左から、石田洸介選手、梅崎蓮選手 写真提供/ナイキジャパン

(スポーツライター:酒井 政人)

最後の箱根駅伝を走れなかった4年生

 石田洸介と梅崎蓮。鉄紺のエースたちは最後の箱根駅伝を走ることができなかった。彼らはどんな状況だったのだろうか。

 石田は12月に入って右アキレス腱を痛めて、うまくトレーニングが積めていなかったという。それでも酒井俊幸監督は淡い期待を込めて石田を1区に登録した。

「11月26日の小江戸川越ハーフマラソン出場後の走り込みで思うようにいかなくなったんです。1区にエントリーしていただきましたが、12月18日に走れないことを監督に伝えました。すぐに気持ちを切り替えるのは難しかったですけど、走るメンバーをサポートしていくなかで、少しずつ気持ちが和らいでいきました。彼らが頑張る姿を間近で観て、徐々に前向きな気持ちになったんです」

 一方の梅崎は12月29日の「区間エントリー」で2年連続となる2区に登録されたが、12月30日に左アキレス腱の痛みが再発。自ら“悲痛の告白”を行っている。

「12月21日の法大競技会10000mは寒さもあり、気になっていた腸脛靭帯の張りが強く、いつものように踏み込むことができませんでした。レース後に左アキレス腱に痛みが出ましたが、3日ほどで回復したのでジョグを開始しました。でもポイント練習後に再び痛みが出て、治らなかったんです。このまま出場すれば最悪の場合、途中棄権の可能性がある。それは絶対に避けなければならないと考えて、自分から欠場したい旨を監督に伝えました」

 そしてふたりのエースはサポートにまわることになる。石田は3区と9区、梅崎は2区と10区の付き添いを担当した。

「レース当日は少し緊張していました。梅崎も欠場することになり、大丈夫だろうか? という不安があったんです。自分の役割は付き添いだったので、最後は『楽しんで思い切って走ってほしい』という気持ちを伝えました。3区迎暖人(1年)の走りが順位を押し上げるきっかけになったので、自分の方が安心しましたね」(石田)

「昨年2区を経験したので、コースの特徴やポイントなどをしっかり伝えて、緒方澪那斗(3年)が緊張しないようにサポートしました。自分のせいで、急遽2区を走ることになり、負担が大きかったと思います。緒方は予定していた1区であればしっかり走れていたのではないでしょうか。チームとしては3区と4区でしっかり順位を上げたのが大きかった。1年生の迎が頑張り、岸本遼太郎(3年)も区間3位と力走してくれたので、次につながるレースになったと思います」(梅崎)

 4年生エースを欠きながら、チームは総合9位。20年連続シードを確保したことに、ふたりは安堵した。そして今後の東洋大に大きな可能性を感じている。

「本当に厳しい状況だったと思いますが、一人ひとりが粘り強く走って、1秒をけずりだす東洋大らしい姿勢を感じました。20年連続のシード権を獲得しましたが、来季以降は東洋大の定位置である3位以上、そして優勝を目指せるチームにつなげてほしいと思います。経験者が8人残る次回の箱根駅伝は大きなアドバンテージがある。自分たちが果たせなかった悔しさを託すのはおこがましいですけど、後輩たちには強い東洋大を取り戻してほしいと願っています」(石田)

「誰ひとりあきらめなかったからこそ、20年連続シードを実現できた。伝統を守ることができて感謝しています。今回のメンバーのうち4年生は2人だけ。残りの8人がしっかり引っ張ってくれれば、より強いチームになると思います。トラックシーズンからしっかり取り組み、出雲駅伝や全日本大学駅伝でも結果を残せるように頑張ってほしいです。力はあるので、期待しています」(梅崎)

 ふたりは大学卒業後、実業団の道に進む。石田はSUBARU、梅崎は大塚製薬に入社予定だ。「日本のトップレベルを目指したいですし、その先は世界も視野に入れています。記憶に残る選手になりたい」と石田が言えば、梅崎も「実業団ではマラソンに取り組むことになると思います。具体的な目標はまだありませんが、いずれは世界を目指せる選手になりたいです」と将来の野望を口にした。