前編からの続きです。
はじめに、「量子力学の解釈問題」のあらましを簡単に振り返っておきたいと思います。
量子力学では、なぜ「解釈」が必要になったのか?
前編にも書きましたが、量子力学には「解釈」があります。
考えてみれば不思議です。物理学の「理論」に「解釈」が必要なのは量子力学くらいではないでしょうか。
なぜ量子力学にだけ「解釈」が必要とされるようになったのでしょうか。
以下、その経緯を、ざっくりと整理してみます。
1.20世紀初頭、従来の物理学では説明のつかない現象がいくつか出てきた。とくに、当時明らかになりつつあった原子内の構造の理論としては、従来の物理はまったく使えないことが分かってきた。
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2.プランクやアインシュタインやボーアなどの物理学者が、「系のエネルギーは離散的な値しか取れない」など、いくつかの大胆な仮定を置いて法則を作ってみた。すると、それらは実験結果を忠実に再現した。
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3.シュレーディンガーやハイゼンベルクがそうした法則群の背後にある運動方程式を導いた。これが1925年~26年くらいのこと。ここで、ニュートン力学を置き換えるものとしての「量子力学」が成立した。
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4.ところが、そのように生まれた量子力学には不可解な点が残った。「波動関数」や「演算子」という、現実世界と直接対応づかない概念で理論が作られていたことや、実験結果を「観測」するときに起こるはずの状態変化を、運動方程式が記述できていなかったことなどである。
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5.そこで、何らかの「解釈」が必要になった。波動関数は粒子の状態の「確率」を表すとみなす「コペンハーゲン解釈」が提唱され、ボーアを中心に広められていった。
ここまでが、「解釈」が必要とされるようになったあらましです。
その後の流れも見ておきます。
6.主流派解釈に納得できない人もいた。彼らは、量子力学が導く様々な奇妙な現象を指摘した。「粒子と波動の二重性」「シュレディンガーの猫」「神がサイコロを振るか」など、奇妙さの表し方がいろいろと編み出された。
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7.量子力学への疑念は、アインシュタインらの1935年の論文(EPR論文)により、「量子力学は『局所実在論』を保持できない」という表現に集約されることなった。量子力学が正しければ、瞬時に離れた場所に作用が及ばない(=「局所性」)か、すべての物理量は常時客観的な値を持つ(=「実在論」)というそれまでの物理学の大前提のどちらかが破れてしまう。よって、量子力学は不完全ではないかとアインシュタインらは考えた。
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8.20世紀後半、実際に「局所実在論」は破られていることが理論と実験(ベルの不等式とアスペの実験)によって証明される。これで、アインシュタインたちの批判は当たっておらず、量子力学が正しいことがわかった。
そして今にいたる、ということになります。
解釈問題について、いま専門家たちは何と言っているか
では、ここから現代の「解釈問題」を見ていきたいと思います。
20世紀後半の展開により、アインシュタインの目指した「量子力学の不備を暴く」試みは潰えました。そして「コペンハーゲン解釈」は健在です。
ならば、現代の物理学者たちは、「量子力学の解釈問題は終わった」と思っているのでしょうか。
そうでないことは分かります。というのは、「多世界解釈」を筆頭としたその他の解釈があって、物理学者によって採用する解釈が分かれるからです。ですが、より興味深いのは、前編で書いたように、量子力学の解釈問題そのものに対する温度差があるように見えることです。
ここではそうした異なる立場を分類して、以下のように名づけてみたいと思います。
- 「うまくいっているんだからこれでいいのだ」派
- 「解釈問題は未解決、今後に期待」派
- 「説明のテクニックを洗練させよう」派
- 「量子力学が間違っている可能性を追求」派
- 「新しい解釈を求める」派
次回、それぞれに当てはまる(と私が考える)事例を紹介します。
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