- 1996年(平成8年)4月18日に既存のスーパーを改装して、ディスカウントストアを増設し、新装開店した[102]。
阿蘇
[編集]- 阿蘇店(現・阿蘇市黒川横井ノ本1536-2[70])
- 売場面積2,711m2[88]。
- 売場面積800m2[55]
- NEXT店(阿蘇町<現・阿蘇市>)※衣料品のみ
宇城市
[編集]玉名市
[編集]- 売場面積2,340m2[106]。
- 店舗跡は、ホームセンターサンコー天水店 → ホームセンターダイキ天水店 → DCM天水店[要出典]
天草
[編集]- 2010年(平成22年)3月に「ゆめマート松島店」へ店名を変更[33]。
人吉市
[編集]球磨郡
[編集]菊池郡
[編集]- 国立療養所菊池恵楓園入所者自治会の購買部事業を継承し、開店した[117]。
- 売場面積298m2[55]
- 売場面積499m2[80]。
- 売場面積501m2[55]
- 売場面積298m2[55]
山鹿市
[編集]- ウィズユー本館 → ビッグウェイ大牟田店
- 100円ショップダイソー大牟田店[要出典]
- ビッグウェイ太宰府店 → 太宰府店 → ビッグウェイシティモール太宰府店(太宰府市大字大佐野字篠原46-1[124]、1995年(平成7年)12月6日開店[125] - 2000年(平成12年)5月末閉店[126])
- 延床面積15,834m2[124]、売場面積11,478m2(当社6,674m2)[124]。
- 店舗跡は、ニトリ太宰府店[126]・ルミエール太宰府店[要出典]
- 一度ニコニコドーとなった後、再びビッグウェイとなった店舗だった。[要出典]
- 敷地面積50,145m2[128]、売場面積20,300m2(ニコニコドーとビッグウェイ13,946m2)[128]
- 烏栖シティモール開業時点では、総合スーパーのニコニコドーとディスカウントストアのビッグウェイの2業態で出店し、60店舗の専門店街を併設していた[128]。
- 1995年(平成7年)11月21日に別棟にゲームセンターとカラオケ店、ボウリング場などからなる複合型娯楽施設「テクモピア」が開業した[129]。
- 2000年(平成12年)に家電量販店コジマが出店することになった[76]。
- 店舗跡は、イズミが2003年(平成5年)に「ゆめタウン鳥栖」を開業した後、2010年(平成12年)4月にスーパーセンターへ業態変更して「スーパーセンターイズミ鳥栖店」となったものの、2013年(平成15年)6月2日に閉店となった[130]。また、2013年(平成15年)3月24日に家電量販店コジマも閉店した[130]。
- 店舗跡は、2015年(平成17年)7月2日に複合商業施設「ライフガーデン鳥栖」が開業し、ディスカウントストアのダイレックス、家電量販店のケーズデンキなどが出店することになった[131]。
- 敷地面積約18,000m2[17]。
- 売場面積4,050m2[17]。
- 平屋建て[17]。
- 店舗跡は、ゆめタウン大村(数カ月で閉店)[要出典] → エレナ大村中央店[132]・ナフコ南大村店[要出典]
パチンコ店
[編集]- 下通店[8](熊本市下通1-4[133]ニコニコビル1階[134])
- 上通店[8](熊本市上通町)
- 新町店[8](熊本市新町)
- 健軍店[8](熊本市若葉町)
- 鏡店[8](八代郡鏡町)
- 菊南店[8](菊池郡西合志町)
- 大矢野店(大矢野町[108])
国内関連会社
[編集]- (株)オートラマ熊本[18]
- (株)ダイヤ企画[18]
- 未来建設(株) - 店舗やビルの建設会社として創業したのち、「未来ホーム」のブランドで住宅事業にも進出した[135]。
- (株)ニコニコドーロジテック - 物流センター運営[136]
- 大一 - 水産物商社[137]
中華人民共和国
[編集]1986年(昭和61年)に香港のグッドホープビルディングを約40億円で買収し、その賃料及び一部フロアの売却代金を合わせた合計33億円を再投資する形で、中国本土の事業への出資を行っていたが[138]、1999年(平成11年)に中国事業から撤退[27]。
香港
[編集]- 1986年(昭和61年)9月設立[140]。
- 1986年(昭和61年)にグッドホープビルディングを約40億円で買収し、運営していた不動産会社[138]。(ビルの敷地面積2,000m2[140]、地上9階建て[140])
- 合計33億円を再投資する形で、中国本土の事業への出資を行っており、中国事業の投資母体となっていた[138]。
中国本土
[編集]- 北京国際芸苑有限公司(ホテル[142]、出資比率49%[144])
- 北京麗旦有限公司(延慶県[145]、衣料品縫製業[142]、出資比率35%[146])
- 北京華笑有限公司(密雲県[145]、衣料品縫製業[142]、出資比率33%[146])
- 北京通日紡織品服務有限公司(商社[142])
上海市
[編集]企業スポーツ
[編集]1981年(昭和56年)に[150]、林瑞栄の発案による社会人野球部を創設したのが始まりである[12]。
同部には佐伯真貴(元・熊本ゴールデンラークスコーチ兼捕手)やビクトル・メサ(2013年WBCキューバ代表監督)らが、所属していた。[要出典]
1987年(昭和62年)に女子陸上競技部を開設[24]。 同年に岐阜で行われた全日本実業団対抗女子駅伝競走大会で熊本県植木町出身の松野明美が12人抜き[24]。 その後も松野明美の活躍で当社は全国的にも知られる存在となった[24]。 また、中国からも有力な女子陸上選手が入部するなどしていた[24]。
地元熊本出身の岡田正裕が監督に就任。[要出典] 全日本実業団対抗女子駅伝競走大会でも第10回大会(1990年(平成2年))の3位を始め上位入賞の経歴を持っている。[要出典]
3番目に作られたラグビー部は、ニュージーランドからの助っ人を獲得するなどして、Aクラスとなっていた[12]。 同部には藤井雄一郎(現・静岡ブルーレヴズ監督)らが所属していた。[要出典]
回 | 年度 | 地区 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
49 | 1996 | 西日本 | 予選プール敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 60 | 244 | -184 | ニコニコドーのチーム名で出場 |
50 | 1997 | 西日本 | 予選プール敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 69 | 181 | -112 | |
51 | 1998 | 西日本 | 予選プール敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 84 | 154 | -70 |
関連項目
[編集]- イズミ
- カリーノ - 前身の寿屋はかつて熊本に本社があった同業者であり、同時期に民事再生法を適用。こちらはスポンサーがつかず、全店休業の上、個別で各店舗を他社に引き取られている。
- ダイエー - 2000年より業務提携をしていた同業者。前述の通りわずか2年で解消。
- 上場廃止となった企業一覧
- 民事再生法を適用した企業一覧
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “特集 「地場投資家の薦め」 変わり始めた地方証券取引所をホームグラウンドに”. Japanese investor 第12号 1995夏号 (フィナンシャルメディア) (1995年7月).pp7
- ^ a b c d “兜町情報アラカルト”. 野田経済 1995年2月号 (野田経済研究所) (1995年2月).pp55
- ^ a b c d e f g h “ニコニコ堂 林瑞栄(株式会社ニコニコ堂社長) スーパー店チェーンと中国での事業が主柱”. 証券アナリストジャーナル 1995年4月号 (日本証券アナリスト協会) (1995年4月).pp47
- ^ “株式市場は選別色の強さが続く”. 証券調査月報 2000年8月号 (岡三経済研究所) (2000年8月).pp17
- ^ a b c “DIK経済日誌(新聞記事より) 1月15日~2月14日の主な出来事”. DIKウインドゥ 1997年3月号 (地域流通経済研究所) (1997年3月).pp35
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- ^ a b c d e f g h i j 『熊本年鑑 昭和54年版』 熊本年鑑社、1979年1月20日。pp256
- ^ a b c d 平尾壮一“多角的ゲリラ戦略で業界水準の二倍の収益を上げる”. 近代中小企業 1983年4月号 (中小企業経営研究会) (1983年4月1日).pp64
- ^ a b “ニコニコ堂 林瑞栄(株式会社ニコニコ堂社長) スーパー店チェーンと中国での事業が主柱”. 証券アナリストジャーナル 1995年4月号 (日本証券アナリスト協会) (1995年4月).pp48
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- ^ a b c d e f g 西木田恭生“トピックス 上場申請したニコニコ堂中国人経営者に〝思い〟を聞く”. 長銀総研L 1993年9月号 (長銀総合研究所) (1993年9月).pp23
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- ^ a b c “子会社合併に関するお知らせ | イズミ” (日本語). 2023年4月26日閲覧。
- ^ 『山陽年鑑 昭和39年版』 山陽新聞社、1964年。pp91
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- ^ 『新・熊本の歴史 9 現代』 熊本日日新聞社、1983年2月。pp219
- ^ “第16回経営者賞 (株)ヨコオ・横尾英彦社長ら4氏に経営者賞”. あすの九州・山口 1989年5月号 (九州経済連合会) (1989年5月).pp10
- ^ 小川阿希子 “熊本県の小売業 その歴史と特徴”. DIKウインドゥ 2000年6月号 (地域流通経済研究所) (2000年6月).pp17
- ^ a b c 上野良甫 “〈変貌するサービス業〉ニューサービス業へ展開する宅配業”. 九州経済統計月報 1986年11月号 (九州経済調査協会) (1986年11月).pp39
- ^ 北島剛明 “九州における総合スーパーの出店戦略”. 九州経済調査月報 1999年9月号 (九州経済調査協会) (1999年9月).pp21
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- ^ “3月の対中商談”. MRI中国情報 1998年4月号 (三菱総合研究所) (1998年94月).pp37
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- ^ “DIK経済日誌 1999年2月15日~3月14日の主な出来事”. DIKウインドゥ 1999年4月号 (地域流通経済研究所) (1999年4月).pp35
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