動画を楽しみながらネット漬け
『成城トランスカレッジ!』経由で『監視社会と青少年バッシング』の動画を楽しみました。宮台さんや、神保さん、保坂さんはお馴染みの顔なので、動画だからと言って新鮮味がないのですが、本田由紀さん、後藤和智さんにはリアルでお顔を拝見していないので、思わず身を乗り出してしまいました。お二人とも二部に登場するのですが、お二人の掛け合いも面白かったです。良い雰囲気だったなぁ…。
ささやかな夢は妄想か
先ほど、民放テレビでどうしても実感のないデータが報告されていた。生活保護受給者の平均基準額が年収236万円。2000万円以上の年収者は1万5千人。まあ、そのあたりはそんなものかなぁ…と思うのですが、年収300万円以下が117万人で、あまりにも少なすぎる。この117万人の数字の中に年金収入一本の人はカウントされていないだろうし、いわゆる、限りなく年収がゼロに近いニート、生活保護より低い時給で働いているフリーターたちのデータがどのようにカウントされているのだろうか?僕の回りの実感では赤木智弘さんの言う年収300万円以下が“経済弱者”なら、そちらの方が多数ではないか、と思ってしまう。117万人どころか、ゼロを一つ増やして四桁にしても不思議ではない実感があるのです。*1
でもいわゆる正社員として働いている人にそんな疑念をぶっつけて、「300万円以上」が勝ち組なんだってて言うと一笑にふされてしまいますが、僕のまわりには非正規社員の方が多いから肌で感じる世界が多分違うのでしょう。
問題はそういう「ワーキングプア」の若者たちが経済弱者の年寄りたちをむしろ憎んでコイズミ流構造改革を支持して、結果として年収2000万以上の高額所得者達をリスペクトし、一発逆転の夢をふくらます。つくづく“やっかいな生き物です”。身ぐるみ剥がれても、むしろ、ギャンブルの醍醐味は、“徹底した大敗”だから、困ってしまう。
コイズミさんは、そのような人たちの“どうしようもなさ”を「不条理さ」を上手にコントロールした“誑しの政治家”だったのでしょうか、
ささやかながら、まっとうに、静かに暮らしてゆける世の中を欲している人は多分、本音のところで、少数派なのでしょうね、でも、フィーシビリティのあるなしにかかわらず、バカにされても言い続けるしかないと思う。今、年収300万円以下を弱者と措定するなら、その弱者を基底においた社会構築です。実行可能性のない戯言だと言って排除すべきではないと思う。
*1:anhedoniaさんの指摘で掲載した数字は増えた数字との指摘がありました。そりゃぁ、そうだ、だったら実感があります。でも、前年度対比か、何年度と比べての数字なのか、調べなくては、それと、現時点での年収高による世帯毎でない就業者の人口比率はどうなっているのでしょうかねぇ、
フィージビリティのある専売復刊
そうか、こういう本の売り方もあるのですね、書店サイドから言えば、他店との差別化を棚で行うこととは違った視点で可能性が増えることになり、書店員としてもやる気が出てくるでしょうね、
ウラゲツさんはこの専売復刊方式において、例えば、こう書いている。
A書店で専売復刊となったとき、あるいはカバーや奥付にその書店の名を冠したり、あるいはその書店の要望にしたがって装丁を変えたりという試みも不可能ではありません。書店主導で本をカスタマイズしていく、そうした試みもあっていいと思います。
ちょいと「無印良品」みたいなやり方ですが、直で買い切りなら、すだれ(毛這い)のバーコードも必要ないから、その定位置にバーコードの替わりにロゴマークを入れるのもいいですね。
本屋独自のブックカバーを生かした装幀をやってみるとか、色々と妄想が膨れあがります。本屋で付加価値を創造する試みは単店だけで無理なら、専売復刊したい本をネットなどで情報交換して本屋のネットワークで行動を起こす。
本屋ではないけれど、保坂和志さんが今年、小島信夫の『寓話』をネットの仲間たちで独自の装幀で復刊出版しましたが、個人で出来ることが本屋で出来ないことはないと思うのです。
今回の専売復刊は文庫でしたが、専門書、単行本で、どの程度フィージビリティー(実行可能性)があるかどうかですが、あると信じれば、知恵は出てくるものでしょう。