「ちょっと隣の区画のタンポポ摘んでくる。」
先週末、妻と一緒に畑に出かけると、そう言って、おもむろにタンポポを摘み始めました。
我が家では毎週末、貸し農園に畑作業に出かけています。
すっかり季節も春めいてきて、畑の周辺のタンポポも咲いていたので、それを摘むというのです。
その日は、我が家の子どもたちも一緒に来ていました。
「そうか、子どもたちの為に可愛い黄色い花を見せてあげようという考えだな」
そう思っていました。
しかし、妻はタンポポを根元からブチっと引き抜くと、用意していたビニール袋に次々と放り投げます。
その姿はまさに一心不乱。
とても子どもたちのために集めているようには見えませんでした。
「どうしたの?」
タンポポを集中して引き抜く妻におそるおそる聞くと、
「タンポポは畑の侵略者だからね。」
「!?タンポポが侵略者?」
私はしばらく考え込んでようやくその意味が理解できました。
すっかりと忘れていたのです。
タンポポは畑にとって、雑草だということを。
妻は、決して子どものためにタンポポを摘んでいたのではありませんでした。
将来、タンポポの侵略から畑を守るためだったのです。
ご存知のように、タンポポは花を咲かせた後、綿毛を作ります。
綿毛は、フワフワと風に吹かれて飛んでいきます。綿毛には種があります。
風に舞った綿毛は落下傘のように地面に落ちます。綿毛にくっついた種は、将来そこで新しいタンポポの芽を出すのです。
タンポポの綿毛は、タンポポが住める世界を広げていくための知恵なのです。
菜園の周りで咲いたタンポポは将来、私たちの区画に進入する可能性が高いのです。
タンポポが侵入すると、育てている野菜にとっては、雑草になります。
野菜づくりは常に雑草との戦いです。
私たちが撒いた野菜の種からでた根っこも、雑草の種から出た根っこも、土の中の栄養分を頼りに成長します。
土の中の栄養分は限られています。
育ちだかりの兄弟が、一皿に盛られたおかずを取り合うかのように、雑草と野菜の戦いが始まるのです。
ですから、私たちもプロの農家も雑草対策に骨を折るわけです。
プロの農家は、隣の畑が耕作放棄地だと困ります。
耕作放棄地は、管理されず荒れた土地。そんな土地には雑草がはびこります。
雑草だらけになった畑から、雑草の種が、タンポポよろしく風に吹かれて飛んでくるのです。
だから農家は、隣が耕作放棄地だと嫌がるのです。
タンポポは春の野の花の代表として、何か温かみのあるイメージを持たれるかもしれません。でも、雑草が畑に侵入していく様子はまさにこれ戦争です。
落下傘で落ちてくる種は、戦闘機からパラシュートで降りてくる兵士たち。
いったん、舞い降りると、畑という土地や資源を奪うための略奪戦争が生じるのです。
妻は、そうなる前に先手を打ったわけです。
敵軍の基地に乗り込んで、将来の敵を事前に摘み取っていたのでした。
ただ、私たちは、タンポポたちを責めるわけにはいきません。
タンポポだって生きるのに必死なわけです。
生きる場所を広げていくためにタンポポは必死に領土を拡大したいと考えているのです。
野菜づくりは、自然と結びついて考えられることが多いです。
ですが、実際のところ野菜づくりは、自然とは全然違います。むしろ人間が自然に割り込んで、自然をコントロールするのが野菜づくりなのです。
というのも、自然の中では、先ほどのようなタンポポの侵略は至るところで行われています。言わば雑草同士の戦いです。各地で生き残りをかけた戦いが行われています。その意味で、自然は、私たちが思っている以上に過酷です。
人間は、そんな植物同士の戦いを起こさせないために、自分が育てている野菜の周りに雑草が生えないよう、手で取ったり、場合によっては除草剤をかけているわけですね。
ただし、農業のカタチはひとつではありません。
完全に侵略者である雑草を根絶する農業がある一方で、ある程度の雑草の侵入を許す農業もあります。
有機農業や自然農法と言われるのがこれに当たります。
国の例えで言えば、これは移民を受け入れる形だといえます。雑草という移民との共存する世界を目指すものです。
それはどちらが正しいという訳ではありません。
農業に対するスタンスの違いだと言えるかもしれません。
我が家でも、貸し農園ということもあり、除草剤までは使っていません。
でも、たくさんの野菜を収穫したいから、できるだけ、雑草は手でとっていきます。
雑草との戦いはこれから夏にかけてが本番です。
その時まで、妻の戦いは続くのです。