筒井壮
阪神タイガース 外野守備兼走塁チーフコーチ #96 | |
---|---|
2016年3月20日 阪神鳴尾浜球場にて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府茨木市 |
生年月日 | 1974年11月1日(50歳) |
身長 体重 |
180 cm 79 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手、外野手 |
プロ入り | 1996年 ドラフト7位 |
初出場 | 1997年4月15日 |
最終出場 | 2004年8月8日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
コーチ歴 | |
| |
この表について
|
筒井 壮(つつい そう、1974年11月1日 - )は、大阪府茨木市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、コーチ。現役引退後の2007年から阪神タイガースのコーチを務めている。
プロ野球選手・監督であった星野仙一の次姉の息子であり[1]、星野の甥にあたる[2][3]。
来歴
[編集]プロ入り前
[編集]上宮高等学校では1年夏に右翼手としてエース宮田正直らを擁して夏の府大会決勝へ進むが、中村紀洋が4番を打つ渋谷高に敗れる。2年秋からは一塁手となり、同期のエース西浦克拓、2番手投手の黒田博樹らと近畿大会準優勝を果たすが選抜の選考前に学校が辞退を表明。卒業後は星野と同じく明治大学へ進学。
明治大学では、2年時の1994年に東京六大学リーグ春季リーグ戦で首位打者のタイトルを獲得。在学中には、リーグ通算74試合の出場で、打率.305(223打数68安打)、6本塁打、36打点を記録したほか、ベストナインにも2回選ばれた。同期に橿渕聡、1学年先輩に野村克則、中村豊(高校でも1年先輩)、1学年後輩に川上憲伸がいた。
1996年のNPBドラフト会議で、星野が選手・コーチ・監督として在籍していた中日ドラゴンズから7巡目で指名。内野手として入団した。入団発表の時点では背番号4を着用することが決まっていたが、球団が発表後にレオ・ゴメスを獲得したことに伴って、背番号を37に変更した。
プロ入り後
[編集]- 2003年
- 59試合に出場し打率.291、2本塁打を記録。とりわけ監督の山田久志がシーズン途中で休養し、佐々木恭介が監督代行となった以降の9月12日から14日の阪神戦(ナゴヤドーム)で中日に3連勝をもたらし、同年の阪神最終戦(甲子園)で決勝3ランを放ち阪神の完全優勝を阻止した。
- 2004年
- 4年ぶりのファーム日本選手権制覇に貢献したものの、シーズン終了後の11月23日に戦力外通告を受ける。この年の第2回合同トライアウト実施前日の戦力外通告であり(第1回は既に終了していた)、遅すぎる戦力外通告であると中日はマスコミや評論家から批判された。なお監督の落合博満はこの件に関して、「トライアウトの日時を間違えてしまった」と筒井に対して謝罪している。
- 2005年
- 阪神へ移籍。当時は叔父の星野が同球団のSA(オーナー付シニアディレクター)を務めていて、一軍はこの年に岡田彰布(星野の後任監督)の下でセントラル・リーグ(セ・リーグ)優勝を2年振りに果たした。もっとも、筒井自身は出番に恵まれなかった。
- 2006年
- 阪神で一軍公式戦への出場機会がないまま、10月6日に現役引退を表明。星野も、この年限りでSA職を退任した。
現役引退後
[編集]2006年以降も、コーチとして阪神に在籍。2012年までは育成コーチ、2013年から2015年までは二軍内野守備走塁コーチ、2016年は二軍打撃コーチを歴任した。
現役時代のメインポジションが内野手でありながら、2017年からは外野守備走塁コーチとして、主に外野手を指導している。2018年までは二軍で指導していたが、同年に二軍監督としてウエスタン・リーグ優勝を達成した矢野燿大が一軍監督へ就任したことに伴って、2019年から一軍へ異動。異動後は、試合(チームの攻撃イニング)中に一塁のベースコーチとしてグラウンドに出ている。本人によれば、「どの球場で試合に臨んでいても、『(イレギュラーバウンドなどで一塁手に)何か(守備の綻び)が起こることは避けたい』との思いから、味方の攻撃が終わるたびに一塁ベース付近の土を均してからベンチに戻ることを心掛けている」とのことである[4]。
なお、一軍全体の走塁力の向上を図る矢野の方針で、2021年と2022年には分析担当を兼務[5]。代走要員の選手への指示を兼務前より細かくするなどの工夫を通じて、盗塁成功率や得点力の向上に貢献している[6]。2021年には、新人の中野拓夢内野手が出塁中に牽制球を投げられた際の帰塁の速さに着目。アマチュア時代は盗塁と無縁で、春季キャンプ中の紅白戦や練習試合でも盗塁の失敗が続いていた中野に対して、出塁の際にリードの幅を広げるよう指導した。中野は、レギュラーシーズンでプロ初盗塁から12回連続で盗塁を成功させるなどの活躍で、正遊撃手の座を木浪聖也から奪取。結局、盗塁王のタイトルを獲得した[7]ほか、同期入団の佐藤輝明・伊藤将司と揃ってセ・リーグの新人特別賞を受賞した。
岡田が阪神の一軍監督へ15年振りに復帰した2023年シーズンも、一軍の外野守備走塁コーチとしてチームに残留。岡田の方針で分析担当から外れた[8]ものの、一塁のベースコーチを引き続き任されていて、前述した2005年以来18年振りのセ・リーグ優勝にも貢献した。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | 中日 | 37 | 45 | 42 | 2 | 9 | 1 | 0 | 0 | 10 | 3 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 9 | 1 | .214 | .227 | .238 | .465 |
1998 | 35 | 100 | 89 | 7 | 22 | 3 | 1 | 0 | 27 | 4 | 0 | 0 | 2 | 0 | 9 | 0 | 0 | 19 | 3 | .247 | .316 | .303 | .620 | |
1999 | 9 | 16 | 13 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | .077 | .200 | .154 | .354 | |
2000 | 23 | 43 | 36 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 1 | 7 | 1 | .167 | .286 | .167 | .452 | |
2001 | 13 | 15 | 13 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .077 | .077 | .077 | .154 | |
2002 | 5 | 6 | 6 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .500 | .500 | .500 | 1.000 | |
2003 | 59 | 60 | 55 | 10 | 16 | 4 | 1 | 2 | 28 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 14 | 1 | .291 | .350 | .509 | .859 | |
2004 | 10 | 10 | 9 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 1 | .333 | .400 | .333 | .733 | |
通算:8年 | 191 | 295 | 263 | 22 | 61 | 9 | 2 | 2 | 80 | 18 | 1 | 0 | 7 | 1 | 21 | 1 | 3 | 59 | 7 | .232 | .295 | .304 | .599 |
表彰
[編集]- ファーム日本選手権MVP:1回(2000年)
記録
[編集]- 初記録
- 初出場:1997年4月15日、対阪神タイガース1回戦(阪神甲子園球場)、7回表に古池拓一の代打として出場
- 初打席:同上、7回表に古溝克之の前に三振
- 初安打:1997年4月30日、対広島東洋カープ4回戦(ナゴヤドーム)、8回裏に古池拓一の代打として出場、大野豊から左前安打
- 初打点:1997年5月21日、対阪神タイガース7回戦(ナゴヤドーム)、6回裏に片瀬清利から
- 初先発出場:1997年6月1日、対ヤクルトスワローズ10回戦(千葉マリンスタジアム)、7番・三塁手として先発出場
- 初本塁打:2003年6月14日、対横浜ベイスターズ12回戦(横浜スタジアム)、9回表に遠藤政隆の代打として出場、森中聖雄から左越ソロ
背番号
[編集]- 4(1997年の入団発表時のみ)
- 37(1997年 - 2004年)
- 46(2005年)
- 99(2006年)
- 79(2007年 - 2009年)
- 96(2010年 - )
脚注
[編集]- ^ 『サンケイスポーツ』2020年4月30日付「【緊急事態の虎】2003年 星野監督、胴上げ2日前に最愛の母がこの世を去る」(産業経済新聞社)
- ^ 『ドラゴンズファンブック '97』 中日新聞社、1997年
- ^ 『中日新聞』1996年11月19日朝刊19頁「明治神宮野球 第3日 愛工大、エース崩れ涙のむ 決勝は明大 - 東北福祉大」、11月21日朝刊27頁「中日、2位に森野(東海大相模高)浮上。きょうドラフト 1、2位無抽選か」、11月22日朝刊32頁「プロ野球ドラフト会議 五輪チームから指名9人 竜に新風“高校生トリオ”」「プロ野球ドラフト会議 ガッツおじ譲り。7位筒井『頑張るだけ』」、11月29日朝刊33頁「脱衣室」、12月18日朝刊22頁「若竜8人、舞台はドームだ 4球団がルーキー入団を発表 『2年後、球速160キロ』 小山意欲」
- ^ “虎の守備を支える筒井コーチの気遣いルーティン「少しでもタイガースの勝ちにつながるのであれば」”. スポーツニッポン. (2023年4月17日) 2023年9月23日閲覧。
- ^ “阪神が組閣発表 新設・バント担当に久慈コーチ 分析担当に筒井コーチ”. スポーツニッポン. (2020年11月13日) 2023年1月17日閲覧。
- ^ 私たち失敗しないので 首位・矢野阪神の神髄、代走軍団(『朝日新聞』2021年5月16日付記事)
- ^ 【球界ここだけの話】 阪神・中野を盗塁王へと導いた筒井コーチの〝眼力〟(『サンケイスポーツ』2021年11月27日付記事)
- ^ “阪神が今季の全首脳陣を発表 OB今岡真訪氏が6年ぶり復帰、元オリックス水口栄二氏が新入団”. Full-Count (2023年1月17日). 2023年1月17日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 筒井壮 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)