大津保村
表示
おおつほむら[1] 大津保村 | |
---|---|
大籠殉教記念クルス館 | |
廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併(分割) 大津保村(一部)、藤沢町、黄海村、八沢村 → 藤沢町 大津保村(一部)、折壁村、矢越村 → 室根村 |
現在の自治体 | 一関市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 岩手県 |
郡 | 東磐井郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 67.32 km2. |
総人口 |
4,733人 (『岩手県町村合併誌』、1955年2月) |
隣接自治体 |
岩手県:東磐井郡:藤沢町、八沢村、小梨村、矢越村 宮城県:本吉郡:本吉町、新月村、登米郡米川村、気仙沼市 |
大津保村役場 | |
所在地 | 岩手県東磐井郡大津保村保呂羽字二本柳46-2 |
座標 | 北緯38度50分44秒 東経141度22分31秒 / 北緯38.84569度 東経141.37531度座標: 北緯38度50分44秒 東経141度22分31秒 / 北緯38.84569度 東経141.37531度 |
ウィキプロジェクト |
大津保村(おおつほむら)は、1955年(昭和30年)まで岩手県東磐井郡にあった村。現在の一関市藤沢町大籠・藤沢町保呂羽・室根町津谷川にあたる。
地理
[編集]自然
[編集]- 山岳:保呂羽山
- 河川:津谷川、黄海川、大籠川
歴史
[編集]年表
[編集]村内での主な事象。
- 1889年(明治22年)12月15日 - 大津保巡査駐在所を開設[2]。
- 1890年(明治23年)1月 - 庁舎を保呂羽字二本柳へ移転[3]。
- 1901年(明治34年)1月 - 新庁舎を落成[3]。
- 1906年(明治39年)3月6日 - 津谷川巡査駐在所を開設[2]。
- 1909年(明治42年)9月 - 大津保村営模範桑園を開設[4]。
- 1915年(大正4年) - 大津保村青年会が発足[5]。
- 1923年(大正12年)10月30日 - 上大籠尋常小学校と下大籠尋常小学校が統合し、大籠尋常高等小学校が開校[6]。
- 1925年(大正14年) - 大津保村消防団が発足。下津谷川尋常小学校が津谷川尋常高等小学校へ統合し、下津谷川分教場を開設[7]。
- 1929年(昭和4年)7月 - 大津保村道路組合が発足[8]。
- 1931年(昭和6年) - 蚕業組合が発足[9]。
- 1935年(昭和10年)12月 - 大津保村診療所を義捐金で建設[10]。
- 1941年(昭和16年) - 銃後奉公会が発足[11]。
- 1947年(昭和22年)
- 1949年(昭和24年) - 大津保中学校津谷川分校が、津谷川中学校として独立[12]。
- 1952年(昭和27年)10月 - 産業振興協議会を発足し、県に対して農村建設計画指定村の運動を実施[14]。
行政区域の変遷
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、大籠村・津谷川村・保呂羽村の計3か村が合併して大津保村が発足。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 旧大籠・保呂羽村域(34.51平方km、2,767人)が藤沢町・黄海村・八沢村と合併して新制の藤沢町の一部に、旧津谷川村域(32.81平方km、1,966人)が折壁村・矢越村と合併して室根村の一部になる。
行政
[編集]歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 畠山東助 | 1889年(明治22年)6月9日 | 1889年(明治22年)9月21日 | |
2 | 首藤賢一郎 | 1889年(明治22年)9月22日 | 1891年(明治24年)3月13日 | |
3 | 小野定之進 | 1891年(明治24年)4月4日 | 1892年(明治25年)9月9日 | |
4 | 熊谷道太郎 | 1892年(明治25年)9月20日 | 1910年(明治43年)2月26日 | |
5 | 石田貞之進 | 1910年(明治43年)8月4日 | 1915年(大正3年)9月20日 | |
6 | 小野定之進 | 1915年(大正3年)12月13日 | 1916年(大正4年)12月2日 | 再任 |
7 | 千葉信平 | 1916年(大正5年)1月31日 | 1920年(大正9年)5月6日 | |
8 | 皆川鶴太郎 | 1920年(大正9年)6月30日 | 1924年(大正13年)6月28日 | |
9 | 畠山重則 | 1924年(大正13年)7月21日 | 1936年(昭和11年)2月20日 | |
10 | 皆川鶴太郎 | 1936年(昭和11年)4月1日 | 1940年(昭和15年)3月31日 | 再任 |
11 | 畠山隆治 | 1940年(昭和15年)4月6日 | 1946年(昭和21年)11月23日 | |
12 | 沼倉勇 | 1947年(昭和22年)4月6日 | 1950年(昭和25年)5月14日 | |
13 | 畠山孟 | 1950年(昭和25年)7月5日 | 1954年(昭和29年)7月4日 | |
14 | 畠山隆治 | 1954年(昭和29年)7月5日 | 1955年(昭和30年)3月31日 | 再任 |
出典:[15]
公的機関
[編集]警察
[編集]- 千厩警察署大津保巡査駐在所(保呂羽字二本柳96番地の1) - 1889年、保呂羽字嶺沢の民家の離れを借用して開設した。1901年には保呂羽字二本柳に22坪5合の庁舎を設けて移転した。1906年には津谷川巡査駐在所の開設に伴い、管轄区域を村内全域から保呂羽地区と大籠地区に縮小した[2]。
- 千厩警察署津谷川巡査駐在所(津谷川字本宿15番地[16]) - 1906年、津谷川地区を管轄として開設した。山を隔てた保呂羽地区にある大津保駐在所では、津谷川地区を受け持つにあたって峠越えをする必要があるため、治安面も含めて解消すべく設置した[2]。
医療
[編集]- 大津保村国民健康保険営保呂羽診療所(保呂羽字二本柳地内) - 1935年に開設した、村内はもとより藤沢町域では初となる公立の医療機関である。もともと村内には1人の開業医がおり、その医師が村の医療を担っていたが、設立の1年前に興田村へ移転したことにより無医村となった。そこで同診療所が開設するまでは、「恩賜救療」と称した恩賜財団済生会による月3回の出張診療を行って凌いだ。1950年には大津保村診療所から改称した[17]。
- 大津保村国民健康保険営津谷川診療所(津谷川字本宿地内) - 1950年ごろに開設した[18]。
教育
[編集]村内に高等学校は所在しない。最寄りの高校は岩手県立藤沢高等学校(藤沢町藤沢)。
中学校
[編集]- 大津保村立大津保中学校
- 大津保村立津谷川中学校
小学校
[編集]- 大津保村立保呂羽小学校
- 大津保村立大籠小学校
- 大津保村立津谷川小学校
※以下は廃校
- 大津保村立上大籠尋常小学校(1923年・新設の大籠尋常高等小学校へ統合)[19]
- 大津保村立下大籠尋常小学校(同上)[19]
- 大津保村立下津谷川尋常小学校(1925年・津谷川尋常高等小学校へ統合)[7]
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 渡辺光、中野尊正、山口恵一郎、武正英『日本地名大事典 第6巻 東北』朝倉書店、1967年6月30日、341頁。doi:10.11501/2977536 。
- ^ a b c d 藤沢町史編纂委員会 1984, p. 744.
- ^ a b 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 553.
- ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 555.
- ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 556.
- ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 151.
- ^ a b 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 558.
- ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 559.
- ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 560.
- ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 561.
- ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 562.
- ^ a b 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 167.
- ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 563.
- ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 565.
- ^ 藤沢町史編纂委員会 1984, pp. 29–30.
- ^ 岩手県警察史編さん委員会 編『岩手県警察史 第3巻』岩手県警察本部、1996年3月31日、127頁。doi:10.11501/9639947。
- ^ 藤沢町史編纂委員会 1984, pp. 561, 779.
- ^ 藤沢町史編纂委員会 1984, p. 779.
- ^ a b 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 154.
参考文献
[編集]- 岩手県総務部地方課 編『岩手県町村合併誌』岩手県総務部地方課、1957年3月30日。doi:10.11501/3027606。
- 藤沢町史編纂委員会 編『藤沢町史 本編 中』藤沢町、1984年2月25日。doi:10.11501/9571179。
- 藤沢町史編纂委員会 編『藤沢町史 本編 下』藤沢町、1981年3月。doi:10.11501/9570523。