カテゴリ:その他雑考
もう一つ、総論的な話を織り交ぜておくとしましょう。
それは、刑事裁判において弁護をする義務があるのは誰か?という問いです。 「弁護人」と答える人は、100点満点中50点というところでしょうか。 別に弁護人で間違いではありません。完全な間違いなら1点もあげないでしょう。それに、その答えを出す人はむしろ一般常識人です。恥じることはありません。 刑事裁判において、弁護をする義務があるのは、「検察官・裁判官・弁護人」です。 検察官が弁護をするとはどういうことだ、と思われるかもしれませんが、少し考えてほしいのです。 裁判官は、出された証拠について、被告人に対しても有利な事情があると判断すれば、弁護人や被告人が主張しているか否かを問わず発見し、立証を促し、場合によっては判決を出す義務があります。被告人に有利な事情を拾い上げて有利に裁判を持っていく、これはつまり弁護人のやっていることと本質的に変わりがありません。 検察官は、検察官が公益の代表者であるという見地(検察庁法4条)から、検察官は被告人に「有利不利問わず」客観的に事件について判断する義務があるとされています。だから、被告人に有利な証拠を検察が見つけたら、検察はそれもふくめて起訴不起訴の処分も決しますし、有利な事情まで考えて法律適用や求刑も主張します。 これも、やっていることは弁護人同様に被告人を守ることです。 真犯人が裁判の最中に見つかれば、無罪判決を求める例もありますし、足利事件なら、再審公判で検察は有罪である旨の抵抗を一切していません。要するに自分を負けにしてくださいと言うことですが、無実の人間を罰しないのも公益ですから、そのためには勝ち負けがどうだの話ではないので、当然のことです。 こういった弁護のあり方を、実質的弁護と呼ぶこともあります。とにかく弁護に専念する弁護人を付けると言うやり方をこれに対置して形式的弁護と呼ぶこともあります。(形式的だから形ばかりの弁護しかしないという意味ではなく、とにかく形式的に弁護人がついてそれに専念すると言うやり方です) 刑事裁判は、理念だけで言えば、検察1:弁護1ではなく、検察0.5:弁護1.5で戦うものだと言っても、まあ間違いではないのです。 しかし、難癖をつけるしかできない弁護人と違って、彼等は強制力があるだけに強い。起訴猶予の権限、判決決定権限、全部検察官と裁判官が握っています。弁護人はその点の決定権限を何も握っていません。 刑事裁判における最強の弁護人にして被告人の人権をもっとも守れる立場にいるのは、実は裁判官と検察官なのです。 ・・・とここまで書いたら、誰もが不思議に思うはずです。 じゃあなんで弁護人がいるんだ?検察官や裁判官がきちんと働けば、冤罪なんて起こりっこないじゃないか…と思う方もいるでしょう。ここまで読まれた方が抱く疑問としてはそれも至極まっとうです。 まあそれも簡単な話です。 検察官と裁判官では弁護役が足りないからです。 検察官は被告人を訴追する役目をも担っている以上、どうしたってできることが限られてきます。自分を訴追するものではない相手に喋れることも、訴追者には喋れないということがありえます。被告人に法的なことは分かりにくいだけに仕方のないことでしょう。 しかも、事件を発見、捜査する役割である以上、どうしたって弁護的視点は落ちがちになります。 裁判官も、今の日本の訴訟構造でできることは限界がありますし、喋れることと喋れないことが出てくるのは仕方ありません。 そうしてみれば分かるのが、 「刑事裁判において弁護人は、(検察官と裁判所がその役目をきちんと果たしていれば)本当はいらないものなのに、更に保険としてつけられている」 のです。そうすると、検察官がその任務をきちんと果たしている場合であればあるほど。弁護人が出すことのできる言い分は苦しいものにならざるを得ません。 では、だからということで弁護人が検察官が言っていることは誠にその通りでございますと言ってさっさと降参したらどうなるでしょうか。 検察官の主張にメスを入れるのが、先述したようにできることに限界がある裁判所しかいなくなってしまいます。 これまで、弁護人が決死の思いで弁護をしてきたのに、起こってきた冤罪事件というのは確かにあったのです。この上更に弁護を緩めるのは、裁判所の弁護能力を更に落とすこと、ひいては本当にその裁判で正しいのかという点で疑問を持たれることを大いに覚悟しなければなりません。そもそも検察と裁判所がきちんと働けば働いていれば、弁護人は苦しい立場にいる。それも監視役を置かなければ冤罪は防げないから、弁護人を置いているわけです。 だから、コンマ何パーセント通らない主張だからだめ、なんて言いだすのは、何のために検察官や裁判官の判断を信用しないで、弁護人を置くのかというのを理解していない証拠なのです。 ここで、「今回は冤罪じゃないからいいんだ」とぶち上げるhidew論法では問題です。どんな事件だって、検察官も裁判官も「これは冤罪じゃありえない、被告人の言い分なんか認められるはずがない」でやってきて、結果冤罪事件が起こっているのですから。 その手のぶち上げがやりたいなら、これまで起こってきた冤罪事件について、もっと冤罪が起こっても仕方ない、と言う覚悟が必要です。 なお、別にこの話は知らなかった所でおかしなことではありませんし、恥ずかしがることではありません。法科大学院生ですら、半分も知らないのではないかとすら思います。こんな話を知らなくたって司法試験は受かりますし(たぶんだけど)。 もっとも、一定の議論をするなら、当然知っておくべきこと、踏まえて考えておくべきこととして、この話題はあります。 知らない、あるいは踏まえて考えられないけど非難するのが…そう、hidew氏です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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