本書はシジュウカラのさえずりや鳴き声の意味を次々に解き明かしてきた進化生物学者鈴木俊貴による自伝的研究物語的な一冊.
シジュウカラは広くユーラシアに分布する森林性の鳥だが,日本でバードウォッチングをすると街中でも見られるとても可愛い小鳥*1であり,冬には葉っぱが落ちた林の中でヤマガラ,ヒガラ,コガラ,コゲラなどと混群を作ってさえずり合うので観察しやすくおなじみの鳥だ.春先にオスが梢の先に陣取ってツツピーツツピーと大きく鳴く囀りがナワバリ宣言あるいは求愛というのは有名で知っていたが,それ以外の様々な鳴き声については(タカに対する警戒音はなんとなくわかっていたような気もするが)あまり注目していなかった.そして実は少し前まで研究者たちもあまり理解していなかった.著者は様々な鳴き声に特有の意味があることを世界で初めて解き明かした.シジュウカラは英国のオクスフォードの行動生態研究グループによって何十年もワイタムの森で研究されていて,それでも誰もみつけていなかったことなので,(著者はあっさりと書いているが)これはかなり驚嘆すべき業績だと思う.
本書は特に章建てをとらずに,エッセイ風に綴られているが,おおむね時系列に沿った研究物語という構成になっている.
冒頭では高校生にお年玉で双眼鏡を買ってバードウォッチングにはまる逸話が語られる.そこから著者は動物行動学に興味を持ち,鳥の研究が出来る大学*2に進み,冬の軽井沢で小鳥たちの混群に出合う.そして混群の中で餌場でコガラが「ディーディーディー」と鳴き(別の餌場ではシジュウカラが「ヂヂヂヂ」と鳴き)混群の小鳥たちがそちらに集まる様子,そして「ヒヒヒヒ」という声とともに小鳥たちが一斉に茂みに隠れその直後ハイタカが現れる様子を観察する.著者はこれは「集まれ」とか「タカだ,警戒せよ」という意味を持つ鳴き声ではないかと直感し,その中でもレパートリーが多そうなシジュウカラの鳴き声を調べることを決意する.これが鳥語研究の始まりということになる.
「ほかの小鳥を集めると自分の食べられる量が減りそうのになぜ呼ぶのか」が最初の疑問となる.まず本当に「集まれ」という意味に解釈されているのかを実験的に確かめ(この時点で世界で初めてだったらしい),一羽でいる時と群れでいる時の警戒コストを確認し,仲間を集めて天敵警戒をする方が有利なのだろうと考えられると答えを出す.ここから大学4年の貧乏観察日記が楽しい*3.続いて(鳥島のアホウドリ保全で有名な)長谷川博博士の思い出,軽井沢の森に巣箱を40個かけるプロジェクトの(特に資金集めの)苦労,都会に進出したシジュウカラと街中の巣の見つけ方などがエッセイ風に語られる.
ここで話題はシジュウカラ言語に戻る.シジュウカラの「シャーッ」という鳴き声が天敵撃退のためのヘビの音声の擬態らしいこと*4,親鳥によるヒナへの餌やり合図の「ゲゲッ」,ヒナのエサねだりの「チリリ〜」「ビビビ」,天敵接近なので警戒して餌ねだり音をやめるように促す「ピーツピ」が紹介される*5.
著者は修士課程に進み,修論で卒論と同じテーマ(対象として同種個体だけではなく異種個体もふくめた呼び寄せ音の発見)をやり直した顛末が語られる.それは「音声再現実験」の方法に関する「ありうべき対立仮説をしっかり吟味するためにはより厳密な方法論が必要だ」という意見論文に対応するためということになる.実験デザインの重要性を示す逸話で,苦労話などなかなか詳細は面白い.
ここでシジュウカラ巣箱荒らしの犯人探し(ホンドテン,アオダイショウ,クマ)とその対策の話があり,ここからヘビ警戒音の発見話になる.シジュウカラの通常天敵への警戒音は「ピーツピ」だが,ヘビの時だけ「ジャージャージャー」と鳴き,飛び出せるまで育っているヒナは一斉に巣から飛び出すのだ.ここではそれを科学的に実証するための方法論が具体的に描かれていて楽しい.
続いて博士課程3年の時の国際学会(ISBE2010)デビュー(発表は大いに受け,尊敬するデイビス博士やオルコック博士にも会える),博士号取得と「研究者は対象動物に似るのか*6」という楽しい話題,実家のシジュウカラ巣箱と両親の過保護振り,SNSを通じたシジュウカラのヒナ救出作戦*7というエッセイ風の記述が続く.
ここで「動物に言語はあるのか」というテーマになる.著者にとってシジュウカラの様々な鳴き声は紛れもなく「言語」なのだが,調べてみると学問的には「言語を持つのは人間だけだ」という思い込みが強いことが分かり著者は衝撃を受ける*8.そしてそれまでにこのテーマがあまり研究されていないこと(有名なベルベットモンキーの警戒音ぐらいしかない)もあり,著者は自分で証拠を提示するしかないと考える.この部分の著者の思索を少し詳しく紹介しよう.
- シジュウカラの音声レパートリーは200パターン以上あるが,漫然と研究しても決定的な証拠にはたどり着けなさそうだ.
- そこでヘビ警戒音「ジャージャージャー」に注目した.
- これはヘビを見た時にしか発さないので,恐怖心や警戒心の現れとは考えにくい.音声再生実験では,この音を聞いたシジュウカラは巣箱の周りで地面を見下ろした.これも恐怖心や警戒心の現れとは考えにくい.ヒナが幼くともこの警戒音を発するので,単にヒナに巣箱から出るように促す声でもない.「ヘビ」を表す単語と考えるのが自然だ.
- しかしヘビに関する「特別な警戒心」を表す音声だという対立仮説は残る.これを覆すには聞いたシジュウカラはヘビイメージをもっていることを示せれば良い.しかしやり方は難しい.fMRIで調べるのは脳が小さすぎて難しいだろう.
ここで著者は思索を重ね,2年後に新しい実験方法を思いつく.著者は様々な音声と木の枝の様々な動きを組み合わせてシジュウカラに提示し,ヘビ警戒音とともに枝が長軸方向に這う動きをする時にのみその枝に反応することを示すことに成功する(サンプル数を確保するために何年もかけた苦労話*9も楽しい).これを示した論文は査読者大絶賛でほとんど改訂なく掲載される*10.
次は「シジュウカラは文を作るか」がテーマになる.著者は「ピーツピ,ヂヂヂヂ」という音声に注目する.これは「天敵だ警戒せよ」と「集まれ」を意味する語が組み合わされていて,この順序の組み合わせのみ現れ,集まった小鳥たちは天敵にモビングをする.著者はどのシジュウカラもこの組み合わせ音を発すること,逆の組み合わせを聞いた小鳥はモビング行動しないことを確かめ,「鳥も文を作れる」という論文を発表し,これも大絶賛される.さらに興味を持ったフィンランドのテレビ局がコンタクトしてきて,フィンランドのシジュウカラも日本のシジュウカラの「ピーツピ・ヂヂヂヂ」に同じ反応をする動画が送られてきた逸話が語られている*11.
さらに著者はシジュウカラが新しい文を理解できることを,シジュウカラ語とコガラ語を組み合わせて提示することで示す(シジュウカラ語の警戒せよ「ピーツピ」とコガラ語の集まれ「ディーディー」を混ぜても,語順が同じ「ピーツピ・ディーディー」であれば「警戒して集まれ」の意味として通じる.ここでも考えうる限りの代替仮説を潰していく過程が丁寧に描かれている).論文が発表されると,人間言語との違いについて様々な意見が寄せられる.著者は1つ1つに丁寧に対応し,ある言語学者による「文ではなく,単に連続音として反応しているのではないか」という意見には「ピーツピ」と「ヂヂヂヂ」の音を異なるスピーカーから再生するとモビング行動が生じないことを示す.この結果を論文で読んだ当該言語学者は後の論文でシジュウカラの文作成を認め,他の動物においても検証が必要だとコメントする.著者は「ようやく動物学者と言語学者が合意して,“動物言語の解明”に向かって歩み出した気がした」と書いている.
次の進展はシジュウカラのジェスチャー言語の発見.著者は餌を巣に持って帰る両親の間での「翼をぱたぱた」する動作は「お先にどうぞ」の意味があることに気付き,検証すべくデータを集め*12論文にする.これも大きな話題になり,世界中のメディアからの取材殺到になる.
ここから著者による「動物にも言語があるのだ」啓蒙大作戦*13が語られる.Twitter(現X)へのシジュウカラ語の投稿,カルチャーセンターでの講演会,中学の国語教科書への執筆,ラジオ出演,テレビ(「ダーウィンが来た!」*14ほか)出演,そして本書自体もその一環ということになる.
さらに著者は国際行動生態学会(ISBE2022)の基調講演に招かれ,並み居る行動生態学者に向かって「動物言語学(Animal Linguistics)」を始めようと呼びかける.そして会場から大きな拍手に迎えられるところで本書を終えている.
以上が本書の内容になる.若手研究者の自伝的研究物語としてとてもよく書けている*15.語り口もソフトで,ところどころに著者自身の手になる楽しいイラストが描かれているのも楽しい.
動物が様々な鳴き声をあげているのは周知のことであり,「何を言ってるのか知りたい」というのはごく自然な好奇心だし,ドリトル先生物語はまさにその夢を語ったファンタジーでもある.そして著者はヨーロッパの行動生態学者にはおなじみのシジュウカラをテーマに,たった1人でローテクのみを使って,数々の発見を行ってきた.その筋道がわかりやすく語られ,実証の厳密さをめぐるエピソードが物語をぴりっと引き締めている.私的にはもう少し理論的な部分(特にシグナルの信頼性の問題)もあったら面白いな*16とも思うが,一般向けにはこのぐらいの方が良いのかもしれない.バードウォッチングする人なら,公園や林で一気に楽しみが増える一冊でもあるだろう.
*1:ドバト,カラス,スズメ,ヒヨドリ,ムクドリの次ぐらいによく見かける
*2:明示されていないが,長谷川博,長谷川雅美が在籍していたと書かれているので,東邦大学だとわかる
*3:最後の1ヶ月に肉野菜が切れ,毎日白米だけをたべ,もらい物のキャベツを贅沢なご馳走と考えて最終日にとっておいて一気に食べたら気持ち悪くなった話は傑作だ.栄養失調にならなかったのかととても心配になる(そうは書かれていないので,何とかなったのだろうが)
*4:これは騙しによる操作なので,信頼性や頻度の問題が興味深いが,それには触れられていない
*5:ここで餌ねだりと天敵呼び寄せリスクに関する親子コンフリクトの解説がなかったのはちょっと残念.理論的には飢餓リスクがヒナの閾値を超えれば(親の閾値以下の場合に)親が警戒するように促しても餌ねだり音を続けることが予想されるが,実際にはどうなのだろう
*6:もともと似ている動物を研究対象に選びがち説と研究するうちに似ていく説を提示して,前者の方がありそうだが,排他的ではないだろうとコメントされている
*7:船の機械の中に巣があり,出港間近ということで緊迫した作戦になった顛末が語られている
*8:ローレンツ,ダーウィン,アリストテレスと遡ってく探索が楽しい
*9:シジュウカラをだませるのは1羽につき1度だけで,個体識別をしながらサンプル数を稼がなければならない
*10:若手学者の研究物語ではほとんど見かけない逸話だ.皆査読には苦労している.それだけ著者の研究がエレガントだということだろう
*11:なおシジュウカラ言語には方言があるようで,ヨーロッパのシジュウカラの「警戒して集まれ」音は「ピーツピ・ジュジュジュジュ」となることも紹介されている
*12:その中で著者はこの動作はメスが行うことが多いことに気付く.これはオスを先に巣に入れて「イクメン度」を査定している可能性があるとコメントしている
*13:「人にしか言語がない」と思っているのは「井の中の蛙」だとして,「カエル人間救出大作戦」と名付けている
*14:「ダーウィンが来た!」で2本,「ワイルドライフ」で1本放映.紹介したいシジュウカラ語が多く,すべて撮り終えるまで4年かかったそうだ.最近も「Noasobi」で出演されていたが,本書では触れられていない
*15:研究が順調に進む場面中心で,もう少し苦労話があってもよかったとも思うが,実際にかなりすいすいうまく進んだのだろう
*16:著者によると単語が200以上あるということだ.そのすべてが「集まれ」のように相利的状況ではないだろう.それぞれの語が様々なコンフリクト状況でどのように信頼性が保たれているのかには非常に興味が持たれる.実際に本書の中では餌場が他種の鳥に占有されている時にタカ警戒音「ヒヒヒヒ」を使って追い払うというくだりがある.これはこのような騙しがある程度低頻度でなければならないはずだが,何がそれを担保しているのだろうか.著者には是非詳しいシジュウカラ語本を出してほしいと思う.