リントンの定理(「リントンの定理: 概要、実例、注意事項」参照)やDiag構成(「Diag構成: 圏論的構成法の包括的フレームワークとして」参照)などの話をしようとすると、話題とする対象物が大規模複雑なので、伝達が難しくなります。正確なコミュニケーション手段を確立しないと、なかなか伝わらない。
過去記事「曖昧性を減らす: Diag構成を事例として」では、正確なコミュニケーション手段について書いています。
前半では、コミュニケーションにおける曖昧性、曖昧性による行き違いを減らすための原則や手法を述べます。後半では、事例としてDiag構成について述べます。
この記事も正確なコミュニケーション手段に関する記事です。圏論では当然に「ナントカ圏」とか「圏のナントカ」という呼び名や言い回しが登場します。呼び名・言い回しを安易に使うと、あるいは安易に(ボンヤリとなんとなく)聞いてる/読んでると、コミュニケーションに支障が生じます。呼び名・言い回しの適切な使用法や正確な解釈について述べます。$`
\newcommand{\cat}[1]{ \mathcal{#1} }
\newcommand{\mbf}[1]{ \mathbf{#1} }
\newcommand{\mrm}[1]{ \mathrm{#1} }
\newcommand{\In}{ \text{ in }}
`$
内容:
「☓☓☓圏」と「☓☓☓達の圏」
モノイド圏〈monoidal category〉とモノイド達の圏〈category of monoids〉は違います。モノイド圏は、圏にモノイド構造が載ったものです。一方、モノイド達の圏は、モノイドを対象とする圏です。「英語の "monoidal" は形容詞だから字面で区別できるだろう」と思うかもしれませんが、圏に半環構造が載ったものは semiring category と呼ぶことが多いです。これは、semiringal category と形容詞形を使えますが、圏に加群構造が載った module category〈加群圏〉はどうでしょう? module を形容詞 modular にしてしまうと、意味合いが違ってしまうので形容詞形は使えません(名詞を形容詞として使う)。もちろん、加群圏と加群達の圏〈category of modules〉とは違います。この "module category" はちょっと使いにくい用語(category with module structure か category of modules か分からない)なので、最近はアクテゴリ〈actegory〉が多いかも知れません。
「☓☓☓圏」と「☓☓☓達の圏」を同義語として使うこともあります。集合圏と集合達の圏は同義です。どちらも、「集合を対象とする圏」の意味です。関係圏と関係達の圏も同義ですが、「関係を対象とする圏」ではありません。関係圏は「関係を射とする圏」です。関係圏〈関係達の圏〉の対象は集合です。部分関数の圏〈category of partial functions〉も「部分関数を射として、集合を対象とする圏」の意味です。
小さい圏というとき、「小さい〈small〉」は、圏の性質を表す形容詞です。モノイド圏や加群圏〈アクテゴリ〉のように、台となる圏〈underlying category〉に追加の構造を載せたものとは違います。追加の構造を持つわけじゃないですが、「小さい」という性質を持っています。「小さいモノイド圏」のように、形容詞「小さい」「モノイド」を組み合わせることができます。
ファイバー付き圏〈{fibred | fibered} category〉では、「ベース圏〈base category〉」という言葉が出てきます。これは、ベース達の圏〈category of bases〉ではありません。圏に「ベース」という構造が載ったものでもないし、「ベース」と呼ばれる性質を持った圏でもありません。
ファイバー付き圏という構造に、「ベース」と呼ばれる構成素があるのです。つまり、「ベース」は、構造の構成素役割名(「射影、入射、セクション、レトラクション // 何の名前?」参照)です。そのベースが、実際のところ圏である〈is a catgory〉ので「ベース圏」と呼ぶのです。ファイバー付き圏には、「ファイバー」と呼ばれる構成素もあります。ファイバーも圏〈is a category〉ですが、ファイバー圏とはあまり呼びません。ファイバー付き圏〈fibered category〉とファイバー圏〈fiber category〉が紛らわし過ぎるせいでしょう。
ここまでに出てきた「☓☓☓圏」の用法は:
- ☓☓☓達の圏
- 対象が☓☓☓である圏 (例: 集合圏)
- 対象が☓☓☓である圏 (例: 関係圏)
- ☓☓☓という構造が載った圏 (例: モノイド圏)
- ☓☓☓という性質を持つ圏 (例: 小さい圏)
- 構造内で☓☓☓という役割を担う圏 (例: ベース圏)
今後僕は、「☓☓☓達の圏」を「☓☓☓圏」と呼ぶのはやめようと思います。ただし、集合圏、関係圏のように慣用が定着したものは例外です。具体例を挙げると:
- 半群達の圏 (半群圏とは呼ばない)
- ベクトル空間達の圏 (ベクトル空間圏とは呼ばない)
- 確率写像達の圏 (確率写像圏とは呼ばない、しかし、確率的圏〈stochastic category〉と呼ぶかもしれない)
ドクトリン
「ドクトリン」は曖昧多義語ですが、「ドクトリン」を「2-圏」の同義語として使う用法は割と使われます。ここでは、ドクトリンの意味・用法を拡大して、n-圏や圏類似代数系〈category-like algebraic {system | structure}〉もドクトリンと呼びます。ますます曖昧多義語にしているようですが、対象が圏/圏類似代数系のとき、それらが集まって形成する圏/圏類似代数系をドクトリンと呼ぶ用法は便利です*1。
例えば、小さい厳密モノイド圏は、「小さい」という性質を持ち、「厳密モノイド」構造が載った圏のことですが、それらが集まって形成する圏/圏類似代数系を「小さい厳密モノイド圏達のドクトリン」と呼ぶのです。小さい厳密モノイド圏達が集まっていかなる圏/圏類似代数系を形成するかはあえて曖昧にしています。可能性としては:
- 小さい厳密モノイド圏達の集合〈0-圏〉
- 小さい厳密モノイド圏達の1-圏(モノイド関手が射)
- 小さい厳密モノイド圏達の2-圏(モノイド自然変換が2-射)
- 小さい厳密モノイド圏達のデカルト圏(圏の直積を考える)
- ‥‥
極限・余極限の議論やDiag構成では、形状という概念・用語を使います。形状は有向グラフのときもあれば小さい圏のときもあれば、その他の構造かも知れません。形状達が集まって単なる集合を形成するかもしれないし、1-圏を形成するかも知れないし、デカルト圏を形成するかも知れません。こんなとき、形状達のドクトリンという呼び名はとても便利です。
「形状圏」という呼び名を使うと、形状達のドクトリンが圏を形成しているのか、個々の形状が圏なのか、意図がハッキリしません。実は、個々の形状が圏であって、それらが集まって圏を形成している、という二重の意味かも知れません。
形状達のドクトリンは、次のような状況を総称的に表しています。
- 個々の形状は集合である、形状が集まって圏を形成する。
- 個々の形状は有向グラフである、形状が集まって集合を形成する。
- 個々の形状は小さい圏である、形状が集まって圏を形成する。
- 個々の形状は小さい圏である、形状が集まって2-圏を形成する。
- ‥‥
「☓☓☓射」と「☓☓☓のあいだの射」
「集合の射」は何を意味するでしょうか? おそらく、次のように解釈するでしょう。
- (2つの)集合のあいだの射
- つまり、写像〈関数〉
では、「圏の射」ならどうでしょう? 「集合の圏」と同じように解釈すると:
- (2つの)圏のあいだの射
- つまり、関手
確かにこの解釈もあり得るでしょうが、次の解釈のほうが多いでしょう。
- 圏の“射達の集合”の要素
日本語だと分かりにくいので、記号的表現を使うとして、「$`x`$ は圏の射」の2種類の解釈は:
- $`x: \cat{C} \to \cat{D} \In \mbf{CAT}`$
- $`x \in \mrm{Mor}(\cat{C}) \text{ for some }\cat{C} \in |\mbf{CAT}|`$
「モノイドの射」はどうでしょうか? おそらく多くの人の解釈は:
- (2つの)モノイドのあいだの射
- つまり、モノイドの準同型写像
無理くりではありますが、次の解釈もできます。
- $`x \in \mrm{Mor}(M) \text{ for some }M \in |\mbf{Mon}|`$
$`\mrm{Mor}(M)`$ は、モノイドを単一対象の圏であるとみなして、圏の“射達の集合”です。つまり、$`x`$ はモノイドの台集合の要素です。
最初の意味でのモノイドの射(モノイドのあいだの射)をモノイド射〈monoid morphism〉と呼ぶのは許容された習慣です。この場合の☓☓☓射は、「(2つの)☓☓☓のあいだの射」です。
しかし、モノ射〈monomorphism〉あるいはモニック射〈monic morphism〉は、「(2つの)mono のあいだの射」ではありません。これは、モニックという性質を持つ射のことです。
今後僕は、「☓☓☓のあいだの射」を「☓☓☓射」と呼ぶのはやめようと思います。「モノイド射」より、「モノイドのあいだの射」と呼ぶ、ということです。ただし、位相空間のあいだの射を連続写像と呼ぶような(連続は性質)、慣用が定着したものは例外です。
まとめと今後の方針
「形容詞+名詞」の意味・用法が実に多様で、ときに誤認・誤解・混乱をまねくかも知れません。誤認・誤解・混乱を減らすために、今後は次のような呼び名・言い回しを使う方針です。
- 「☓☓☓圏」ではなくて、出来るだけ「☓☓☓達の圏」を使う。
- 「ドクトリン」という言葉を適宜使う。「ドクトリン」は曖昧多義語だが、あえて曖昧にしたい状況もある。
- 「☓☓☓射」ではなくて、出来るだけ「☓☓☓のあいだの射」を使う。
「出来るだけ」なのは、慣用に反してまでこの方針を適用しない、ということです。広く合意された慣用を破ると、これまたコミュニケーションに支障が出ます。
*1:ローヴェアのハイパードクトリンは話が別です。あれは、ハイパードクトリンと呼ばれる構造です。