DIE IN CRIES
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DIE IN CRIES | |
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出身地 | 日本 |
ジャンル | ロック ニュー・ウェイヴ ポストパンク エレクトロ |
活動期間 | 1991年 - 1995年 |
レーベル |
DANGER CRUE RECORDS(1991) BMG Victor/ariola(1992-1995) |
メンバー |
KYO(Vox) 室姫深(G) TAKASHI(B) YUKIHIRO(Dr) |
DIE IN CRIES(ダイ・イン・クライズ)は、日本の ニュー・ウェイヴ 系バンド。1991年から1995年まで活動した。00年代のポストパンク系やエレクトロ系、そして後のヴィジュアル系と呼ばれるバンドにまで多大な影響を与えた。
メンバー
[編集]- Vox : KYO(ex.横須賀サーベルタイガー→D'ERLANGER→DIE IN CRIES→ソロ→BUG, D'ERLANGER→D'ERLANGER)
- Guitar : 室姫深(ex.THE MAD CAPSULE MARKETS→DIE IN CRIES→BLOODY IMITATION SOCIETY→BUG→LIV, THE SPIN, Creature Creature, TETSUYA, AA=→AA=, SUSIE LOVE, Acid Black Cherry, DooDooDooMiuMiuMiu)
- Bass : TAKASHI(ex.THE ACE→DIE IN CRIES→FAME(後に“HybriD”と改名)→BUG, Cracker Jack→BUG)
- Drums : YUKIHIRO(ex.ZI:KILL→OPTIC NERVE→DIE IN CRIES→L'Arc〜en〜Ciel, acid android, geek sleep sheep)
略歴
[編集]D'ERLANGER解散後、1991年にKYOのソロプロジェクトとして始動。 ソロプロジェクト第一弾のリリースとなった『NOTHINGNESS TO REVOLUTION』には、YUKIHIROと室姫深のユニット"OPTIC NERVE"が参加、そこにTAKASHIが加わりバンドとしての活動が始まった。
当初、KYOは「喜怒哀楽」の足りない部分を表現することをテーマとして、ドイツ語で「3つの表情」という意味を持つバンド名にする予定であったが、最終的にはRain Tree Crow(ジャパン再結成時のバンド)の楽曲、"Cries And Whispers"の歌詞から"DIE IN CRIES"をバンド名とした。
D'ERLANGERやZI:KILLでの知名度もあり、1993年には日本武道館公演を成功させるほどの人気を獲得したが、翌年の一時的な活動休止を挟んだ1995年、『Seeds』発表後の7月2日に東京ベイNKホールでのライヴを最後に解散した。
その他
[編集]- KYOはD'ERLANGER解散後「今まで接してくれてた人がいきなり冷たくなったり、連絡が取れなくなり人間不信になった。その時似たような境遇のYUKIHIROから連絡をもらって運命的なものを感じた」と語っている。
- YUKIHIROがZI:KILL時代に、レコーディング中にロンドンで突然脱退してしまい、現地からKYOに「一緒にバンドをやらないか?」と電話をかける。KYOは「とにかく会って話がしたい」とYUKIHIROに伝え、渋谷公会堂でのYUKIHIROが脱退したZI:KILL復活ライブで2人は再会することになる(このライブのドラマーが元D'ERLANGERのTETSUの"ZI:KILL初"ライブ)。関係者の席にはZIGGYのボーカル、森重樹一がおり、挨拶に行ったKYOとYUKIHIROに「珍しい組み合わせだね。2人でバンドでも組むの?」と尋ねられ、どういう音楽をやるのか決まっていないのにもかかわらず、KYOが「はい、そのつもりです」と返答。KYOはその時のことを「誰にも相手にされなかった時、森重さんが自分の事を心配してくれてたのがとても嬉しかった」とロッキンFのインタビューでコメントしている。
- バンドを結成するにあたり、ベーシスト探しでとても難航する。SHINが「1人思い当たるヤツがいる」と声をかけたのがTAKASHIである。ちなみにTAKASHIは当時、横須賀のスタジオでバイトをしており、KYOとYUKIHIROはTAKASHIがバイトをしていたスタジオでインディーズ時代、それぞれのバンドでリハーサルを行なっている。SHINがスタジオにTAKASHIを連れてきた時、それぞれが顔見知りなことに驚き、その日に加入が決まった。
- ポッと出の印象が強いTAKASHIだが、DIE IN CRIES加入前には横須賀で現Every Little Thingの伊藤一朗らと"THE ACE"というバンドで活動しており、その実力はX JAPANのHIDEも認めていた[要出典]。hideの2ndアルバム「PSYENCE」収録の楽曲「限界破裂」、「BACTERIA」の2曲に参加していることがクレジットにより確認できる。
- マッドカプセル時代のSHINとZI:KILL時代のYUKIHIROは横浜で対バンしたことがある。KYOがDIE IN CRIESを結成する際「いいギタリスト知らないか?」と相談したところ「パンクなのにポップなことやってクビになったヤツなら心当たりある」と話を持ちかけたのがSHINである。
- KYOいわく、「あまりしゃべらんSHINに、全くしゃべらんYUKIHIRO、勝手にしゃべるTAKASHI」とのこと。
- 1stアルバム『VISAGE』製作中、毎日のようにけんかになっていたとKYOは語っている。また、制作中にSHINはローランドのシンセギター「G-707」から突如フェルナンデスのストラトキャスターにギター・シンセサイザーピックアップを搭載したものに変えてしまう(アルバム制作中にフェルナンデスとのモニター契約が決まってしまった理由もある)。TAKASHIもベースのネックをフレットレスに変更してしまいKYOは「こんな行き当たりばったりなレコーディングでアルバムをリリースできるのか不安だった」とコメントしている。
- VISAGEツアーの地方ライブはラストが『慈悲の椅子』で終わり、打ち上げも暗い雰囲気であった。
- 「無口な夜」を作曲した際、メンバーの評判はとても悪く、レコーディングでも揉めてしまったが、最終的には「演奏すればするほどライブでは外せない曲になってしまった」とKYOが語っている。
- 「MY EYES ~僕の瞳よ~」のYUKIHIROのレコーディングが難航し、デモテープを聴き直した際「これホントに僕が叩いてるの?」と言うほどのフィルアレンジだったとYUKIHIRO自身がコメントしている。
- 室姫が使用するギターの♂♀柄はフェルナンデスの布袋モデルを参考にしたと雑誌「GIGS」のインタビューで語っている。ギター・シンセについてはBUCK-TICKの今井寿から影響を受けている。室姫は「音源を作るのに難しく、微妙なタイムラグの発生にとても悩んだ。シンセを搭載しなかったらもっとレコーディングは早く終わっていたかもしれない」と言っている。なお、後期のアルバムではギター・シンセはほとんど使用していないが、後に結成する「BUG」では積極的にギター・シンセのギターを使用している。
- まれにKYOは、人が言わないあだ名を突然つけることがある。ラジオ番組で、ゲストをあだ名で呼び続けた挙句、一度も名前を紹介せず、後で怒られたことがある。また、ある日突然TAKASHIを「キンちゃん」(注:彼の名字である金内に由来)と呼びだし、ファンから「誰だ!」と言われた。
- 1993年のErosツアー最終日、初の日本武道館で3度めのアンコールの際、日本武道館の使用時間をオーバーする寸前であった。(アンコールだけで1時間かかっている)KYOは3度めのアンコールの際「最後にBEARDSLEY(BEARDSLEYのPUZZLE)演りたい!」とスタッフに詰め寄ると「だったら行け! どうにかする!」とステージに送り出された。演奏終了後、KYOは「武道館の使用許可は二度と降りないだろうと思った」と語っている。
- 1995年活動停止中、ロッキンfにて「DIE IN CRIESリハーサル行なっています」とスタジオでのリハ風景の広告が出る。しかしSHINが活動するBLOODY IMITATION SOCIETYの音楽性の価値観にファンは不安視してしまうがKYOは「いい意味でブラッディーしてるアルバムになると思う」とコメントする。
- 解散理由は、まずYUKIHIROが音楽性の違いから脱退をほのめかし、それを聞いたKYOが「このバンドが俺個人のものだったころなら認めていたが、今となってはDIE IN CRIESは4人のものだ。脱退するというなら解散しよう」と答えたからだという。また、室姫深はバンド在籍中からBLOODY IMITATION SOCIETYの活動をソロプロジェクトとしてはじめており、音楽誌GIGSのインタビューで「今あるバンド(DIE IN CRIES)でBLOODYの音楽性をやりたかったが、他のメンバーが嫌がったから地元の仲間とソロプロジェクトではじめた」と話しており、室姫の音楽志向もDIE IN CRIESとずれてきていたことがわかる。
- ラストライブ・東京ベイNKホール公演は完売。当日チケットも完売、同会場の動員記録となった。
ディスコグラフィー
[編集]シングル
[編集]発売日 | タイトル | 品番 | 収録曲 | JP | 初収録アルバム | |
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1st | 1992年2月5日 | MELODIES | BVDR-80 |
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24 | VISAGE |
2nd | 1992年9月23日 | MY EYES 〜僕の瞳よ〜 | BVDR-125 |
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29 | NODE |
3rd | 1993年1月8日 | to you | BVDR-154 |
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35 | Eros |
4th | 1993年6月2日 | NOCTURNE | BVDR-175 |
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34 | |
5th | 1993年11月21日 | LOVE SONG | BVDR-215 |
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56 | Classique Ave. の飛べない鳩 |
6th | 1994年5月21日 | CRESCENT MOON | BVDR-254 |
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42 | THANX -Best of Die In Cries- |
7th | 1995年5月24日 | 「種」 | BVDR-1032 |
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46 | Seeds |
アルバム
[編集]オリジナル・アルバム
[編集]発売日 | タイトル | 品番 | 収録曲 | JP | |
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1st (インディーズ) |
1991年8月10日 | NOTHINGNESS TO REVOLUTION | HML-6 |
|
圏外 |
2nd | 1992年3月11日 | VISAGE | BVCR-74 |
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5 |
3rd | 1992年9月23日 | NODE | BVCR-125 |
|
14 |
4th | 1993年7月7日 | Eros | BVCR-624 |
|
7 |
5th | 1995年6月21日 | Seeds | VCR-703 |
|
20 |
その他のアルバム
[編集]発売日 | タイトル | 品番 | 収録曲 | JP | |
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セルフカヴァー | 1993年12月1日 | Classique Ave. の飛べない鳩 | BVCR-648 |
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17 |
ライヴ | 1995年9月21日 | LAST LIVE「1995.7.2」 | BVCR-9303/4 |
Disc-1
Disc-2
|
16 |
リミックス | 1995年10月21日 | 「re-make」 | BVCR-7321 |
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70 |
ベスト | 1997年9月10日 | THANX -Best of Die In Cries- | BVCR-1542 |
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圏外 |
映像作品
[編集]発売日 | タイトル | 収録曲 | レーベル | 品番 | |
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VHS | 1991/09/10 | nothingness to Revolution FILM |
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DANGER CRUE RECORDS | HMV-1 |
VHS | 1991/10/10 | WEEPING SONG/仮面の下の表情 |
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DANGER CRUE RECORDS | HMV-2 |
VHS | 1992/04/08 | EGOISTの戯言 |
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BMG Victor/ariola | BVVR-32 |
VHS | 1992/04/30 | 舷窓の中の信実 |
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BMG Victor/ariola | 非売品 |
VHS | 1992 | 幻想の中の真実 |
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BMG Victor/ariola | 非売品 |
VHS | 1993 | Eros Special |
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BMG Victor/ariola | 非売品 |
VHS | 1993/09/1 | ariola MEETING 1993 (オムニバスビデオ) |
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BMG Victor/ariola | BVVR-47 |
VHS | 1994/03/24 | BEARDSLEYのPUZZLE 〜Final Piece at BUDOKAN〜 |
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BMG Victor/ariola | BVVR-55 |
DVD | 2003/11/26 | BMGファンハウス | BVBR-11029 | ||
VHS | 1995/05/03 | CLIPS |
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BMG Victor/ariola | BVVR-55 |
VHS | 1995/10/21 | LAST LIVE「1995.7.2」 |
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BMG Victor/ariola | BVVR-69 |
DVD | 2003/11/26 | BMGファンハウス | BVBR-11030 | ||
DVD | 2005/06/29 | ALL IN ONE |
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BMGファンハウス | BVBH-41011 |