ならのしかブログ

読書や外国語学習を主に。本が読めるようになりたいです。

シャーロック•ホームズの凱旋

シャーロック•ホームズの凱旋
森見登美彦

2024年の年越しブックの予定だった本。
「予定だった」のはその前に読んでいた本に思った以上に時間がかかってしまったからです。

シャーロック•ホームズの凱旋は語り手のジョン•H•ワトソンとシャーロック•ホームズ、モリアーティ教授をトリックスター入れ子型構造で作者(コナンドイル、もしかしたら森見登美彦さん自身も?)を描いた小説でした。

同じ物書きだからこそ現実世界のシャーロック•ホームズの生みの親が抱えた葛藤に共感するところがあるのでしょうか。
自らが創りだした世界と登場人物達を終わりにしたいほどの苦しみや憎しみと、生み出したもの達への愛着が、一方では現実のロンドンと影のロンドンの破壊へ、もう一方では影のロンドンの影であるヴィクトリア朝京都(の物語)でキャラクター達が生き続けるストーリーになったのかな、と。

「ホームズさんにはワトソン先生が必要なんです」
 ハドソン夫人は言った。「ワトソンなくしてホームズなし、です」
P. 363
ハドソン夫人の言葉は登場人物には作者が必要である事とホームズの帰る場所はワトソンがいるヴィクトリア朝京都である事のダブルミーニングのように感じる。唯一ハドソン夫人がホームズ側なのはベーカー街221Bの家主さんだからか。そうすると京都のワトソンが「ただいま」を言う相手メアリーが影のロンドンにいないのも、その彼女も物語の書き手側だったのも示唆的だと思います。

「シャーロック•ホームズの凱旋」は物語を生み出す作家の苦悩を背景にキャラクターを作者に返しながら同時に創造主からも逃す内容で面白かったです。三が日は良い読書ができました。

MY FATHER'S DRAGON / エルマーのぼうけん

MY FATHER'S DRAGON
Story by Ruth Stiles Gannett
Illustrations by Ruth Chrisman Gannet
The Project Gutenberg
エルマーのぼうけん
渡辺茂男 訳

小さい頃は赤いカバーに入ったエルマーのぼうけんの3部作を宝物のように学習机に置いて、2冊目は表紙がちょっと不気味(配色のせい)でカナリアしか覚えてないけれど、1冊目と3冊目は暇さえあれば好きな場面をちょこちょこ読んだり(1冊目のライオンとかゴリラのとこ)良く絵を眺めたり(特に3冊目のキュートなドラゴン家族たちのとこ!)。

私のドラゴン/竜のイメージはエルマーのドラゴンで、ドラゴンが好きになったきっかけでもある。Franklin's Flying Bookshopを衝動買いさせたのは君たちのせいだよ。
ちなみに龍のイメージはシェンロン。

原書で読むと新しい発見があって面白い。年老いた猫さんが雌(she)とか、ネズミさんの言い間違え方が原書と翻訳ではちょっと違うとか、始終エルマーの子どもから読者への聞き語りスタイル、とか。読み聞かせるならオリジナルの方がしっくりくると思う。日本語版は大抵エルマーが主語として使われてるのでエルマーと一緒に冒険を体験できる。だからタイトルかMy father’s dragonじゃなくて「エルマーのぼうけん」なのだと思う。

宝物だった赤いケースの3冊は引っ越した時にどこかに行ってしまって、もう大人になったしな…で買い直さずにいたがずっと忘れられず。だからFranklin's Flying Bookshopを…。

今こうやって原書で読み直してもワクワクするしドラゴンの絵にキュンキュンする。ポケット版も何度も開いては好きなところをもつまみ読みしてしまう。

まだ「本を読む」でくよくよしてるけど、好きな本はいくつになっても好きなままで。それでいいのかもしれない。

The Project Gutenbergに2冊目と3冊目はないのでどうするか、Kindleで3冊セットを買うか。何ならハードカバーのcombined版もある。2冊目を克服するなら今。やっぱり大人になっても2冊目の表紙が苦手である。

本をかったが

今の読書ペースではすぐに読みきれないほどの本を買ってしまった。本を読みたいのか本をただ買いたいだけ(=所有したいだけ)なのかわからない。積読は増え続け同じ本を読み返す事もめっきり減ってしまった。子どもの頃は好きな本を飽きもせず繰り返し読んでいたというのに。