「イスラム国」が破壊した文化遺産

破壊活動を誇示するも、被害の全容解明は困難

2015.03.17
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ユネスコの世界遺産にも登録されているイラク北部の古代都市ハトラ。当局によると、最近、イスラム国の戦闘員たちに破壊されたという。(PHOTOGRAPH BY LYNN ABERCROMBIE)

 「文明のゆりかご」とも呼ばれる文明発祥の地、中東のイラクやシリアで、過激派組織「イスラム国(IS=Islamic State)」の戦闘員たちが遺跡の略奪や破壊を繰り返している。

 2月の終わり、イスラム国はイラク北部のモスル博物館に収蔵される数千年前の彫像を倒し、粉々にする映像を公開した。イラク政府は先日、数千年の歴史がある古代都市の遺跡をイスラム国の戦闘員に破壊されたと発表した。その中には古代アッシリアの3都市ほか、ユネスコ世界遺産に登録されている古代ローマの主要都市ハトラが含まれている。

 一方、シリアは内戦によって荒廃し、20万近くの命が奪われ、何百万もの人々が家を失っている。イスラム国はシリア支配をもくろむ勢力の一つにすぎないが、活動資金を得る手段として略奪を推し進めている。

 公開されたモスル博物館の映像を除けば、ハトラやニムルドの被害状況がわかる情報はほとんどない。ドイツ考古学研究所イラク出張所の所長マーガレット・ファン・エス氏は、「どれほどの被害なのかを示す写真すらないのです。何が破壊されたのか、把握しなければなりません」と話す。


イスラム国は敵対するイスラム教の礼拝所を破壊している。写真はモスルにある預言者ヨナのモスク。(PHOTOGRAPH BY REUTERS)

無意味な破壊の意味

 イスラム国は2月25日に公開した映像の中で、破壊活動は宗教に基づくものだと主張している。戦闘員の一人は、「預言者の命令に従い、偶像を破壊した」と説明している。「私の背後にある遺跡は、かつて人々がアラーの代わりに崇拝した偶像や彫像だ」

 ファン・エス氏は、このような考えはとうてい認められないが、純粋にそう信じているのかもしれないと分析する。「信心深い人々は疑問など抱きません。心からそう思っている戦闘員もいるのでしょう」

 戦争によってイラクの遺跡が破壊されたのは今回が初めてではない。2003年、米軍はイラクに侵攻してまもなく、南部にあるバビロンの遺跡に基地を築いたが、その際、遺跡の一部をブルドーザーで破壊している。侵攻後、イラクは混乱状態に陥り、国中で略奪が横行した。モスル博物館も2003年に被害に遭っている。


2015年3月初旬におけるイスラム国の支配地域。(NG Maps. Source: Institute for the Study of War)

 イスラム国がモスルを掌握する前、残された収蔵品の多くは安全のためバグダッドに運ばれた。しかし、今回の破壊活動をイスラム国は映像にまとめ、プロパガンダとして誇らしげにオンラインで公開した。「破壊そのものは特別な出来事ではありません。歴史を振り返っても、戦争には常に破壊が伴いました。ただ、彼らは自らの破壊行為を世界に知らしめた。前例のない、衝撃的なやり方です」とファン・エス氏は語る。

 以下に被害の概要を紹介する。

イラク

ハトラ

 紀元前3世紀、ローマ帝国のはずれに独立国家の首都として築かれた。ギリシャ、ローマの影響と東洋の様式が融合した建造物は、シルクロード交易の中心地だったことを物語っている。1985年、世界遺産に登録された。

 2014年夏、ハトラはイスラム国に占領され、弾薬の保管や訓練キャンプに使用されるようになった。2月終わりには、ブルドーザーで破壊されたと伝えられている。それに際しユネスコの事務局長イリナ・ボコバ氏は、「イラクでは文化浄化が進められています。ハトラの破壊は、この恐ろしい戦略の岐路となる行為です」とコメントしている。

ニネヴェ

 アッシリアは最も古くに興った帝国の一つで、紀元前900年から600年にかけて中東から拡大し、古代世界の広範囲を支配下に置いた。歴代の王は現在のイラク北部に首都を築き、領土を治めた。ニネヴェはそうした首都の一つとして、紀元前700年ごろセンナケリブ王の下で繁栄し、世界最大の都市となった。

 ニネヴェは現在のモスル郊外に位置し、市街地の一部は遺跡の上に築かれている。2014年にイスラム国はモスルを掌握すると、この古代都市に狙いを定めた。遺跡にあった彫刻の多くはモスル博物館に収蔵されているが、その一部が破壊行為の餌食となった。ニルガル門を守る半人半獣の像ラマスを破壊する男たちも目撃されている。

モスル博物館、モスル大学図書館

 2014年夏にイスラム国に占拠されてほどなく、モスルの図書館や大学での略奪行為が表面化した。数世紀前の書物がいくつも盗まれ、何千冊もの書籍が美術品を扱う国際的な闇市場へと消えた。2014年12月には、モスル大学の図書館に火が放たれた。2月後半、イスラム国はついに、1921年に建造され、ランドマークにもなっていた公共図書館をも爆破する。数千点におよぶ書物や、アラブの科学者たちが使用していた道具も粉々に砕け散った。

 図書館への放火はモスル博物館の映像が公開された時期と重なっていた。モスル博物館はバグダッドの国立博物館に次ぐイラク第二の博物館で、ハトラ、ニネヴェの傑作と称される彫像も収蔵されていた。専門家の目で見れば、動画で破壊されている彫像の大半は明らかに模造品だとファン・エス氏は語る。本物の多くは国立博物館で保存されている。

ニムルド

 3200年前に築かれたアッシリア最初の首都。豪華な装飾が帝国の力と富を反映している。1840年代、英国の考古学者たちによる発掘が始まり、何十点もの巨大な石の彫刻が世界中の美術館、博物館に寄贈された。

 遺跡そのものも巨大で、約360ヘクタールの都市が土壁に囲まれている。イスラム国が遺跡の一部をブルドーザーで破壊したとイラク観光・遺跡省は報告しているが、被害の程度はまだ明らかになっていない。未発掘の部分もあるため、少なくとも一部は無事であることが期待されている。


翼を持つ獣の像をきれいにするイラクの作業員たち。2001年7月、ニムルドの遺跡で撮影。

コルサバード

 アッシリアの首都の一つ。モスルから数キロの位置にある。紀元前717~706年、サルゴン2世によって王宮が築かれた。レリーフや彫像の保存状態が極めて良く、アッシリアの勝利や王位継承を描いた装飾の痕跡が残っている。

 レリーフの大部分と彫像の多くは1800年代半ばにフランスの調査隊、1920~1930年代には米国シカゴ大学東洋研究所のチームによって発掘され、イラク国立博物館やパリのルーブル美術館などに収蔵されている。破壊された場所は明らかになっていない。

預言者ヨナのモスク

 モスルには、聖書に登場するヨナが埋葬されていると言われるモスクがある。ヨナは多くのイスラム教徒に預言者と信じられているが、イスラムの教えを極端に解釈するイスラム国は、ヨナのような預言者の崇拝を禁じている。2014年7月24日、イスラム国の戦闘員はモスクを爆破した。

シリア

アパメア

 ローマ時代、交易都市として栄えたアパメアは、シリアで内戦が始まってから略奪の餌食になっている。衛星画像を見ると、あたり一面に何十もの穴が開いており、存在すら知られていなかったローマ時代のモザイクが発掘され、売りに出されたとも伝えられている。イスラム国も遺物を売りさばき、数百万ドルの活動資金を稼いでいるとされる。

ドゥラ・エウロポス

 ギリシャの植民都市で、後にローマ帝国の拠点となった。イラク国境からほど近いユーフラテス川沿いに位置する。世界最古として知られるキリスト教会や、美しい装飾が施されたシナゴーグ、数々の寺院やローマ時代の建造物の跡がある。衛星画像には、日干しれんがの壁に囲まれた穴だらけの景色が写っている。略奪者による大規模な破壊の証拠だ。

マリ

 紀元前3000~1600年の青銅器時代に繁栄した。宮殿や寺院、粘土板に刻まれた膨大な文書が発掘されており、初期の文明をうかがい知ることができる。地元住民からの報告や衛星画像を総合すると、王宮を中心に組織的な略奪が行われているようだ。


シリアのユーフラテス川沿いにあるマリの遺跡。無数の粘土板から古代メソポタミア文明をうかがい知ることができる。(PHOTOGRAPH BY DEAGOSTINI, GETTY IMAGES)

文=Andrew Curry/訳=米井香織

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