第二章 人工魔剣編

第1話 悪役令嬢と悪役貴族

 リリス・セントゥリアンは、ため息を吐く。

 それを見たお茶会に参加している貴族令嬢は、心配そうに声を掛けた。


「大丈夫ですか、セントゥリアン様」

「いえ、婚約者の事で少し、ね……」


 彼女はヒュース・カルタルトについて考える。己の婚約者は、その武功で認められている者と認めない者ではっきりと分かれている。その原因は入学初日での言動と、平民生徒に間で出回っている悪役貴族の噂のせいだろう。

 しかし彼女としては好都合だった。孤立した彼の唯一の理解者の立ち位置を確保すれば、彼女の将来は安泰だからだ。

 名家であるカルタルトの次男を婿に向かえるのは、セントゥリアン家として利がある。加えてヒュース自身の存在も価値が高く、彼女はヒュースと婚約者になってから周囲に己の存在をアピールした。


 おかげでこの学校におけるカーストを確固たる者にする事ができた。ヒュースの不遜な態度に不満を抱く者たちに粛々とフォローすれば、婚約者を立てる清純な令嬢として評価される。


 しかし、上手くいかない事もあった。


 あのヒュースが興味を示した者が居た。現代の英雄と称されるファーストだ。

 彼女はあまり良い話を聞かない。男子生徒に積極的に決闘を仕掛けては自分の肉体をちらつかせる卑しき女。学生にしては豊満なその体を好きにできると言われた馬鹿な男子たちは目に色欲を乗せて、そのまま無様に地を舐めさせられる。


 今は勇者の末裔との噂で持ちきりで……学園の人間たちが彼女に注目しているのが気に食わない。


 リリスは、女としてファーストを軽蔑し合同授業にかこつけて身分を分からせようとしたが……結果は散々だった。

 そもそも現代の英雄と称される彼女に、ただの学生が勝てるわけが無かった。

 痛みに悶えながら、野蛮人に関わったのは失敗だったと反省し――その後に起きた展開に、リリスの心はかき乱される。


 普段、他人を路傍の石のように興味を示さないヒュースが、ファーストを見た。

 そして行われるのは二人だけの世界。誰も理解できないその光景にリリスは焦燥感にかられる。


 不味い――ヒュースは誰にも興味を示さない筈だ。もし自分以外の異性に目を向ければ――今いるこの立場は簡単に崩れ落ちる。


 授業が終わり、二人きりで話すヒュースたちを見てさらにリリスはそう思い、対策を取ろうとして――彼女が来た。


「それではホームルームを始める、が……」


 担任の教師が言葉に詰まる。何処か困った様子でソワソワして頻りに廊下の方へと視線を向けているその姿に、リリスは呆れていた。名門のクラウディウス学園の教師として情けない。


(……そういえば)


 一つ席が増えている事に彼女が気付く。もしかして転校生でも居るのか? と。


「す、すみませ~ん! 遅れてしまいました!」


 ――そんな時だ。慌てて一人の生徒が教室に入って来たのは。


「その、教室分からなくなっちゃって……えへへ」


 教室に居た者たちは誰もがその者に見惚れていた。

 異性はまるで初めての恋に落ちてしまった様に。同性は嫉妬する暇もなくその愛らしさに心を奪われる。

 ふんわりと雲のように柔らかな栗色の髪に、キラキラと光る青の瞳はまるで魅了の魔法を宿している様に、注意しようとした教師を黙らせる。ただ視線を合わせただけなのに。


「い、いや……紹介するのでこちらに」

「はい!」


 元気よく返事をした愛の化身ともいうべきその者は、教師の隣に立つと我々に――いや、彼を見て微笑む。


「私の名前はクリス・ウェスぺルティアと申します! 皆さん、これから三年間よろしくお願いいたします!」


 心地良い声とまるで太陽の様な笑みに――教室にいる者たちは虜になった。



 もちろん……このヒュースもまたその一人だった。


「それでは席は……カルタルトの隣が空いているな」

「はい!」


 周囲から祝福を受けながらクリスは笑顔で席に座り――隣のヒュースにこっそりと小さな声で囁く。


「昨日は助けてくれありがとうね、覇王さん」


 リリスは、ブルリと体を震わせた。


 この女は――敵だ。





 さて、あれから1週間経ったが……。


「大丈夫? ヒュース?」

「ああ……」


 トイレの個室で疲れ切った顔で休んでいると、影から出て来た魔王が労わってくれる。嬉しいけどちょっと場所を考えようか?

 アランとテレシアも基本的にオレの学園生活に関わりたくないのか、学園に居る間は基本的に眠っている。やれやれ、困ったものだ。


「おい、あの話って本当なのか?」

「あの話って……セントゥリアン家のお嬢様が、学園の天子様を虐めているって話か?」


 ……セントゥリアンって、確か例の女子生徒だよな。入学初日から何かとオレの近くをウロチョロしている貴族の令嬢だ。

 それにしても学園の天使様を虐めている……ねぇ。


 クリス・ウェスぺルティアは瞬く間に人気者となり、学園の天使様と呼ばれる様になった。

 貴族平民問わずに優しく接する上に、珍しい光の魔法を使うから……らしい。


「何でも、婚約者である覇王様が学園の天使様にぞっこんになったと聞いて嫉妬したらしい」

「セントゥリアン家のお嬢様が取り巻きと一緒に虐めている場面を何度も見たらしい」

「それと、あの覇王様もその場面を見たらしくて……」


 何それ知らない。


「その事、セントゥリアン家のお嬢様は知っているのか?」

「いや。他の名家の貴族の坊ちゃんが情報操作しているらしい」

「そういえば、覇王様以外にも学園の天使様に惚れている有力貴族は居たな……」


 そうなんだ……。


「そう言えば、今日の放課後覇王様が直接問い詰めるらしいぞ」

「どうなるんだろう。もしかして婚約破棄?」

「おいおい。小説の読み過ぎだって」


 ……。


「何にしても面白い事が起きそうだな!」

「ああ!」


 外の男子生徒たちは会話を終えてそのまま立ち去って行った。何であいつら小便しながらデカい声で噂話していたんだろう。あと長すぎない?

 扉を開けて個室から出る。何となく会話の途中で出るのが気まずくて、結果的に話を全て聞いたのだが……。

 それにしても、今日の放課後で問い詰める、ねぇ……。


「ヒュース。断罪するの?」


 そう言って魔王は興奮した様子でこちらをキラキラと見ていた。その手にはこの王都で最近有名な小説だった。

 確か内容は、異世界【二ホン】のとある悪役社長令嬢が、自分の婿が入社して来た主人公である事務の女の子に惚れてしまう物語。しかしその悪行はバレてしまい、最終的には婚約破棄されて二人は会社を辞め、新たな会社を立ち上げて元居た会社は落ちぶれていく……て話だ。

 あと他にも敏腕な眼鏡の営業部長。企画部のエース。ライバル会社のオラオラ系社長が主人公を取り合う逆ハーレム物だったとか。


 ……ソーデスは時々、異世界の物が流れ着いてくる設定があるけど、こういう形もあるんだと驚いた記憶がある。この世界にとって日本は異世界だよな。そうだよな。


「学園の天使様は、主人公なの?」


 魔王が顔は無表情なのに目を輝かせて聞いてくる。お前こういうの好きだよな。


 さて……とりあえず放課後になってからだよなぁ、話は。


「あ、ヒュースくん。おかえりなさい!」

「……」


「ねぇ、あれって」

「噂は本当だったのかしら」

「……ちっ」


 昼休憩を終えて教室に戻り、さっそく学園の天使様に絡まれる。相変わらず話し掛けられると背中がゾワッてする。

 初日の優雅さはどこ行ったと言わんばかりの視線を送って来る金髪ロールを無視して――放課後。


「リリス・セントゥリアン! 私は君の罪を告発させて貰う!」


 授業が終わってまだ先生が居るのに、突如立ち上がった眼鏡を付けた男子生徒が金髪ロールを強く指差しながら叫んだ。

 すると当然ながらザワッ……と教室がざわつき始める。


 うん……テンプレだね。


 そして始まるのは悪役令嬢リリスの行って来た非道の数々。それを聞いてクラスメイトたちは嫌悪に顔を顰めた。

 オレも顔を顰めた。何してんだよ……としか思えない。


「私は……私は、その泥棒猫が許せなかった!」


 学園の天使様を攻めるリリス。言い分は自分の婚約者に粉をかけたこと自体が始まりだと。

 反対にクリスの味方達は、名門貴族のする事ではないと糾弾し、そんな事だからオレから愛想を付かれると叫ぶ。


「――さぁ、ヒュース・カルタルト。君の口からはっきりと告げるんだ」

「そして彼女を救ってくれ」


「ヒュース様!」

「ヒュースくん……!」


 しばらく茶番は続いていたが、ようやくお鉢がオレに回って来た。

 リリス嬢とクリスがこちらを見つめて来る。


 オレは盛り上がっている周囲を見渡し――思いっきりため息を吐いた。

 そんなオレの態度に、全員が戸惑いを見せる。教師すらも「え? そこで?」と眼鏡がズレていた。


 とりあえず、さ――。


「オレに婚約者など存在しない」

「――は?」


 オレの話を聞いて貰おうか。





 ある日オレは、クリス嬢と自分が婚約者関係であるという噂を聞いて混乱した。だってそんな話聞いた事ないんだもの。


 しかし、そう言われてみればリリス嬢の身の振り方にはおかしい所があった。

 面識がないのにオレに馴れ馴れしい……いや、何処か理解者みたいな面で、オレとクラスの橋渡し役みたいなことをしていた。意味がないのに。


 別にオレはクラスメイト達と仲良くするつもりはないし、できないから無視していたんだけど……何故かあのお嬢様は意味深な笑みを浮かべていた。なんか、私は唯一の理解者ですよ、みたいな感じで。


 だから休みの日に家に帰って親父に問い詰めてみたんだよ。そしたら物凄く不安を感じさせる反応をされたよ。

 婚約者……? あ!? って感じで。


 そして語られるのは何とも情けない話だ。オレは次男だから家督を告げないので、何処かの家に婿入りさせようと考えていたらしい。幸い功績は上げていたので婿としての価値は高く、色んな家が縁談を持ちかけて来ていた。


 その中の一つがカルタルト家の同じくらい有力貴族であるセントゥリアン家だ。

 セントゥリアン家はどうしてもオレを……というよりオレの名が欲しかったのか、他の家に圧力を掛けたらしい。その結果、オレの婚約者候補はセントゥリアン家だけになり、ほな婚約するか……と決まったとか。


 オレに話を通さずに。


 いや、別に話を通さなくても良いのかもしれない。こういうのって別に当人の意志関係ないだろうから。ただオレってこの先の事を考えたら、誰かと一緒になるとかできないじゃん? 何なら迷惑をかけると思うし。


 なので親父に学園を卒業したら己の伴侶は決めるので、今回の話は無しにしてくれとしっかりと伝えた。もし断るなら隣の国に亡命すると伝えて。

 そうなれば処罰されるのは親父だ。この国はオレを手放したくないからね。敵国の抑止力になっているし。……エルドさんが居ればなぁ。また今度墓参りに行くか。タイムリミット的に、あと一回しか行けなさそうだし。

 こうしてオレは知らずに婚約されて、そして相手が知らぬ間に婚約破棄したのである。


「な、な、な、なぁ……!?」


 その事を噛み砕いて伝えた所、悪役令嬢リリスは顔を真っ赤にさせて震えていた。

 でも彼女は悪くないんだよね、実際の所。親同士が勝手に決めた事で、さらにオレにその話を白紙にする力があっただけの話。


 もっとも、オレの事をまるで所有物の様に散々貴族のお茶会で自慢していたみたいで、そこから来る恥は自業自得なので反省して欲しい。マウント取るなら自分の事でするべきだね。

 ほら、周りの生徒たちも失笑している。随分とオレを使って気持ち良い思いをしてきたみたいだ。


「み、認めませんわそんな事!」

「――認める? 何故貴様にその裁量があると思っている?」

「……っ」


 ……おっと、どうにもイライラしているからか辛辣な言い方になってしまっている。

 オレ的にはこの子に対しては思う所は何もないんだよね……。

 とりあえずオレは帰らせて貰うぜ。ばいなら!


「あ、あの! ヒュースくん! なんだか巻き込んじゃったみたいでごめ――」




「消えろ」

 消えろ。


 ……お、珍しく自分の言葉と肉体の言葉が一致した。それだけオレはコイツにはイラついている訳だが……。

 こちらを驚いた顔で見る美少女の顔に、思いっきり嫌そうな表情を向けてやりたいがこの鉄面皮は変わらない。とりあえず、お前はマジで消えろ。


「き、貴様! ヒュース・カルタルト! なんだその物言いは!」


 オレは貴族たちに憐みの目を向けながら、学生寮に戻った。

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