◆ 第五章 お飾り側妃、危機迫る(12)
「どうかしましたか?」
「いえ、たいしたことではないのですが、自分の中でもやもやすることがあって──」
ベアトリスは言葉を濁す。
さすがに、お飾り側妃の分際で『殿下が別の令嬢を頻繁に呼び出しているのが気に入らない』とは言えなかった。ベアトリスの様子をじっと見ていたランスは、ふむと頷く。
「では、息抜きに城下にでも行きますか?」
「え? いいのですか?」
城下に行くことはアルフレッドから禁止されていたはず。
「はい。私がいれば」
ランスは人差し指を自分の口元に持ってきて、秘密だよ、とポーズする。ベアトリスはその様子を見て、くすっと笑った。
(ランスさん、相変わらず優しいなあ)
「では、お言葉に甘えて」
ベアトリスはランスがエスコートのために差し出した手に、自分の手を重ねた。
ベアトリスの希望で、ふたりはまず本屋に向かい、その後はぶらぶらと町歩きをする。
「あれ、美味しそう」
「食べてみますか?」
道沿いで売られているカットフルーツに目を奪われたベアトリスに気付き、ランスがすかさず聞いてくる。
「いいのですか?」
「もちろん」
ランスはその店の前で立ち止まる。硬貨と引き換えにカップに入ったブドウを受け取ると、それをベアトリスに手渡した。ベアトリスはおずおずとそれを一粒、口に入れる。
「美味しい……」
「それはよかったです」
ランスはにこりと微笑む。
「せっかくなので、郊外にも足を伸ばしますか?」
「はい。是非!」
ベアトリスは目を輝かせて頷く。
郊外に行くことは滅多にないし、今日のこの機会を逃すとしばらくは行けないだろう。
「では、変装しましょう。郊外ではこの格好は目立つ」
ランスはパチンとウインクすると、ちょうど目の前にあった衣料品屋に入る。ふたりして庶民向けの服に着替えると、いつもと違う日常が始まる気がしてわくわくしてくるのを感じた。
「馬車を呼んでくるので、少し待ってください」
「はい」
頷きながらも、ベアトリスは周囲を見回した。
(辻馬車ならたくさんあるけど……)
お気に入りの馬車があるのかもしれないと待ったところで、「来ましたよ」とランスがベアトリスに声をかける。ベアトリスはその馬車を見て、目を瞬かせた。
随分と質素……、よく言えば庶民的、悪く言えばボロボロだったのだ。
「今日はお忍びなので、馬車もお忍びのほうがいいかと思いまして」
「なるほど!」
ベアトリスはぽんと胸の前で手を打つ。
「ああ、そうだ。その指輪も目立つから、外しておいたほうがいい」
「これですか?」
ベアトリスは自分の手を見る。以前、アルフレッドから贈られたローズ・クローツの魔道具の指輪が嵌まっている。
「確かにそうですね」
「なくさないように、預かってあげますよ」
「ありがとうございます」
ランスはベアトリスから指輪を受け取り、それをポケットにしまった。
馬車は見た目通り、あまり乗り心地がいいものではなかった。揺られながら、ベアトリスは外を眺める。
はじめは両側に建物が建ち並び人々が行き交うのが見えていた景色は、いつの間にか田園風景へと変わる。何かの穀物が道路沿いに実っているのが緑の絨毯のように見えた。