より広く伝えるために辿り着いたR&Bのグルーヴ──Nolzyデビュー作は新感覚のミクスチャー・ポップ
Nolzyのデビュー作『THE SUPREME REPLAY』は、R&Bやネオ・ソウル、ヒップホップをサウンドの軸に据え、それぞれの楽曲に設けたリファレンスとNolzy独自のセンスとがかけ合わさった、新感覚のミクスチャー・ポップに仕上がっている。R&Bに振り切ったことで外へ向いた心情や、自身が影響を受けたというスガシカオの存在など、さまざまなターニング・ポイントを経て辿り着いた本作。過去数回に渡りNolzyと対談経験もあるライターの柴 那典が、アルバム完成に至るまでの過程をロジカルな切り口で迫る。
「#それな」や「匿名奇謀」に加えて新曲6曲収録
INTERVIEW : Nolzy
Nolzyが初のオリジナルアルバム『THE SUPREME REPLAY』をリリースした。
アルバムは「90年代」がひとつのコンセプトになった一枚だ。ティンバランドやベイビーフェイス、デスティニーズ・チャイルドなど、あの頃のR&Bやヒップホップやネオソウルを彷彿とさせるサウンド。J-POPとしての人懐っこさを持つメロディー。リバイバルがトレンドを作り出していく今の時代の空気感を踏まえたソングライティングが貫かれている。その上で、代表曲となった「Outsider」や「キスミー」など、ままならない感情を生々しく切り取ったリリシズムも魅力の一つになっている。
Nolzyはどのように自らの音楽性を築き上げたのか。ソングライター/トラックメーカーとして、リリシストとして、パフォーマーとして、様々な角度から語ってもらった。
取材・文 : 柴 那典
写真 : 梁瀬玉実
世の中にちゃんと自分の音楽を届けたいという視点が入ってきた
──Nolzyとしてのデビューアルバムが出来上がって、まずどんな手応えがありましたか?
Nolzy:「#それな」とか「匿名奇謀」をリリースした1年前くらいからアルバムの構想があったんです。その頃はタイアップの話を初めていただいて、単曲でコンセプトを決めてデザインして曲を作るということをしていた時期で。自分の新たなフェーズが始まった感覚があったんですけど、だからこそ「アルバムである必要があるのか?」みたいなことを思ったんです。時代的にもプレイリストでいいやっていうことにもなり得る感じがあったんで。その単曲をどうやってアルバムのストーリーの中に組み込んで、自然に並べられるかということを考えて作っていった。それがちゃんと果たせたというか、最初の目的がしっかりクリアできたという感じですね。
──このアルバムは1990年代R&Bのサウンドがひとつのコンセプトになっていますよね。2022年に「Outsider」をリリースした頃はここまでR&Bやヒップホップやネオソウルに傾倒するイメージはなかったような気がしていたんですが、どういうきっかけでこういう方向性になったんでしょうか。
Nolzy:そもそも「Outsider」は2年半前に出した曲なんですけれど、あの曲を作る前はインディー・フォークのような、内省的なニュアンスの方が強かったんですね。そういう内省的なものを一通りやりきって、じゃあ次は世の中のより多くの人に聴いてもらえる楽曲を作りたいと思った時に出てきたアイディアが「Outsider」だったんです。その感じで「Outsider」が出てくるということは、自分の中でキャッチーなもの、より広く伝わるものを意識すると、シティポップだったり、ブラックミュージック的なノリを持つものが出てくるんだと思った。グルーヴィーなものが自分にとってのキラーチューンなんだなって自覚した感じがあったんです。だから「Outsider」を出した時点では、他の曲に対してアッパーだし、ジャンルとしてもちょっと浮いていて。でも、そこから2年半くらい経って、それが自分の中心になった。
──振り返れば「#それな」もかなりターニングポイントになっているんじゃないかと思います。サウンドプロダクション的なところでもここで何かを掴んだ感じがあるんじゃないかと思うんですけど、この辺はどうですか。
Nolzy:まさにターニングポイントになりました。「Outsider」の時は手探りだったというか、キャッチーなもの、グルーヴィーなものというところまでは見えてたけど、それを形にするのに時間がかかったし、悩んでいて。でも「#それな」を、レフティ(宮田“レフティ”リョウ)さんと一緒に作ったことで、目指したサウンドの解像度がすごい上がったんです。あの曲はミネアポリス・ファンク的な90年代付近のデジタル・ファンク・サウンドをリバイバルしたいというところから始まったんですけれど、レフティさんがベースラインとかを触ってくれたことで、その再現性が上がった。それまでのトラックメーカーさんとの共作はデータのやりとりだったんですけれど、初めて一緒にセッションしながらアレンジをできた。そのセッションでサウンドの解像度がガラッと変わって、ここにこだわれば踊れるようになるんだ、この質感が出せるんだという「神は細部に宿る」的な真髄を知れたのがデカかったんです。
逆にそれだけ解像度を上げられるってことは、最初に自分のコンセプトがないと上げようがないってことにも気付いた。「こういう音を作りたい」という目指すゴールがあるから、そこから逆算して作っていける。今まではそういうことをあんまり考えずに、とにかくこれもやりたい、あれもやりたいと、ごちゃごちゃしていたんです。制作中にいい新譜に出会ったらその要素を入れてみたこともあって。そうじゃなく、ちゃんと先にコンセプトを立ててそこに向かうための手はずを踏む作り方が見えた。で、僕のもともとの原体験がある90年代のサウンドに戻るっていうことが今一番やりたいことだなと思って、そこからコンセプトが見えた。今までのアルバムはあんまり何も決めずに作ってたんですけど、今回はしっかりコンセプトに則ったものを作る。ただ、そこまでいろんな曲調の曲も作ってるから、それをちゃんと1枚のアルバムとしてどう落とし込むかっていうことも同時に考えていたんで。それもあって時間かかりましたね。
──90年代のR&Bは自分のルーツであるというのは大きいと思うんですけれど、そこに今の時代としての必然性はどういう風に感じていましたか?
Nolzy:象徴的な言葉で「Y2K」というのもありますけれど、ダンス&ボーカルグループがそのリバイバルをする流れはあっても、シンガー・ソングライターでそこを明確にやっている人はあまりいないと自分の中では思っていて。自分が物心ついた時には宇多田ヒカルさんとかMISIAさんとか平井堅さんも聴いていたし、そういう歌モノとしての強さもちゃんと持った上で、当時の空気感みたいなものを混ぜ合わせるということをこのタイミングでやる。それが一番今っぽいと思ったし、それを他の誰かが先に成功させてしまったら悔しいというのもあったと思います。
──前にNolzyとしてのライヴを観にいった時に、ちょうどスガシカオさんとご一緒する機会があったんですよ。終わった後にスガさんがライヴを絶賛していて。その時に思ったんですけれど、ファンクサウンドとJ-POP的なメロディセンスと心を抉る深さを持つ歌詞を兼ね備えているシンガー・ソングライターって、スガシカオさん以降にあまり登場していない。その文脈もあるなと思ったんです。つまりJ-POPのヒストリーの中でNolzyの前にNolzy的なことをやっている人って誰だろう?と考えると、まずスガシカオさんが思い浮かぶという。
Nolzy:それはすごくありがたいです。僕は小学校の頃からスガさんのライヴも全ツアーに行ってるぐらい影響を受けている人で。そんな人が自分のライヴを見て絶賛してくれたというのは、ある種、自分にとってひとつのゴールだったんですよ。自分が憧れた人、なんなら中学生の時にサイン会に行って「ミュージシャンになりたいんです」って言ったことがあるような人が、そこから10年くらい経って、自分のライヴを観てくれたという。あの体験があったからこそ意識が変わったというのはあると思います。
──どういう風に変わったんでしょうか?
Nolzy:作曲って、僕にとっての感覚は自己表現というよりもっと日常的なことで。家に帰ってご飯を食べる、お風呂に入るというのと同じくらい、生活の中にギターを持って曲を作る時間があるんです。自分のためのヒーリングみたいなところもすごくあって。で、自分の世界を濃密にしていく作業を経て作品を発表していったら、その先で、一番影響を与えてくれた人に出会えた。そのひとつのターニングポイントに到達できたからこそ、本当の意味でちゃんと世の中に自分の音楽を届けたいっていう視点がこのアルバムには入ってきた。だからこそコンセプトを決めたし、今言ってくれたように空席のポジションを狙うみたいな意識も見えてきて。どういうものが求められてるか、どういう音楽を表現したら他のアーティストにはない魅力を人々に伝えられるかということを意識できるようになった気がしますね。