バカうまハイネルお姉さまを求めて:『てれびくん』ボルテスVイラスト投稿欄資料

はじめに

言わずと知れた傑作『超電磁マシーン ボルテスV』(以下『ボルテスV』)がフィリピンで実写化され、『ボルテスV レガシー』として劇場公開される。それに合わせ、東映特撮YouTube Officialではアニメ版が期間限定で公開された。それをきっかけに私もアニメ本編の視聴を始めたのだが、あまりの面白さにYouTubeでの公開(毎週5話ずつだった)を待ちきれずAmazonで課金して観てしまった。ボルテスVの魅力は高度なドラマ性と毎回白熱する巨大ロボット戦、そして一度聞けば耳に残る堀江美都子の主題歌などにあると思うが、私を突き動かしたのは悲劇の皇子にして敵役のプリンス・ハイネルだった。

「こんなキャラ、絶対に当時から人気あったに違いない」となんとなくXでポストしたところ、「愛を抑えきれない女性読者が児童誌にバカ上手いハイネルのイラストを投稿していた」という引用ポストがついた。表向きに想定しているターゲット以外の層からの愛が露呈するという事態は私も目にしたことがあったが(例えば『忍たま乱太郎』の投稿イラスト)、今から半世紀近く前にもそうしたことがあったというのは純粋に好奇心を掻き立てた。そこで国立国会図書館国際子ども図書館に赴き、実際に紙面を確認した。このブログはその結果報告となる。

当初はもう少し周辺情報を調べたうえである程度まともなテキストにしようと考えていたが、思ったよりも大がかりな調査になりそうなことや(おそらく『海のトリトン』ぐらいまで遡る必要がある)、実写版ボルテスVの公開が近いことなどを踏まえ、中間報告としてラフな形でまとめておくこととした。

なお、個人情報に配慮し、誌面に掲載されていた氏名はマスクした。「くん」「さん」が付されていない場合、投稿者の性別の判断は氏名から私が独断で行っているため、女性を男性に、男性を女性に取り違えている可能性もあるが、一旦の中間報告ということで今回はご容赦頂きたい。

ボルテスV』および『てれびくん』基本情報

『超電磁マシーン ボルテスV』は東映制作のロボットアニメで、1977年6月4日から1978年3月25日にかけて、テレビ朝日系列にて毎週土曜日18:00から18:30に放送された(全40話)。今回の調査対象とした『てれびくん』は1976年5月1日に創刊された小学館の雑誌であり、主な読者層は男子児童である。当時は『てれびくん』以外にも『テレビマガジン』(講談社)、『テレビランド』(黒崎出版→徳間書店)、1970年代に路線が変更されテレビまんが誌となった『冒険王』(秋田書店)など、複数の出版社が男児向けのテレビ情報誌を発行していた。今回『てれびくん』以外の雑誌についても簡単な調査を行ったが、各誌で取り扱う番組の棲み分けが行われており、『ボルテスV』に最も力を入れていたのが『てれびくん』だと考えられたため、詳細な調査対象からは外している。

『てれびくん』には読者からの投稿を受け付ける「てれびくんスタジオ」というコーナーが存在していた。放送中の作品をいくつか取り上げ、「ファンクラブ」を創設し、入会希望者を募るというものである。入会すると会員証が送付されるが、それとは別に毎号30名、ブロマイドが贈られるという企画があった(もちろんハイネルのブロマイドもあった)。

ボルテスVの放送開始に合わせてファンクラブの創設と募集開始を告知している(『てれびくん』1977年6月号, 小学館)

入会すると送られる会員証。欲しすぎる(『てれびくん』1977年11月号, 小学館

なお、読者によるイラストの投稿が掲載されるようになるのは『てれびくん』8月号からであるが、7月号の時点で編集部による興味深いコメントがある。"長浜ロマンロボ" シリーズとしてボルテスVの前作にあたる『超電磁ロボ コン・バトラーV』の大将軍ガルーダの人気も相当なものだったらしいが、当時の人間から見てもガルーダに続くハイネルは「絶対に跳ねる」という予感があったことが伺えるだろう。

なかなか見込みのある少年の投稿である(『てれびくん』1977年7月号, 小学館

『てれびくん』におけるボルテスV

早速同誌のファンクラブコーナーの投稿を振り返ってみよう。掲載号についてはキャプションを参照して頂きたい。

トップに掲載されているのは男児二人による投稿。しかしページをめくると現れるのは……(『てれびくん』1977年8月号, 小学館

いる!ハイネルがいる!!!(『てれびくん』1977年8月号, 小学館

分かりづらいのでアップで。ただし名前は「弘美」さんのため男性の可能性もある。(『テレビくん』1977年8月号, 小学館

こちらは9月号の投稿欄トップを飾った男児による投稿。かなり上手い(『てれびくん』1977年9月号, 小学館

放送されていない大分の児童からの悲痛な叫び。そして左のページには……(『てれびくん』1977年9月号)

投稿者名は「由実」さん。おそらく女性だが、ハイネルのみならず健一もやはり人気があったことが伺える(『てれびくん』1977年9月号, 小学館

続いて10月号。お母さんの代筆に思わず笑みがこぼれるが……(『てれびくん』1977年10月号, 小学館

「高校のおねえさんからもたくさんのおたよりがありました」という編集部のコメントで色々と察してしまう。そしてバカうま健一お姉さまの存在もここで確認できる。「うわー、ぼくにはまねできないや」のコメントが二重の意味で味わい深い(『てれびくん』1977年10月号, 小学館

投稿者名は「貴」なので男性と考えらえるが、バカうまハイネルお兄様が存在した可能性も示唆されている(『てれびくん』1977年10月号, 小学館

11月号。この辺りからハイネルが優勢になっていたのかもしれない(『てれびくん』1977年11月号, 小学館

「プリンス・ハイネルの人気がすごい!今月もおねえさんたちがずいぶんとがんばっているぞ」と編集部もノリノリである。抜群に上手い智子お姉さんの4コマ漫画も素晴らしいが、左側の「弟の代筆」に対する編集部のコメントがやや邪悪ではないだろうか(『てれびくん』1977年11月号, 小学館

投稿者名は「葉子」さんのため、おそらく女性。構図やコントラストの効かせ方が素晴らしい(『てれびくん』1977年11月号, 小学館

問題の12月号。「ちょっと年上のおねえさんみたいだけど、すごいボルテスファンなので、会員にしちゃいましょ」と(氏名をあげながらではあるが)慈悲深いコメントをしつつ、「でも『てれびくん』はちゃんと読んでね。1月号は、ハイネルのことが、くわしくわかる特集もあるからさ」と営業トークも忘れない(『てれびくん』1977年12月号, 小学館

投稿者名は「淳子」さん。上手すぎる。(『てれびくん』1977年12月号, 小学館

本編も佳境に差し掛かる1月号。ここに来てメカイラストが異常に上手い男児(?)が登場している(『てれびくん』1978年1月号, 小学館

「きた、きた、きた~っ!」というテンションの上がりよう。編集部的にはこのようなボルテスVのメカイラストを待ち望んでいたのだろうか。左のハイネルイラストは「範子」さん。(『てれびくん』1978年1月号, 小学館

左は「素子」さん、中央は男児、右は「美穂」さん。もはや女性の投稿が誌面を制圧しかけている(『てれびくん』1978年1月号, 小学館

 

2月号。右ページに注目して欲しい(『てれびくん』1978年2月号, 小学館

ハイネルのブロマイドをあてがわれているのは「朋美」さん、「おねえさんたちもおうえんしてるの」とまるで男児の困惑に釈明するかのようなコメントがついているのは「美和子」さん、そして右下のボルテスVイラストは「富美子」さん。このページは全て女性投稿者のイラストである。(『てれびくん』1978年2月号, 小学館

3月号は非常に資料的価値が高い。以下で詳しく検討する(『てれびくん』1978年3月号, 小学館

圧倒的な画力を誇る女子高生のイラストである。ここまで上手ければ編集部も取り上げざるを得ないだろう(『てれびくん』1978年3月号, 小学館

小学校のとあるクラスで行われたという人気アンケート(投稿者は女児)。健一への「さけび声が面白いから」はどちら側のコメントなのだろうか。ハイネルは女児の間でも人気があったことが示唆されている(『てれびくん』1978年3月号, 小学館

"4コマの智子"再臨である(『てれびくん』1978年3月号, 小学館)

「今月は、小学生のおともだちの特集です」とは、おねえさまイラストに押され気味だった誌面への編集部の配慮だろうか。「さん」付けされている投稿者は全て女児だが、ここからも女児人気が高かったことが伺われる。小学生とは思えない画力の作品がいくつか見られる。(『てれびくん』1978年3月号, 小学館

本放送が終了し、『闘将ダイモス』のスタートと、次回がボルテスVファンクラブ最終回であることが告知されている4月号。こちらも資料的価値が高いので詳細に見ていきたい(『てれびくん』1978年4月号, 小学館

16歳のおにいさんと高校一年生のおねえさんのイラストが掲載されている。2月号分のファンクラブ応募者氏名が掲載しきれない量だったというところからも、クライマックスに向けてボルテス人気がうなぎ登りだったことが分かる(『てれびくん』1978年4月号, 小学館

女児投稿者のクラスでの人気投票の結果である。ハイネルがダブルスコアで1位、健一がそれに次ぐ2位だが、同率2位でギルオンがランクインしているのは本編を観た方なら納得できるはず。一平とド・ズールが横並び、その次にカザリーンとロザリア(ロザリア!?)という順位も面白い。おそらく喧々諤々のボルテス論議が行われていたクラスだったはずである(『てれびくん』1978年4月号, 小学館

かなり珍しい女児投稿者の一平イラスト(この号も左ページは小学生限定)。その魅力に狂っても全然おかしくないキャラだが、ハイネルや健一が覇権過ぎたゆえにイラストは少ないようである(『てれびくん』1978年4月号, 小学館

本放送が終了した直後の4月号。ボルテスVファンクラブ、涙の最終回である。『ダイモス』を推したい編集部はこの見開きで三度もダイモスに言及している(『てれびくん』1978年5月号, 小学館

中学生のおねえさんのみならず中学生のおにいさんからも4コマが届いている(『てれびくん』1978年5月号, 小学館

中学生のおねえさんによるハイネルと健一が輝いている。(『てれびくん』1978年5月号, 小学館
とにかく、これでボルテスFCも終わりかと思いきや……。

こちらは6月号。先月号で終わりではなかったのか?
かなり情報量が多いので1か所ずつクローズアップして検討しよう(『てれびくん』1978年6月号, 小学館

最終回を迎えたことにむせび泣くファンや徹夜でイラストを描いたファンがいたことがこのコメントから分かる。特筆すべきは上下二段に渡って掲載された「ハイネルちゃん」のイラストだろう。もはや上手いだけでは驚かないようになってくるが、主要キャラ全員のイラストを送りつける人物がいるとは。ペンネームのため性別は断定できないが、女性ではないだろうか。(『てれびくん』1978年6月号, 小学館

右側のボルテスVイラストは「富美子」さんである。メカ系を得意とする女性投稿者としてこの後も活躍したのだろうか…?(『てれびくん』1978年6月号, 小学館

左端の上手すぎる小学生男児やその隣の高校一年の女子学生も気になるところだが、右端の高校三年の男子学生にも注目して欲しい(『てれびくん』1978年6月号, 小学館

左端はどう見ても幼稚園生の筆ではない。右から二番目はあの4コマの智子である。ここで彼女が高校二年生であることが判明した。(『てれびくん』1978年6月号, 小学館

上記の引用画像の左から二番目にあたるこの作品はかなり異彩を放っている。その技量の高さは言うまでもないが、既に放送が始まっているがファンクラブは掲載されていない『闘将ダイモス』の美形敵役・リヒテル提督をこの時点で描いているのである。「私、この人を推します」という高らかな宣言である。(『てれびくん』1978年6月号, 小学館

以上、簡単にボルテスV放送期間前後の『てれびくん』における読者投稿欄を振り返った。ここまでの調査の結果として、投稿イラストの傾向をまとめておく。なお、ここでは「ハイネルちゃん」を女性としてカウントしている。

まず、掲載イラストにおける男女比では女性が約四分の一である。このブログでは女性作者のイラストを多数取り上げたが、全体で見れば少数派なのである。ところが、描かれているキャラクターとしてハイネルに焦点を当てると、やや事情が異なってくる。180点のイラストのうち、ハイネルが描かれた(ハイネル単独以外のものも含む)イラストは29点。そのうちの約8割を描いたのが女性である。また、掲載された女性イラストの半数以上はハイネルを描いたものである(ただし最終回の「ハイネルちゃん」を除外するともっと極端な数字になる)。ただし、編集部が女性の手によるハイネルイラストを好んで取り上げた可能性は捨てきれない。

例えば編集部の「ハイネル推し」は投稿ページ以外の誌面からも確認できる。下に引用するように、ファンクラブ募集のお知らせにはよくプリンス・ハイネルのイラストが添えられているのである。編集部は「ファンクラブと言えばハイネル」と考えていたのかもしれない。

左から『てれびくん』1977年7月号、8月号、12月号

当然ながらハイネルは雑誌の顔たる表紙にも登場しており、1977年6月号から1978年5月号までの1年間、計7回も登場している(扱いはかなり小さいが)。また、毎月組まれていたボルテスVの巻頭カラーページにも7回登場している。「とりあえずハイネルを出す」という方針があったのかもしれない。

実際のところ、ハイネルやボルテスVが当時の女性(未就学児から中高生、あるいは大学生以上を含む)にどれほど人気だったのかは、ここから直接推論できるものではない。繰り返しになるが、例え読者投稿欄であっても雑誌は編集者というフィルターを通して編集され世に出るものだからである。

編集部の影響を比較的受けていない可能性があるデータとして、ファンクラブ投稿者の男女比があげられる。イラストや感想は掲載されなかったものの、毎回250名前後の氏名が誌面に記載されていた。投稿が本格化した1977年8月号から、「投稿が多すぎて掲載が不可能」と判断される1978年2月号までの男女比をグラフにしたものが下記である(1977年11月号のみ、複写の解像度の関係で判読が困難だったため、今後再確認ののちデータを追加する)。

グラフから分かるように、女性の投稿者数はその初期よりもかなり伸びを見せている。このグラフでは最盛期が12月号の40%(男児向け雑誌としては非常に多く思える)だが、3月号以降も同程度かそれ以上の女性比率になっていた可能性が高い。あの終盤の盛り上がりを観てじっとしていられるはずがない。データが存在しないのが残念でならないが、ボルテスVは徐々に女性(女児?)人気を獲得していったという状況がここから示唆されるだろう。ただし、この人気がハイネルによるものか、あるいは別の要因かはこのデータからは判断が不可能である。この掲載氏名に関しても、紙幅の限界があるという意味では何らかの取捨選択が行われていた可能性は捨てきれないことにも留意しておく必要があるだろう。

おわりに

私は1977年(昭和52年)をリアルタイムで知らない。知らないが故に、イラストに込められた当時のファン(「オタク」という言葉が生まれる前の時代である)の熱量に魅力を感じた。既にコミックマーケットは始まっていたとはいえ(第一回が1975年12月)、ボルテスV本放送当時は一定の年齢に達した視聴者がイラストや感想に愛を乗せて公に発露できる場がまだまだ限られている時代だったと言える。アニメに関する情報源も極端に少なかったはずだ。昭和52年といえば『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版が爆発的なヒットを飛ばし社会現象となった年であり、アニメ雑誌の黎明期にあたる。ボルテスVの放送中には『月刊OUT』(みのり書房)が既に刊行されていたが(1977年3月創刊)、『アニメージュ』(徳間書店)はボルテスV本放送終了後の1978年5月に創刊、ラポートの『アニメック』、『ファンロード』もそれぞれ1978年12月、1980年7月の創刊である。

つまり、情報の入力と情念の出力が可能だった数少ない媒体の一つが、今回取り上げた『てれびくん』だったのである。もし私がこの時代に中学生だったら、そしてボルテスVのあの最終回を観てしまったら、ハガキを送らずにはいられないはずである。当時ボルテスVに、あるいは我らがプリンス・ハイネルに狂っていたお姉様・お兄様方、もしどこかでこの記事を読まれたら、コメント欄に想い出を書き綴って下さい。私はそれを糧にします。誇り高きプリンス・ハイネルに栄光あれ!