あの事件から35年ということで、その節目に、回想記事なども出てきた。今後も出てくるだろう。
昨年の記事だけど、集英社オンラインが今もプロモーションを行っている。それでこのツイートを見て、記事を読めた。
「勤の部屋を見てくれればわかる」宮崎勤逮捕直後、両親は息子の無実を訴えた…やがて取材で浮かび上がった宮崎家の歪んだ家族関係とはhttps://t.co/ENtVZ4aJxr
— 集英社オンライン (@shueisha_online) March 1, 2024
逮捕直後に訪れた宮崎勤の部屋、宮崎家の歪んだ家族関係について、写真週刊誌記者として事件を追い続けた小林俊之氏が振り返る。
ところが、確かに興味深い記事なのだが……
マスコミ的に“おいしいブツ”がまったくなかった
母屋の裏に、渡り廊下でつながった子供部屋があった。部屋は3室あり、西側の角部屋が勤の部屋だった。父親の了解を得た記者たちは、勤の部屋に足を踏み入れた。続々と取材陣が集まっていた。
大型テレビと4台のビデオデッキ。8畳の部屋の窓と壁がビデオテープで覆いつくされていて薄暗い。『リボンの騎士』『ゲゲゲの鬼太郎』など、さまざまなジャンルのアニメ作品が並んでいた。
記者たちのあいだでビデオテープの数を「2000本ぐらい」と見積もったが、その後、6000本近くあったことが判明した。
敷きっぱなしの布団の甘酸っぱい臭気が鼻をついた。積み重ねられた段ボール箱には「メンコ」「カード」と書かれていた。のちに「オタク」と表現されたが、わたしは26歳にもなる男の収集の子供っぽさに唖然とした。
宮崎勤・元死刑囚の自室
床には少女雑誌やビデオ雑誌などが多数散乱し、その下にエロ漫画『若奥様のナマ下着』があった。それをひょいと抜き出したテレビカメラマンは、散乱した雑誌の上に乗せ撮影した。
性犯罪者の“いい画”を撮るための演出である。マスコミ的に“おいしいブツ”が、ほかにはまったくと言っていいほど部屋にはなかったのだ。
上で大きな記事にした部分が、今の視点から見たら重大なコンプライアンス違反じゃないのか??? …ということに書き手も気づかず?あっさりヤバいことを白状している、ともいえるのだ。
実はもう7年前…かよ、驚いた!! その時に、あるテレビ番組がきっかけで話題になり、それを当方、まとめていた次第。
「宮崎宅取材陣・雑誌入れ替え演出事件」と、こういうふうに”概念”の言葉を作れば論じやすいだろう。
togetter.com
この時もわちゃわちゃやってるうちに、複数の情報ソースや証言が得られた。
そのうちの一人が、上の記事を書いた小林氏なのだ。
www.vice.com
そもそも今回、本に書いて残そうと思った動機はなんですか?
俺しか見てないことや、みんなが見て見ぬふりをしたことは、ちゃんと書いておこうと思いました。例えば、宮崎勤の部屋を撮影するとき、テレビカメラマンが「画作り」をしたこと。部屋には雑誌が散乱していたけれど、エロに直接結びつくものはなかった。それでカメラマンが性犯罪者の部屋の「いい画」を撮るために、他の雑誌の下にあった『若奥様のナマ下着』というエロ漫画を上に置いて撮影したんです。気持ちは理解できなくもないけど、やっちゃいけないことだよな。
こっちのほうが、問題意識は強く出ている。「やっちゃいけないことをやってしまった」とは、彼らも自覚していたのだ。
同内容の証言を、当時読売記者だった「木村透」氏もしている。この記事は「読売ウィークリー」に載ったものらしい。
ほとんどは「男どあほう甲子園」とか「ドカベン」といった、
ごく普通のアニメばかりでした。
その中に、おぞましい映像が入ったビデオも含まれていたのですが、
少なくともそれはごく一部だったのです。
なぜ、そういうイメージが伝わってしまったか、
については理由があります。
部屋の隅には、数十冊の雑誌の山がありました。
どんな雑誌かももちろん確認しました。
大半は、「GORO」「スコラ」です。
20代の男性としては、ごくごく普通でしょう。
その中に「若奥様の生下着」という漫画が1冊ありました。ある民放のカメラクルーがそれを抜き取って、
一番上に重ねて撮影したのです。
それで、あの雑誌の山が全部、さらにビデオもほとんどがそういう類のものだという、
誤ったイメージが流れてしまったのです。
ま、犯した犯罪からすれば、そのくらいは誤解されても仕方がないかもしれませんが、
それでもやっぱり、事実とは違ったのです。
(略)
(苦悶デスクこと・木村透)
https://togetter.com/li/1158797
※ブクマでこの「全文」を紹介されました
anond.hatelabo.jp
2人の証言者は、一致している…この「やっちゃいけないこと」をやったのは、民放局のテレビカメラマンだ、と。
35年前の大事件である。資料も、証言者もまだそれなりにいよう。
…苛立った表情の父親は、きっぱり答えた。
「趣味はアニメのビデオ収集。勤の部屋を見てくれればわかる」
母屋の裏に、渡り廊下でつながった子供部屋があった。部屋は3室あり、西側の角部屋が勤の部屋だった。父親の了解を得た記者たちは、勤の部屋に足を踏み入れた。続々と取材陣が集まっていた。
(略)
「おまえたち、何をやっているんだ!」ほどなくして駆けつけた警視庁の捜査官に報道陣全員が追い出されるまでの60分間は、重大事件の容疑者の自宅を捜査前に取材するという奇跡に近い体験だった…。
この「奇跡の60分」に参加し「俺はあの時、宮崎勤の部屋に立ち入って取材した」というのは…犯罪はそれ自体が悲劇であり、あまりそうすべきではないが…取材する立場にとっては一種の「武勇伝」であり、その人たちは「歴史の証言者」であることも疑いない。
「鎌倉殿の13人」じゃないが「宮崎勤部屋の13人」とかに、仮にしておく。
だが、その伝説、栄光の一方で
その13人のうちのだれかが、同じ取材陣から見ても「やっちゃいけないこと」である「絵作り」をした、民放テレビカメラクルーである、という事実は動かない、のである。
じゃあ、誰?
それも確定できないなら、歴史とは何とも曖昧なものではないか。
宮崎勤事件35年。被害者の多い、まことに痛ましい事件だし、犯人の罪は極刑を受刑したとて消えない。……
だがそれとは別に「宮崎宅取材陣・雑誌入れ替え演出事件」の問題は問題としてまだ残っており、その”犯人”は「宮崎勤部屋の13人(人数も含め仮称)」の中に確実にいるのだ。
誰?
もちろん、刑事事件などに問われる話ではない。だからこそ、「宮崎宅取材陣・雑誌入れ替え演出事件」の”実行犯”に今の心境を聞いてみたい。
「やってはいけないことをやってしまった、今では反省している」
なのか
「てやんでぇ、雑誌の順番を入れ替えただけじゃねぇか。何が悪い?あいつは悪党だし、後悔なんて何一つないよ」
なのか・・・・・・・・
どちらにしても、35年目の節目であり、犯行自供の時期を考えると8月に報道がピークになるだろう。
その時期を前に…そして集英社のプロモーション経由で偶然小林俊之氏の記事を見たことを契機に、この話をかいておきたいと思った。
前も計算したが、35年ということはさらに時間が進み、犯行に手を染めたカメラマンが当時40歳なら、今は75歳ということだ。老いて語れなくなる前に、やはりひとことが聞きたい。