現代の生き神「クマリ」にみる人間社会の限界値
テレビなどのメディアで時折とりあげらるネパールのクマリ。彼女たちは幼少期に「選ばれ」生き神としての人生を歩み始める。とはいえ生き神として生きる期限は限られており初潮を迎えたり怪我で出血したりするとそこでお役御免ということだ。また一度クマリに選ばれれば国からの固定的な収入が保障されるため小さな女の子を持つ親たちはわが子がクマリに選ばれることに期待感を持つ構図ができてしまっているようだ。守るべき伝統と先進国によって発達を遂げた人権に対する考え方そして貨幣経済という幻想が3すくみとなってネパールという国家をホールドしてしまっている部分は否めないであろう。
唐突かつ不適切な喩えかも知れないがこれは恋に似ているのかもしれない。
願わくば良い恋を。
Kumari - Living Goddess - Nepal - YouTube
▼クマリの館
photo by James C Farmer
クマリを経験した女性の最初の夫は近い将来に死ぬという言い伝えがある。愛し合うショバとウペンドラがこのタブーに立ち向かう。
▼今日のひまつぶし