ねとらぼのライターが書いたリラックマとカオルさんのレビューがため息でるほど浅い
久しぶりの更新が人の悪口とはどうなんだと思うが、はてなブログはだいたい人の悪口を書くところのなのでまぁいいかという感じである。
アニメといってもCGや作画ではなく人形を使ったストップモーションアニメで
NHKでどーもくんなどを作っていたスタジオが担当しておりめちゃくちゃクオリティが高い。
で何が問題なのかというとこの記事である↓
まぁ「リラックマの闇が深いとか話題だけど本当にそうか?俺はカオルさんぐらいだめなやつだから共感できるしこのぐらいのダメさを闇とかいうなよ」みたいなヘラヘラした文章である、この人本当にアニメ見たんか?。
リラックマとカオルさんの闇というのはカオルさんが取り残されてることそのものではなく、「取り残されてる=生きながらにして死んでいる」というこの作品のメッセージ性であって「アラサー独身OLの闇」みたいなステレオタイプなそれではない
そういう話をするなら同じNetflixの「アグレッシブ烈子」の方をレビューした方がいいだろう。
1話を例に上げてもカオルさんの問題は「停滞」に示されていることがわかりやすい。
1話では「学生時代の友人との毎年恒例の花見を楽しみしているが 友人たちは家庭や仕事がありどんどんこなくなり 今年はカオルさん以外誰も来なかった」というのが概ねのあらすじである。
でそういう話を「アラサーあるあるっすねー」みたいなヘラヘラした読み方して終わってるのがこの記事なのだが ある意味「カオルさんみたいな人」という気持ちが湧いてくる。
カオルさんはこの一話で最後まで気が付かないのだが「このお花見を本気で楽しみにしてるのはカオルさんだけ」なのである、ウキウキで弁当を作り「みんな私の弁当を楽しみにしてるのよ!困っちゃうわー」などと台詞で言うほどウキウキしてるのはカオルさん一人だけで、他のメンバーの「お花見って今日だっけ」というLINEに「決めたのはあんたじゃん!!」とカオルさんはキレるのだが、この「楽しみにしてるのはカオルさんだけなのに日程は他の人に決めてもらってる」という絶妙な再現度の高いダメ人間度合いがこの作品のヤバイところなのだ「学生時代の友人と毎年集まる」ことにアラサーになってもしがみついているばかりか「来て当然」「彼氏ができたぐらいでこないのか」と「それ」にしがみつきっぱなしなのである。
でここまで書いてリラックマがまったく出てこないのだがリラックマのしごとはここから、失意の中やけ酒して帰宅したカオルさんに「お花見をしたい」とリラックマたちは持ちかけ、カオルさんの作ったお弁当を美味しそうに食べることで「カオルさんを救う」のだが、それじゃ普通のアニメなのである最後の最後にカオルさんという人間を指し示す一言が飛び出す「桜ってなんでこんなに綺麗なんだろう ピンクだからかな」
アニメの登場人物とは思えないぐらい解像度の低い感想である。
そして「私もピンクだったら良かったのかな」とこぼす
桜が綺麗な花を咲かせるために一年間頑張って生き延び冬を耐えているという命の営みとかそういう物は一切見ずに「私もピンクになれば一発解決なんだけどなぁ」なのだ
この「世界を見る目の解像度の低さ」がカオルさんなのである
だからカオルさんは性格がいい悪い以前に大事なことをこの先の話数でも取りこぼし続ける。
そして「カオルさんが取りこぼした物」は視聴者には見せてくるのだこのアニメ
4K高画質対応なのでどれだけ隅々まで見ても破綻の無いミニチュアと構図が見せてくるのである。
その「見せてくる作り」こそ闇と言われる所以であり意地の悪さなのだ、リラックマはカオルさんが挫けそうな時生きづらそうな時に癒やしてくれるが「解決」はしてくれない、それ自体はまぁリラックマだしという感じだしそれっぽいのだが、そもそもカオルさんは「何故こうなったか」に思い至ることはない。思い至ったらぶっちゃけリラックマを持ってしても癒やしきれないぐらい死ぬしか無いからなのだがそこを絶妙に解像度の低さで見ないようにしていけてるのでギリギリの綱渡りだ。
「そもそもカオルさんは毎年花見に集まってもらえるほどそのメンバーと仲が良かったのか?」「花見の時以外一切会わないぐらいの距離感なのでは?」というのが浮き彫りになっていく(リラックマとカオルさんは1話から最終話までに一年経過するので)そういう情報が全部10分のアニメに詰め込まれている情報のアニメなのである。レビューとか書くなら真面目に何周も見てそういうところまで突っ込めアホ。
で一話の話もそこそこに記事への文句に戻るのだが
3話の「リラックマに生えてきたキノコを食べる話」を「なんかぶっとんだエピソード」としてしれっと流しているが、「リラックマとカオルさんの闇ー!」みたいな話するならこの3話がその筆頭だろ!!という話である。
梅雨のシーズンになり湿気でカオルさんの家にキノコが生える中、カオルさんは会社で同僚が合コンに誰を誘うか話ているのが耳に入ってしまう。しかし「カオルさんは?」「www」「仕事はできるんだけどねー」「真面目だからねー」と誘う候補にすら入ってないことに気づく、この一連のやりとりだけで「カオルさんは?」の時にカオルさんが「呼ばれるのでは?!」と期待の表情をするのが切ない(ここで表情にこだわるために専用のメカニカルヘッドで作られたカオルさんのミニチュアをふんだんにいかした表情芸を見て欲しい)、でもカオルさんは大事なことに気づいてない「そもそもその同僚二人とそんな仲良くない」という根本的な事実をまた見落としているのである誘われるわけないだろ。
そんなこんなで「真面目すぎる自分を変えたい/変えたら合コンに誘ってもらえる人になれる」と根本を見誤った悩みを抱えて帰宅、その後リラックマの身体に生えたキノコを食って自分を変えようとするのだが…
と「真面目で合コンにも誘われない女が 自分を変えるためにキノコを」とど直球に性のメタファーな話をやりはじめる勢いがあるのだがヤバイのはそこではない。
結局食事中にカエルが家に乱入しカオルさんが食べようとしていたキノコを食べて気が狂い窓から落ちていく姿を見て、キノコを食べることを思いとどまり、リラックマに慰められてハッピーエンド!みたいな雰囲気になっているがそんなことはない。
「今までと違う自分」になろうとする象徴の行為であった「キノコを食べてみせる」を実行すると「気が狂って笑いながら窓から落ちる」とカエルは見せてきたのである。
「変わらなくても良い」とリラックマは慰めてくれるしそれで死にはしないのだが。
「カオルさんはもう理想の自分に変わるには死ぬしか無い」のである
かくも残酷なことがあろうか!。
そして雨上がり、変わらなくても良いとわかったカオルさんの気持ちにように晴れた空の下に「キノコくってキ○ガイになったまま笑い続けるカエル」を映して3話は終わるのだ…
ちなみに字幕をONにするとカエルが笑う時に「おかしくなったカエルの笑い声」という字幕がでる、めっちゃ怖い
という部分が闇なのであって『カオルが合コンに誘われないのが闇』みたいな浅い騒ぎ方しとるわけとちゃうんやそこわかるか????
3話だけでもこんだけ書くことあるねん!!!!
「確かにキノコくったりするぶっとんだエピソードはあるけど概ねアラサーOLのあるあるの範疇じゃない?」とちゃうんや!!!
このアニメが延々「変わらなくても生きていける」という癒やしのメッセージと同時に「変わらないということは死んでるのと同じ」という「永遠じゃねえ無限だよ」って話されとるんやあんたHiGH&LOW好きなライターやろ気づけや!!!
そしてカオルさんは人間関係の管理が雑すぎてもう「目ぇ覚ませよ!」って殴りに来てくれるコブラもおらんうちにええ年の大人になったから「永遠」のまま「一生無限になれない」ことを定めづけられとるっちゅうのを浮き彫りにするのが5話の幽霊回と9話の雪だるま回でしょ!!!!
4話が「優柔不断で何も選べないカオルさんと 選ばなくても良いと癒やしてくれるリラックマ のように見せかけて実は他人にオススメされたことの反対を即座に選ぶ性質があり 何も選べないと言いながら即決でビール買ってるカオルさんが画面に映ってる」のがリラックマの闇であって「その手前の優柔不断で選べないカオルさん」だけ見て「こんなん俺と一緒ぐらいのだめさだよ」ってお前はこのアニメの何を見てたんやしげる!!!!!!!!!!!!
ちゃんとアニメ見ろや!!!!!!!!!!!!
このアニメはそこまで踏み込んで視聴しても良い懐の深さがあるからこんだけ話題なんだやねん「なんか闇闇言われてるから見たけど ちょっとだめなOLあるあるじゃん」ってそれじゃ「カオルさんと一緒の」意味合いがだいぶ変わってくるやろ仮にもライターやっとる人が「映像作品に対する解像度が低い」という意味でカオルさんと一緒になったらあかんやろ!!!!
ananのリラックマとカオルさん特集でも「説明しすぎない」「何回も見てもらうと発見がある」監督が言うてはんねや!!レビュー書くんやったらそんな適当に流し見したような感想かかんと「レビュー」を書きなはれや!!!
レビューを!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ただリラックマとカオルさんそのものは「そこに気づかないままリラックマが可愛いのを見るだけでも良い」という「選ばなくても良い」アニメでもあるので、これから見る人は自由に見て欲しい
でも「闇」がどうこうの話に踏み込むならここまで踏み込んで見て欲しいよ