Sense60
俺は、水面で体勢と呼吸を整える。
自身に、ATK、DEF、SPEEDのエンチャントの三点強化。更に『食材の心得』により弱点発見を施す。
包丁を握りしめ、再び、水へと潜り、マグロを探す。
だが探す手間はかからない、一定の空間を回遊しているマグロは、自身の領域に入ってきた俺に向かって、突撃してくる。
余りの速さに最初は、水を蹴り、大きく回避行動をとる。
(やっぱり速いし、当たったら相当なダメージは受けるんだろうな)
そう思いながら、水中での体勢に気をつけながら、マグロへと向き直る。
奴は、大きく旋回して再び俺に突撃してくる。
今度は、回避を小さく、奴の身体に走るマーカーに狙いを定めて包丁を振る。
巨体に何本も走るマーカーを腕の力で振るうが、マグロの巻き起こす水の流れに阻まれて押し戻される。
(ヤバい、近づけないな。並走して泳ぐには速すぎるし……)
そうしてこちらが攻めあぐねているが、マグロも急には方向は変えられず直線的攻撃だけ。これが、濁った水で周囲五メートルも見通せない水中だったなら、突然現れる巨体に為すすべなくやられるだろう。
そんな嫌な想像に背筋が寒くなる。
最低限の動きで出来るだけ近づこうと俺とマグロは交差するが、互いに一撃を入れることは叶わず、一回目の勝負は引き分けとなる。
「……ふはっ! ふぅ、ヤバいな。どうするか」
奴は、自分の領域を決して出ない。狙った獲物を最後まで追うような意志も信念も感じない。ただ機械的に入ってきた敵に襲いかかり、領域を出るなら決して追わない。その姿勢は、一言で言うなら、何かを守っているように感じる。
攻め方を考え、二度目の潜水を始める。
(さぁ、何か攻略の糸口が見つかると良いがな)
今度は、少々強引に奴の身体に包丁を突き立てるように攻める。振るうより、突きの方が水の抵抗が少ない。
マーカーを切るのではなく、点で繋げていく方法だ。
避ける距離感は、一回目で掴めた。後は、少し踏み込み、包丁を突き立てるだけ。
(来い来い来い……今だ!)
縮めた腕を伸ばし、マーカーの一部に突きたてる。少しの抵抗と共に刺さった。やった、と思った瞬間、突き刺さった包丁は、マグロの身体に残り、それを握る俺の身体を引っ張る。
激しい水の抵抗に晒され、俺のHPを徐々に減らしていく。
ヤバいと思ったが、包丁が抜くに抜けず、奴が方向を変えるための減速の瞬間を見計らって、包丁を抜き、浮上した。
僅か一回の交差で二回目の勝負が決着した。もちろん、俺の負けだ。
「くそっ! 奴は、殆どダメージを受けてないのに、俺だけ三割以上持って行かれた」
速度が遅ければ取り付き、包丁で滅多刺しにでもするが、引き回すことさえ攻撃になる。こんな時、カースドで相手の速度を落とせれば良いが、水面からは距離があり、水中では言葉を発することが出来ないから無理だ。
ポーションでHPを回復して、再び水中に戻る。
距離感は、問題ない。攻撃の方法を変えなければ。
切るでもない、突くでもない。刃渡りが長ければ、流水の範囲外から斬る事は出来る筈だ。陸から弓で射るには、水の抵抗で矢が失速する。
俺は、攻め方を見つけることが出来ないままただ避けることを反復のように続ける。
……三回、四回、五回、六回、七回、八回
九回目の対峙。この戦いを始めて一時間が経過しようとしている。機械的に、最低限の最適な動きを身体に覚えさせる。
水を足場に見立てて、水の抵抗の少ない動きは、それだけ早く動ける。水を踏んで水中でステップ。奴の攻撃を避けるなど造作もない。
俺は、避ける間に延々と攻撃方法を考える。
マジックストーンは、キーワード発動から五秒後。水中に沈む速度と水面で唱えるタイミング、そしてマグロの回遊コースが一致するとは限らない。
攻撃手段は、握った包丁。包丁をどう使う?
頭の中で、包丁の使い方を思い出す。包丁は、押して、引く。これが基本の動きだ。では、水中のマグロを押して、引くにはどうするか。
ちょうど、向かってきたマグロ。
脇をしめたまま、両手に握りしめた包丁をマーカーに突き立てる。
今度は、流水の抵抗の中、足に力を入れて、水を蹴る。
マグロの進む力と俺の進む力が交差する時、包丁はなめらかに進む。
(よし、切れた)
ただ刃物を固定し、互いの力だけで切る。
水中は抵抗が大きいので、やみくもに腕を振るうよりも、泳ぎながらの辻斬り。
その結果がこれだ。
今の一撃は、なぞるようにして切ったが途中で僅かにずれた。次は、きっちりと線に沿わす。
今度は、俺から攻勢に打って出る。
水を蹴り、マグロに真正面から進んでいく。
水の中でスピードに乗り、今度は俺が水の流れを生み出す。
互いに肉薄するその一瞬、俺は、身体を逸らし、一番長いマーカーへと包丁を突き立て、足に力を入れて、一気に尻尾まで駆け抜ける。
助走の勢いと相まって、今度は、力負けすることなく、綺麗にマーカーを切れた。
これは、一つの自信となったが、時間が来た。
一度水面に上がり、体勢を立て直す。
「やっと一割削った。後は、九割」
十度目の挑戦。
正面から挑み、迫る。互いに勢いづいた正面からのチキンレース。万が一俺が避けるタイミングを失敗すれば、質量的に勝っているマグロに腹を持っていかれるだろう。だが、避けて切るだけでは大きなダメージは入らない。
交差する度に、減って行くHP。そして最後の正面対決。
すっと、差し込んだ包丁は、マグロの身体をすべり、最後には絶命へと追い込んだ。
(……解体完了……なんてな)
強敵だった。一対一なら今まであったどんなMOBよりも強いだろう。ボスと比肩するのは、おかしいかもしれないが、環境が環境なだけにボス以上に強いと感じる。
そして、ユニーク討伐の報酬である宝箱が水中で生まれ、沈んでいく。
俺は、慌ててそれを追い、水底に落ち着いたのを確認して、宝箱を開ける。
(さて、養殖クロマグロならどんなアイテムを落とすのか)
期待して上げたアイテムを見て、目が点になる。そして俺は、この思いを伝えるために全力で水を蹴り、真上へと突き進む。
「ヨウショクって食べ物の方の洋食かよ!」
入っていたアイテムは、洋食料理セット。
パスタ生地を入れて、ハンドルを回すとパスタが出てくる道具とか、ボールに、寸胴鍋、大型魔導コンロ、色々な道具が入っていた。
ありがたいけど、運営がネーミング的に茶目っ気を出しているのは分かるが、でもどうしても納得できない。
「あーっ、どっと疲れた。もう水中確認したら帰ろう」
俺は、水中で見つけた人工物の一部目掛けて潜って行く。建物は石造りで、入り口は、一か所。
そこから入り込むと、内部は空気で満たされ、松明が掛っていた。
「おいおい、こんな松明湿って使えないだろ」
そう思いながらも、料理セットのチャッカマンで点火してみると火が付いた。ゲームだからありなんだな。
次々に火をつけて進んで行くと、部屋の全体像が見てとれる。
細長く、奥まで続く石造りの壁には、漆喰が塗られ、その上から絵が描かれていた。
様々な動物の絵。狼、虎、巨鳥、象、熊、狐、竜。その他たくさんの動物たちと共存する人間。一切の文字はなく、ただ絵だけで表現された空間。
部屋をめぐってみると、別の空間へと続くような通路を見つけたが、崩れ落ち通ることはできなかった。
注意深く周囲を探るが、動物の絵しかない。
それを少しずつ、スクリーンショットで撮影し、捉え漏らしの無いようにする。天井にも似た共存の絵。
そして、最奥に進むにつれて、絵の様相は変わって行く。
動物と共存していた人間が、動物を使役するようになり、使役された動物は、人との繋がりを大切にした。
その絵の中で一際異彩を放っている存在があった。
大きく割れた口と不揃いで鋭い牙、黒い胴体からは無数の触手が伸びる生物。おぞましさを助長するような配色と、生物としてあり得ない方向にねじ曲がった胴体。落ちくぼんだ瞳のあったであろう場所は、ぽっかり空洞。
その生物は、触手で動物を捕獲しては、その禍々しい口に放り込んでいく。
それが何匹も現れ、動物たちを蹂躙する壁画は、今までの牧歌的な壁画の印象を全てぶち壊すに十分だった。
まるで、この動物たちの天敵であるかのような存在。
「きっと想像だけど、そんな設定があるのかもしれないな」
そして人々が武器を手に持ち、その天敵を打ち取って行く。そのどれもが奴の背後に存在する隠れた瞳に狙いを定めていた。
こんな重々しい壁画の終わりに、再び訪れたお宝タイム。
空間の最奥に鎮座する宝箱は、今までの宝箱よりも重厚感溢れる造りと装飾だ。
今度は、湖底の建築物内でも宝箱。俺が泳いで辿り着いた時には、泳ぎレベル12だった。そして回遊するクロマグロとの死闘を合わせると、相当難易度が高く、昨日今日泳ぎセンスを取得したからと言って辿り着けはしないだろう。
(今度こそは、ネタアイテムじゃないものを所望する!)
俺は、緊張する手で宝箱を押し開けると、中には、未鑑定の四点の武器が収まっていた。
杖と戦斧、一対のダガーに長弓だ。
杖は、真っ黒で光を吸い込みそうな宝石が嵌めこまれた一品。黒の禍々しさよりも神秘性の際立った魔法杖。
戦斧は、赤黒く、重厚感溢れる物で俺は持ち上げようとするが上がらない。赤くひび割れた側面はマグマのように赤と黒の明滅を繰り返す。
一対二本のダガーは、柄のデザインは同じでも刃の色が違う。片方はガラス質の黒の刃。もう片方は、光を反射しない毒々しいまでの紫色。どちらも表面がざらざらで光を反射しない質感、となっている。
そして長弓は、しなやかな木材と巻かれた鮮やかな赤い布、そして精巧な飾り羽と何の素材か分からないが、真黒な弦の張られた長弓。
リーリーの作った黒乙女の長弓よりも一回り大きく、気軽に取りまわし出来そうにないが、止まって打つ分には安定して打てそうだ。
そして、最後にメモ。
「えっと、『おめでとう。フィールドでの隠しユニークアイテム。№4。これは、あなたたちパーティーが最も使う種類の武器です。詳しい詳細は鑑定することで分かります』って、確かに未鑑定状態だ」
えっと……全部インベントリに仕舞い込み、状態を確認する。確かに未鑑定だ。装備は出来るが、何が起こるか分からない。今晩にでもマギさんたちに見せて確認しよう。というより、これはどう考えてもマギさんたち含めたパーティーでの武器だろう。
離れていてもパーティーか、良いね。と思ってしまう。
俺は、この場ではもう調べる事がないと水の中へと再び潜る。
湖底から見上げる水面は、太陽光を反射して、きらきらと輝いていた。その場で一度止まり、その光景を記録に残し、湖を出る。
「……リゥイ。いるか?」
余り長く放置し過ぎたかもしれない。あたりを見回しても白馬の姿はない。二時間以上も放置はやり過ぎたと思い、頭を掻いていると、近くの草むらから飛び出す姿を見つけた。
「お前、待っててくれたのか。ありがとう」
俺は、腰を屈めて近づいてくるリゥイを撫でる。顔を俺から背けるのは、不機嫌の表れか。申し訳ない事をしてしまったな。
「これからベースキャンプに戻るんだ。仲間もいるんだ。良い人たちだよ」
「……」
「リゥイ? どうした」
今まで俺と目を合わせようとしないが、撫でられて嫌だという素振りを見せなかったリゥイが、何かを幻視するように、静かな張りつめた緊張を展開する。
その間、数秒。リュイは、俺から三十メートルばかり離れた位置に移動して、首を振ってこっちに来い。としている。
動物の危機察知能力ってゲームでも適用されるのか? とかお門違いな考えを持って、リゥイの傍に寄った瞬間、けたたましい金切り声と激しい剣戟が展開される。
「な、なんだ!?」
「――パワーウェーブ!」
聞きなれた声と共に、湖畔側の林から二匹の巨大なモンスターが吹き飛ばされてきた。それも俺がちょうどいた場所に。
「一撃目でこれだけ吹っ飛ぶなんて、フィールドユニークだからって手応え無さ過ぎ! さぁ、私の剣の錆となるが良い!」
無駄にハイテンション。無駄に剣を振りまわし、風を切る。
ヒマツブ・シザースとスイーツ・ツリーの二体を同時に相手取る少女たちが、ユニークMOB達の折った木の上に姿を現した。
「……ミュウ。あなたは、いきなり二体同時に相手って少々リスクが高い気がするんですが」
「うーん。僕はあの硬い甲殻で槌レベル上げられればそれで良いんだけどな。」
「まぁまぁ、他の人に奪われる前にサーチ・アンド・デストロイ! これが最強!」
知り合いです。めっちゃ知り合いです。
軽装短剣使いで冷静に突っ込むトウトビ、大槌取り出し笑っているヒノ、そして我が暴走特急な妹のミュウだ。
危険を感じ取ったのか、隣ではリゥイがステルス状態に移行。俺の隣へ寄り添い、警戒を強めている。
それにしてもルカートたち他三名は? まあ、俺も別行動で人のこと言えないけど。
「あれ? お姉ちゃんだ! おーい、ユンお姉ちゃん!」
「ミュウ、前、前!」
戦闘中なのに、余裕でこっちに手を振っている。モンスターの鋏と木の槍の挟撃を難なく避ける。
おい、チートな妹よ。頼むから兄を心配させるな。
湖底の武器を『クロスボウ』→長弓に変更。