更新日:2025年01月14日 01:49
仕事

医学部在学中に年商1.5億円。令和の虎・青笹社長が医師の道を捨て、「動画編集教育ビジネス」を選んだワケ

 テレビやラジオといった従来のメディアに代わり、動画メディアの勢いが止まらない。特にYouTubeは多くの人が気軽に配信できるようになり、YouTubeチャンネル数も増加。生き残りをかけた激戦が続くなか、YouTubeでの発信力も活用しながら、事業の成功を収めている時代の革命家たちに迫る。  インタビュアーは、出版プロデューサーでビジネス書作家の水野俊哉さん。水野さんは出版プロデューサーとして数々のヒット作を世に送り出し、自らも作家として多くの書籍を出版している。  今回、「令和の虎」に最年少の虎(投資家)としてレギュラー出演中、『世界一やさしい YouTube動画編集の教科書1年生』(ソーテック社)の著者としても知られる青笹寛史さん。青笹さんは国立大学医学部医学科に在学中、動画編集教育の会社を設立し、法人1期目に売上1.5億円を達成。  医学部を卒業し医師免許を取得したものの、医師の道ではなく動画編集教育事業に邁進する青笹さんに話を聞いた。

国立大学医学部を卒業し医師免許を取得したものの、動画編集教育ビジネスを選んだ青笹寛史社長

◆令和の虎出演は株本さんの出演辞退がきっかけ

水野:令和の虎チャンネルに出演したことで、知名度が上がった青笹社長ですが出演のきっかけは何だったのですか? 青笹:それまで出演されていたStockSun株式会社の株本(祐己)さんが「出演を辞めます」ということがきっかけで、その代わりに出させていただくようになったんです。もともと株本さんとは、StockSunのフリーランスとして活動し、自身が最上位クラスになったあたりから、目をかけてもらうようになりました。 水野:出演されたのが医学部6年生の時でしたよね。 青笹:そうですね。令和の虎の影響力は知名度という意味でもすごかったのですが、横のつながりもすごく感じました。  株本さんのつながりでYouTubeの「ヒカルチャンネル」に出演されていた林(尚弘)さんや桑田(龍征)さんとも知り合えましたしね。自分の目の前に来たチャンスに臆せず飛び込んでいくことで道がひらけてきた感覚があります。 水野:青笹さんがヒカルさんに「自分をヒカルチャンネルに出してほしい」と直談判したことがヒカルさんの目に留まったんでしたよね。チャンスを果敢につかみにいくのも印象的です。 青笹:令和の虎の出演と同じくらい、ヒカルチャンネルへの出演でも一気に知名度が上がりました。林社長とはビジネスアイディアの話をしたり、動画CAMPのフランチャイズ化について教えてもらったりという、自身の事業にも大きなプラスをもたらしました。 水野:飲み会も相当な数行かれていたと聞いていますが……。 青笹:はい、一時は週7回、夜の街で林社長と飲んでいましたね。呼ばれたらすぐ行くスタンスでした。今は週1回くらいに落ち着きましたが、林社長は常にビジネス展開のことを考えているので話は尽きません。  改めて、YouTubeの持つ可能性は無限大だと感じています。自社事業でお客さまを抱えながら、YouTubeによって知名度を上げる。そして新たな商品やサービスをローンチすると確実に売れていく、ということをこの数年間で体験してきました。 水野:なおかつ青笹社長の場合は、さまざまな方に引き上げられて、ご自身でも必要な投資として資金を出し、実績も出されています。合理的にビジネスを進められていますよね。

◆医学部に進学したのは“周りに納得してもらうため”

水野:そんな青笹社長は島根大学医学部卒という異色の経歴を持っていますよね。ちなみに島根大学に進学されたのは理由があったんですか? 青笹:父の実家が島根で、島根のあたりにも親戚がたくさんいたこともあって、島根大学を選びました。大学6年間島根に住んだので、人生の中で一番長く住んだ場所になっています。 水野:どんな大学生活を送られたのでしょうか。 青笹:入学してしばらくは「医師になろう」と思って勉強していましたが、飲み会やバンド活動に明け暮れる毎日になりました。高校までに感じていた窮屈さから抜け出した開放感がそうさせたのかもしれません。 水野:普通の大学生ならいざしらず、医学部だとそれだとまずい気がしてしまいますが……。 青笹:って思うじゃないですか。だけど周りの優秀な友人たちのおかげで、試験対策もできていたので、単位も問題なく取得できていました。 水野:それはすごいですね。そのあたりの合理性は経営者となった今も健在ですね。その後、青笹社長は在学中に起業されます。どんなきっかけがあったのですか? 青笹:自分自身が「勉強だけがアイデンティティ」で生きてきたのに、医学部の友達が抜群に優秀だったので自分のアイデンティティが失われてしまったんです。だから飲み会やアルバイト、バンド活動を通して自己のアイデンティティを探していました。  そんなとき、NewsPicksを見ていたら「これからはライドシェアが流行る」という記事を見つけました。まさに島根では仲間内でライドシェアのような文化が根付いていたんですね。どこに行くにも車移動が基本で、飲み会があると飲みに行かない友達が送り迎えするという互助関係があったのです。 水野:なるほど、そこに目を付けられたのですね。 青笹:友達関係に頼らず、送り迎えをマッチングするツールがあればみんな使うはずだと。早速アプリ制作をしようと思い立ったのですが、200万円というお金はすぐには準備できません。周りもみな学生ですから、投資するのも期待できません。  そこでネットで投資家を探したところ、すぐに「200万円出資します」と言ってくれる投資家が見つかったんです。 水野:その後の展開が読めてしまいそうですが……青笹社長はそのときはこの投資家の方に賭けてみようと思ったわけですよね。 青笹:はい、そうです。当時は純粋だったので、「出資してくれる」という投資家の話を精査もせずうのみにしてしまいました。しかし悪いことは続くもので、自分の200万円を投じてアプリは完成したものの、ほとんど誰も使ってくれなかったんです。  結果がまったく出ないうえに、200万円の投資をしてくれると言っていた投資家ともまったく連絡がつかない。プログラマー代を支払う期限は刻々と近づいてくる。このときばかりはマジで青くなりましたね……。 水野:しんどいですね……。ただこれが、成功につながる失敗経験となったわけですね。 青笹:はい。自分としては真剣に新規事業を立ち上げたつもりだったのですが、今考えれば何も知らない状態で「ビジネスごっこ」をやろうとしていただけ。うまくいくはずがないですよね。
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動画編集ニーズの高まりを実感し、医師の道を捨てて専業に
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1973年生まれ。作家。実業家。投資家。サンライズパブリッシング株式会社プロデューサー。経営者を成功に導く「成功請負人」。富裕層のコンサルタントも行う。著書も多数。『幸福の商社、不幸のデパート』『「成功」のトリセツ』『富豪作家 貧乏作家 ビジネス書作家にお金が集まる仕組み』などがある。

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