アカデミー賞3冠『ブルータリスト』は驚くべき一作 映画製作の常識を覆す作品づくりに迫る

『ブルータリスト』の核心に迫る

 第82回ゴールデングローブ賞映画部門作品賞(ドラマ部門)を受賞し、第97回アカデミー賞では主演男優賞、作曲賞、撮影賞の受賞を果たしたアメリカ映画『ブルータリスト』は、驚くべき一作だった。序曲(オーバーチュア)から開始されるといった、クラシカルなハリウッド大作であるかのような佇まいと、そんなスタイルを突如として“つんざいて”いく、キッチュで前衛的なブラディ・コーベット監督による衝撃の展開と演出的試みは、ポール・トーマス・アンダーソン監督やヨルゴス・ランティモス監督などの才能を想起させるものがある。

 ハンガリー出身の著名なユダヤ人建築家、ラースロー・トートという人物が、ホロコーストから逃れ、ブダペストからアメリカに移住した後の伝記的な物語が展開していくのが、本作『ブルータリスト』の内容だ。興味深いのは、この一見リアリティある人物が、複数の実在の建築家のモデルや思いつきからかたちづくられた架空の人物であるということ。そんな人物の半生として綴られるオリジナルの物語ならではの飛躍が、本作の魅力なのである。

 そして驚くべきは、本作が製作費約1000万ドルのインディペンデント映画であるという事実だ。もちろんインディペンデント作品のなかでは高額な部類には入るものの、ハリウッドの歴史的大作のような顔をしつつ充実した内容をほこる本作が、この予算で実現できてしまったというのは、まさに奇跡的といえるだろう。さらには、215分(3時間35分)というボリュームにインターミッション(休憩)が含まれているなど、そのアナクロニズムな挑戦精神にも、遊び心とともに執念のようなものが感じられる。

 しかし、ブラディ・コーベット監督は、なぜこのような、現在の映画製作の常識を覆す、無謀ともいえる作品づくりに及んだのか。ここでは、長大な物語や心理描写、ちりばめられた要素から、本作の核心に迫り、その疑問を明らかにしていきたい。

※本記事では、物語の展開を一部明かしています。ご注意ください。

 本作の物語は、ナチスの手から逃れたラースロー・トート(エイドリアン・ブロディ)がアメリカへと到着し、家具店を営む従兄弟のいるペンシルべニア州の町に住み着くことで動き出していく。ドイツの芸術学校バウハウスで建築を学んだラースローは、すでにハンガリーでいくつもの重要かつ先進的な建築を完成させていて、専門誌で大きく扱われるなど、著名な存在だった。

 アメリカに移住していた従兄弟は、ユダヤ教からキリスト教に改宗し、名前をイギリス風に変えているなど、アメリカでの生活にフィットするよう祖国の慣習や文化を積極的に捨て去っていたが、それでも生き残ったラースローを店舗に住まわせ給料を与えて、ともに新天地での成功をつかもうとしていた。もちろん、ラースローにとっては小さな家具店での仕事は不本意だったろうが、設計事務所などへの就職などを考えず、従兄弟の役に立とうとするのである。

 しかし、従兄弟の妻はラースローの到来を快く思ってはいない。生き残っているはずのラースローの妻のエルジェーベト(フェリシティ・ジョーンズ)や姪のジョーフィア(ラフィー・キャシディ)が追ってやって来ることにも不安をおぼえている。夫をキリスト教に改宗させた彼女は、ハンガリーのユダヤ人たちが身内として続々と身を寄せようとすることを、外聞が悪い、体裁が悪いと思っているのだろう。

 一方で、ラースローはアメリカの田舎の家具店の品物を「美しくない」と感じていた。設計やデザインにおいて、すでに1920〜30年代にバウハウスが極限的に追求したシンプルな機能美「モダニズム」を体得している彼としては、中途半端に装飾的な家具が醸し出す、古くさい価値観に嘆息したのも無理はない。劇中当時は、後にインテリアの歴史において1950年代を中心とする「ミッドセンチュリー・モダン」と名付けられる様式が花開く時期だったのだから、なおさらのことだ。そこでは技術革新によりさまざまな素材がインテリアとして検討され、その剛性や柔軟性から、これまでになかった形状の制作が実現できるようになり、常識を逸脱するデザインが続々登場するようになったというのが、大きな特徴である。

 バウハウス出身の建築家であり家具デザイナーのマルセル・ブロイヤーがモデルの一人であると考えられるラースローの、アメリカでの初めての仕事は、テーブルやチェアを製作することだった。その椅子は、ブロイヤーの名作「チェスカチェア」によく似ている。従兄弟の妻が「三輪車みたい」などと言うように、当時のアメリカの田舎の一般的な感覚では、この機能美はあまりにも無骨で寒々しく、貧しいものに感じられただろう。実際、すでに1925年に、ブロイヤーがスチールパイプを利用して制作した、バウハウスの哲学が色濃く投影された名作「ワシリーチェア」は、自転車のハンドルから着想を得たものだった。

 余談だが、近年このバウハウスの精神や「モダニズム」から生まれた「ミッドセンチュリー・モダン」は、世界的なリバイバル傾向にある。日本でも、この様式をとり入れた最新インテリアが提案され、トレンドに敏感なデザイナーやクリエイターの部屋のコーディネートによく活用されている。その理由の一端には、新型コロナのパンデミックが背景にあると分析されている。インダストリアルやモダンに洗練されたナチュラルテイスト(韓国インテリア)などのトレンドを経て、異素材ミックスという下地が出来上がった上に、ミッドセンチュリーに花開いたデザインのユニークさ、創造力が、巣ごもりを余儀なくされた人々に希求されたのである。

 ラースローが、町の名士であるハリソン・ヴァン・ビューレン(ガイ・ピアース)邸の書斎インテリアを手がけたことで、モダニズムの機能美が発揮される劇中のシーンは感動的だ。“ビフォア”の状態では、所蔵されたおびただしい数の書籍が傷まないよう書斎の大きな窓が分厚いカーテンで覆われ、薄暗く陰気な室内だったが、“何ということでしょう”……大きな収納棚と書籍を隠す薄い扉を活用することで、シンプルさと機能性、豊かな採光を実現し、読書しやすいスチール製のチェアを中央に配置するという、まさに読書家のために造られた快適空間に様変わりするのである。

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