コンテンツにスキップ

尾田賢典

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尾田 賢典
Yoshinori ODA
Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム 尾田 賢典
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技
種目 長距離走マラソン
所属 トヨタ自動車
大学 関東学院大学
生年月日 (1980-12-05) 1980年12月5日(44歳)
生誕地 熊本県の旗熊本県山鹿市
身長 163cm
体重 49kg
引退 2015年
自己ベスト
1500m 3分49秒31 (2007年)
3000m 7分59秒45 (2007年)
5000m 13分42秒67 (2007年)
10000m 27分53秒55 (2010年)
ハーフマラソン 1時間01分41秒 (2009年)
マラソン 2時間09分03秒 (2011年)
編集 テンプレートのヘルプを表示する

尾田 賢典(おだ よしのり、1980年12月5日 - )は、熊本県山鹿市出身の陸上競技選手。専門は長距離走マラソン2011年世界陸上大邱大会男子マラソン日本代表。大牟田高等学校関東学院大学卒業。現役時代はトヨタ自動車陸上長距離部に所属した。東洋大学日産自動車陸上競技部→西鉄駅伝部に在籍していた尾田寛幸は弟である。

経歴

[編集]

大牟田高校では2年次まで主力選手ではなかったが、3年生になると頭角を現し第49回全国高校駅伝では6区で区間賞を獲得した。

関東学院大学では1年次からチームのエースとして活躍。箱根駅伝は3回出場し、1年次の第76回大会では華の2区を務めるも区間最下位。3年次の第78回大会では1区に起用されリードを奪うことが求められるも、終盤まで大集団のまま牽制が続き区間5位に終わる。4年次の第79回大会では再び2区を務め、12人抜きの走りで20位から8位まで順位を押し上げたが区間順位は8位に留まった。

大学4年次は関東インカレ2部の5000mと10000mで二冠を達成。5000mでは13分台、10000mでは28分23秒まで記録を伸ばした[1]

トヨタ自動車入社当初はトラック種目での活躍が多く、日本選手権10000mには入社1年目から10年連続で出場した。

2年目の2004年には10000mで28分03秒92を記録しアテネオリンピックB標準を突破。兵庫リレーカーニバルでは三津谷祐佐藤敦之に次いで日本人3位となった[1]

2009年には第93回日本選手権10000mで3位入賞を果たすも、同年のベルリン世界選手権の代表には届かなかった。

東京マラソン2010で初マラソンを予定していたが、同年のニューイヤー駅伝の後、アキレス腱と股関節を痛めたため出場を回避した[1]

2010年10月には10000mで27分53秒55の自己ベストをマーク。翌2011年のニューイヤー駅伝ではエース区間である4区を走り、トヨタ自動車の初優勝に貢献した。

2011年2月の東京マラソン2011で30歳にしてマラソンデビュー。一時は日本人トップに立つものの、後方から猛追してきた川内優輝に39Km地点で逆転を許した。それでも初マラソンとしては日本歴代3位となる2時間09分03秒を記録し日本人2番手の4位に入賞。同年9月の世界陸上大邱大会マラソン代表に選出された[2]

しかし、世界陸上大邱大会男子マラソン本番では上位争いに加われず、2時間18分05秒で日本人4番手の28位[3]に終わった。

その後も初マラソンの記録を越えることができず、2015年の別府大分毎日マラソンを最後に現役を引退した[4]

引退後はランナーサポートステーションRunupで活動しながら陸上競技を続けており、2017年には1500mのマスターズM35日本記録を更新した。また、トレイルランにも挑戦しており、各地の大会に精力的に参加している。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 遅咲きランナーのこだわり”. rikujouweb.com. 2015年6月27日閲覧。
  2. ^ 第66回福岡国際マラソン選手権大会 国内招待選手”. 九州朝日放送 (2012年). 2015年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月27日閲覧。
  3. ^ 当初、尾田の同大会男子マラソンは29着だったが、後年のドーピング再検査で4着だったモロッコ代表の選手が違反・失格と成った為、28位に繰り上がった。
  4. ^ 尾田感無量の引退 13位も「悔いない」”. 日刊スポーツ (2015年2月1日). 2015年6月27日閲覧。

外部リンク・参考

[編集]