もう本でも読むしかない

仕方ないので本でも読む。SF・文学・人文・漫画などの書評と感想

,

エドワード・ヤン監督『カップルズ』 都市と若者たちの映画

台湾ニューシネマを代表する監督による青春映画

 

Asian Film Archiveより

 

シンガポールNGO「Asian Film Archive」主催のエドワード・ヤン映画祭にて、1996年の映画カップルズ(原題:Mahjong)』を見た。

エドワード・ヤンは、1980年代から始まったいわゆる「台湾ニューシネマ(台灣新電影)」を代表する監督の一人。台湾ニューシネマというのは、まあ台湾版ヌーヴェル・ヴァーグだと思っておおむね間違いはないと思う。つまり、それまでの映画スタジオ制作による娯楽映画とは一線を画した、監督の作家性や新しい映像技法を重視した一連のスタイルのことだ。

(ちなみに台湾の場合、そういった映画の制作が政府主導で進められたというのが面白いところでもある)

 

ヌーヴェル・ヴァーグ映画がどういうものかについては、こちらの過去記事をどうぞ。

pikabia.hatenablog.com


ところでフランスのヌーヴェル・ヴァーグ映画の多くは、都市に住む無軌道な若者が主人公だという話を聞いたことがある。これにはいくつかの納得できる理由がある。

例えば、基本的に低予算映画なので、無名の若い俳優を起用していること。スタジオではなくロケ撮影がメインなので、パリの街中を移動し続ける映像になりがちなこと。監督自身も野心に溢れた若者であったこと。

そして何より、ヌーヴェル・ヴァーグという映画の形式と美意識そのものが、立派な人物や建設的・生産的な価値よりも、都市生活における刹那的で向こう見ずな物語を要求したのだと思う。

果たしてこの、台湾版ヌーヴェル・ヴァーグを代表する監督による『カップルズ』もまた、都市と無軌道な若者たちの映像だった。

 

台北の街、様々な部屋、四人の若者、欧米との距離

 

こういうタイプの映画は、あまり内容を要約しても仕方がない気がする。とりあえず、印象に残った部分を思いつくままに挙げていこう。

 

冒頭、物語の背景が字幕でごく簡単に示された後、観客は台北の夜の車道に放り込まれる。黒道(ヤクザ)らしき男が、ボスと電話しながらバイク(原動機付自転車)に乗り、おんぼろのバンを尾行している。借金を抱えて遁走した男の息子を追っているのだ。夜の台北市街、街の灯りとヘッドライトの群れ。

お調子者風の黒道が尾行するうちに、いきなりバンは駐車されていたピンク色の車に突進してドアを破壊する。黒道は尾行も忘れてあっけに取られる。

場面が変わると、大音量で音楽の流れる、台北ハードロックカフェ床に刻まれた印象的な銀のロゴ。人気美容師のジェイが、「香港」という名前の美男子を伴い、様々な国籍の客と談笑している。そこに現れるのが主人公の紅魚(ホンユウ/レッドフィッシュ)と綸綸(ルンルン)。二人は知り合いの風水師によるお告げとして、自動車事故に気を付けるようジェイに伝えるが、実は彼ら自身がさきほどジェイの車を破壊したのだ。そしてジェイが連れている青年、香港も紅魚たちとグルであり、後に風水師のふりをする牙膏(ヤーガオ/トゥースペースト)を含めた四人組の青年ギャング団だ。

パーティーの喧騒の中、以上のような多くの人物と情報が矢継ぎ早に提示される。振り落とされそうになりながらスクリーンに食らいついていると、さらに多くの人物がカフェに現れる。怪しい斡旋業のアメリカ人女性、イギリスから来たデザイナーと、台湾人のガールフレンド、デザイナーを追って単身パリからやって来た若いフランス人の女──

いくつかの人間関係が進展し、人々はそれぞれ夜の街へ去る。紅魚は新入りの綸綸に語る。人はみな、自分が何を欲しているのか知らない。自分の欲望を知り、他者に対して冷酷にならなければ勝つことはできない。それは彼が、出奔した父親を恨みつつも受け継いだ人生訓だ。二人は先程カフェで見たフランス人のマーサがタクシー運転手にふっかけられているのを見つけ、善人のふりをして助ける。紅魚は彼女を体よく娼婦として斡旋しようと企むが、綸綸は彼女を逃がす。

 

映画はこのような人々の、卑小に見える悪だくみや悪あがきを、台北の街とともに映していく。雑踏と屋台とバイクの溢れる台北の路上、そしていくつもの室内。四人組ギャングは、アパートの一室を分け合って暮らしている。詐欺の舞台となる、金持ちが愛人に買った広いマンションは、コンクリートの打ちっぱなしで何の内装もない。紅魚の父親は、グランドピアノとベッドだけが置かれた部屋に隠れて暮らしている。綸綸は多くの人が住むアパートに暮らし、大家である父親と住人たちは一階の共用スペースで麻雀を打っている。綸綸は屋台で葱油餅を買い、屋根裏部屋に匿っているマーサに持って帰る。

 

そこここに、アメリカの、ヨーロッパのイメージが配置されている。冒頭に登場したハードロックカフェ──壁面にはたくさんのロック・レジェンドたちの写真──はその後何度も登場する。綸綸の住む粗末なアパートの入り口には大きな星条旗が飾られ、階段には様々なスターのポスターが貼られている。紅魚の父が聴いているベートーヴェン。イギリス人デザイナーはマーサに語る。「10年後、この街は世界の中心になる」 台北を中心に、アメリカとヨーロッパが凝集する。

 

若者たちは迷っている。紅魚は父親を恨みつつ憧れ、その酷薄さを自らも生きようとして苦しんでいる。紅魚の指示によって、何人もの女たちを色仕掛けで篭絡してきた香港は、最後には泣き崩れ、立ち上がることもできない。そして綸綸はマーサを犠牲にすることを拒み、仲間たちから離れていく。

ついに乱入した黒道たちとのすったもんだを経て、あるいはそれとは無関係に、彼らの運命はそれぞれの帰結に向かって進展し、綸綸は立ち去ったマーサを追い、夜の雑踏、何度も葱油餅を買ったあの屋台のある街路をさまよう。綸綸とマーサの、とりあえずの再会を映した後、画面は暗転してスタッフロールが流れ、しかし夜の街の喧騒はずっと聞こえ続けている。最後のクレジットが表示され終えるまで、街の喧騒がずっと聞こえている。

 

次の一本

 

エドワード・ヤンの代表作と言えば1991年のこちら。この映画で主演を務めてデビューした張震チャン・チェンが、『カップルズ』では四人組ギャングのひとり「香港」を演じている。

 

pikabia.hatenablog.com

こちらは2023年の台湾映画だが、舞台となっている時代は『カップルズ』と近い。監督はやはり台湾ニューシネマの旗手である侯孝賢ホウ・シャオシェン)の助監督を務めていた蕭雅全(シャオ・ヤーチュエン)。