ターチンは格差拡大,マタイ原理の原因について,それは交易がポジティブフィードバックを作り出すために生じるというアイデアを取り上げる.そしてそれを考察するための非常に単純化したモデルを提示していくことになる.
ここではマタイ原理についてこの本が参照されている.
第10章 マタイ原理 なぜ豊かなものはより豊かになり,貧しきものはより貧しくなるのか その2
- マタイ原理は交易する商人の貧富にだけかかわる原理ではない.それはすべての不平等が生まれる一般的なメカニズムでもある.
- ではそれは本書が焦点をおいている前近代の農業社会においてはどう働くのか.そのような社会の主要な資産は土地だ.土地なしには作物も家畜も生産できないからだ.では土地の不平等所有はどのようにして生まれるのだろうか.
- 私は何年か前にこれに答えようと考えた.私は詳細で深い理解が得たかった.そこで数理モデルを組むことにした.
- モデルとは現実を単純化して,つまり現実を理解するために決定的と思われるいくつかの要因以外を捨象して,記述するものだ.数理モデルはそれを精密に表現できる.数理モデルは前提だけから何が導かれるかを明らかにしてくれる.数学は真の科学に必要なものなのだ.
- とはいえ,私はここで数式を展開するつもりはない.ポール・クルーグマンはかつて「正式な経済学の数式とグラフは,多くの場合,知的建造物を構築するための足場に過ぎない.建造物が一旦ある段階まで建てられたなら足場は取り払われ,平易な英語のみが残る」と書いた.というわけで私はここから平易な英語で説明する.
- よくなされるように,私は単純なモデルから始めた.ここに理想化された社会があり,平和で法の支配が成立している(暴力や盗みはない)としよう.資産は相続されるか売買されるかだ.私たちの興味は農業社会にあるので,土地が主要な資産となる.
- 初期段階ではそれぞれの家族は同じ量の資産を持っているとする.(なぜ単純な前提からはじめるかについて説明がある)この平等性は次の世代に受け継がれるだろうか.まずそれぞれの家族にはいろいろな数の子供がいるだろう.子供が多い家族の子供は小さな相続分しか持たないし,一人っ子はすべてを相続する.だから1世代で平等性は崩れる.そして世代が重ねられると子供の数の不均衡により格差は広がる.つまり,平和と法の支配という前提はそれだけで不平等を生み,社会は貧しいものと富めるものにゆっくり別れていく.
- この第1モデルでは,均等相続を仮定した.他の相続法ではどうなるだろうか.長子単独相続なら,1世代で無資産者が大量に現れる.だから均等相続より格差拡大が早いだろう.長子に半分,それ以外の兄弟で残り半分を均等に分けるのであれば,格差拡大ペースは均等相続と長子単独相続の中間になるだろう.
- 男性と女性が結婚し,資産が合わさる時に何が起こるかも考えなければならない.最初の単純モデルでは男女の婚姻が互いの資産額の状況に影響されないと仮定した.しかし実際には富裕な男性は富裕な女性とより結婚しやすいだろう(アレンジ婚の場合には特にそうだろう).このような『物質的』傾向をモデルに組み込むと,当然予想されるように,格差拡大のペースは速くなった.
結婚についてのターチンの説明はやや不透明だ.娘に持参金を持たせることによる財産減少効果がどのようにモデルに組み込まれているのかは明らかではない.
- ここまでは資産の分布についてのみ考察してきた.もう1つの重要な問題は収入だ.資産の不平等は収入の不平等につながるだろうか.これを見るために私はモデルに生産要素を組み込んだ.土地自体がそれだけで収入を生み出すわけではない,それには労働が必要だ(もちろん様々な生産資材も必要だが単純モデルではそこは捨象する).すると資産格差が収入格差につながるかどうかは農地面積辺りの人口密度に依存することがわかった.
- 富裕な家族が(自分たちで耕しきれない)その広大な土地を生かして追加収入を得るには,貧しい者を雇わなければならない.人口密度が小さければ,農地をすべて耕すだけの者を雇えないし,雇えたとしても賃金が高騰するために追加収入はわずかだ.土地を貸し出すにしても供給が需要を上回るために地代は低い.だから収入格差は資産格差よりマイルドになる.富者は土地をすべて生かせないし,貧者は高騰した賃金で少し取り戻せる.
- この状況は人口が増加した時に劇的に変わる.人口増加したなら,こんどは労働が供給過剰になるのだ.富者は安く労働者を雇って高い追加収入を得ることができるし(貸し出す場合の地代は高騰する),貧者は低賃金に甘んじざるを得ない.この場合には格差はより速く拡大する.人口過剰は不平等を加速するのだ.
- モデルにおいては貧者はその土地を富者に売らざるを得なくなり,飢えていく.実際の歴史で見られるのは,貧者はすぐに土地を売るのではなく,借金のカタにすることだが,最終的には,貧者は借金を返すことができず,やはり土地は富者のものになる.
土地からどのように収入が生まれるかを考察する部分はわかりやすい.こういうメカニズムを考えるので,ターチンは人口動態に非常に注目することになるわけだ.