番台から見守ってきた街と人々の生活に迫る連載、【まちと銭湯】をお届けします。
阪急宝塚線の急行に乗れば、石橋阪大前駅まで大阪梅田駅からわずか15分。駅西口を出ると、活気のある商店街が出迎えてくれる大阪府池田市石橋。
大阪大学豊中キャンパスに近く、前身の旧制大阪帝国大学時代から学生街として知られていますが、それは石橋の一面にしか過ぎません。
古くは能勢妙見山への参詣道としてにぎわった能勢街道が通り、1910(明治43)年に箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)が開通すると、石橋駅(現石橋阪大前駅)が宝塚方面と箕面方面の分岐駅になり、鉄道の要所にもなりました。
戦後は、大阪の衛星都市としての性格が色濃くなり、通勤や通学に便利なことから人口が急増。駅周辺の路地に入ると飲食店がひしめき合う、現在の石橋の原型が形づくられていきました。
平和温泉は、そのような石橋の街で、メインストリートというべき石橋商店街の中にある銭湯です。駅前から続くにぎやかなアーケードを進むと見えてくる、「好きやねん おふろ」と書かれたオレンジ色の看板。
「駅前の商店街にある銭湯なので、いろんな方に利用してもらっています。開店直後早い時間帯は地元のお年寄り、夕方は仕込みを終えた飲食店の方、夜は会社帰りのサラリーマンの方や学生さんと、時間帯によって客層が変わるのもうちの特徴でしょうか」
そう話すのは、平和温泉の3代目にあたる中野洋介さん。
石橋で生まれ育ち、現在も銭湯のフロントから街を見続けている中野さんに、石橋の住み心地や魅力についてお聞きしました。
高度成長期の石橋に目を付けた祖父の先見の明
――平和温泉はいつから続く銭湯なのですか?
中野洋介さん(以下、中野):祖父がもともとここにあった銭湯を買ったのが、1963(昭和38)年頃のことです。石川県から大阪に出てきた祖父は、最初に大阪市生野区の銭湯で仕事を覚え、西区南堀江の「千福温泉」という銭湯を買って経営していました。その時、石橋に「榎(えのき)湯」という銭湯が売りに出ているのを知り、「千福温泉」を長男に任せて、次男である私の父を連れて石橋に移ってきました。
ちょうど高度成長期の真っ最中で、石橋の界隈が急速に発展した時期だったようで、祖父はそこに魅力を感じたみたいです。
「榎湯」は1933(昭和8)に建てられたと書類で見たことがあるのですが、一昨年の改装の際、住居部分の壁をはがすと、柱に「大正12年」と書かれていたので、もっと古くからあったのかもしれません。
屋号を「榎湯」から「平和温泉」に変えた理由は聞いていませんが、祖父は兵隊として戦争に行っていたので、人一倍「平和」という言葉に思い入れがあったのかもしれませんね。
――中野さんが継がれたのはおいくつの時ですか?
中野:いずれは継ぐのかなと漠然と考えていましたが、29歳の時に父の病気が判明して、それが本格的に経営を引き継ぐきっかけになりました。
大学進学で石橋を離れて、卒業後は不動産業界で働いていたのですが、石橋に帰ってきてみると、改めて「石橋って住みやすいところだな」と思いました。
梅田に出るのも便利ですし、下町っぽい雰囲気が残っていて都会のような喧騒もありません。山が近くに見えて、緑が多いのもいいですね。
阪急の駅のイメージが強い街ですが、阪神高速や中国自動車道にも近くて、車で遠出するのにも便利ですし、大阪空港もすぐです。本当にないのは海ぐらいじゃないかと思います。
――生まれ育った石橋は、幼いころの中野さんにはどのように映っていましたか?
中野:商店街から一歩脇に逸れると細い路地の多いところは今も当時も一緒で、路地から路地を縫うように遊び回っていました。当時は、井戸の残っている家なんかもありました。
赤い橋の架かっている箕面川は、小学校低学年ぐらいまで水辺に降りられるようになっていたんですよ。兄に連れられて夏は水あそびもよくしました。
中野:小学校3年の時、この辺りの氏神様である亀之森住吉神社の秋の例祭で、石橋地区の花笠太鼓の乗り子に選ばれたこともありました。男の子4人が神輿の上に乗って、太鼓を叩きながら神社まで練り歩くのですが、白塗りの化粧が恥ずかしかったのをよく覚えています。好きだった女の子が祭りを見に来ていて「俺って気づかんといてくれ」って思いましたね(笑)。
中野:僕が乗り子をした年を最後に、石橋地区は花笠太鼓を出さなくなったのですが、最近商店街から復活させようという声が上がり、また石橋地区も花笠太鼓が復活しました。そういう地域を盛り上げようという動きは嬉しいですよね。
子育て世代のため、お風呂で貸し切りの赤ちゃん連れ入浴会も
――現在3人のお子さんの子育て中とお聞きしました。実際に暮らしていて、石橋はいかがですか?
中野:上から4歳、3歳、3カ月の3人の娘を育てています。上は幼稚園、真ん中は保育園に通っていますが、周辺にそれぞれいくつかあり、入園できなくて困るようなことはありませんでした。待機児童も少しいるようですが、子どもを預かってもらえる施設もあるので、恵まれているほうだと思います。
歩いていける範囲だけでも比較的広い公園が2カ箇所ありますし、商店街を抜けてすぐの所にある石橋駅前公園は、交通量の多い道も通らずに行けるので、子どもたちを連れてよく遊びに行きますよ。
中野:もともと学生向けのワンルームマンションが多く、ファミリー向けの物件があまりないエリアだったのですが、最近は少しずつ増えてきている印象ですね。
――お子さん連れのお客さんも増えましたか?
中野:週末を中心にファミリーで来てくださるお客さんが徐々に増えていますね。今までに「赤ちゃんとママ・パパのはじめてお風呂屋さん」というイベントを3回ほど開催しました。営業時間前に親子で大きなお風呂にリラックスして入ってもらえ好評でした。その場でお友達になられた方や、以降もたまにお風呂に来てくださっている方もいます。
自分が子育てに関わって大変さに気づいたぶん、子育て中の方に銭湯で疲れを取って欲しいという思いや、銭湯へ赤ちゃんを連れてきても大丈夫ということを知って欲しい気持ちが強くなった気がします。
昔は、赤ちゃん連れで銭湯に行くことが日常の風景でしたが、最近ではほとんど見なくなりました。親の世代も小さいころから家にお風呂があるのが当たり前で、銭湯に行ったことがない人も多いですからね。
中野:小さな子ども向けのイベントとしては、真ん中の娘が通う保育園で年に1回あるお泊り保育の際に、みんなで体験入浴にきてもらっているんです。
実はこの体験入浴は、僕が保育園児だったときから始まったもので、それから30年ちょっと続く恒例行事になったんです。その時の写真も残っていますよ。
学生と街とのいい関係。商店街の老舗がおもしろいことを牽引
――石橋といえば阪大の学生街というイメージが強い場所です。学生街ならではの特徴はありますか?
中野:学生の財布にもやさしい、安くておいしい飲食店がたくさんあるのは、町の魅力でもありますね。独身時代は、今日はどこでお昼を食べようか考えるのが楽しみでした。
中野:石橋商店街では、「石橋×阪大」という商店街を盛り上げる活動をしている学生サークルと協力して、いろいろイベントを行ったりしています。
昨年は新型コロナで中止になりましたが、商店街に学園祭を持ってこようという「おはこ文化祭」は恒例行事になりました。2015年1月に行われた第1回目の時は、うちの浴室でアカペラのコンサートを開いたりもしました。
なかでも人気の企画には、「お使いデビューin石橋商店街」というのがあります。小さな子どもに単独で商店街のお店にお使いに行ってもらうのですが、その様子を学生スタッフが撮影して、その映像を親御さんに差し上げるという企画です。申し込みが多すぎて、追加開催されるほどでした。
――商店街と学生さんのいい関係ができているんですね。
中野:商店街としても学生さんと一緒になにかできるのは嬉しいですし、商店街だけでは出てこないようなアイデアが出てきたり、若い力を借りて活性化してきているなと感じます。
中野:商店街の中でも最古参級のタローパンや、駅西口にある「がんがら火祭り」という銘菓が有名な松家本舗が、学生と商店街の間に入って商店街側の窓口になってくださっています。なにか商店街で新しいことをするときは、この2店も所属している商店街の有志で結成した、おはこ委員会が中心になって話を進めていく感じですね。
中野:最近、石橋商店街は手塚治虫さんが阪大出身ということで、手塚プロとのコラボ企画をしているのですが、『火の鳥』の絵が入ったタオルは、タローパンと松家本舗と平和温泉で相談してつくりました。ほかにも鉄腕アトムがデザインされたエコバッグをつくったり、松家本舗ではアトムの焼き印を捺したどら焼きも販売されたんですよ。
うちの銭湯だけが繁盛してもダメ。育ててもらった地域に恩返しを
――個人商店が元気な街は、街自体にも活気を感じますね。
中野:石橋商店街にもチェーン店がいくつか進出していますが、個人店も負けずに頑張っているのは嬉しいですね。ほとんどシャッターが閉まった店がないのも、石橋商店街のすごいところですね。
実は私自身は銭湯を継ぐときに、ある程度経営が軌道に乗ったら、銭湯は母や姉兄に任せて不動産業界に戻ろうと思っていたんですよ。不動産の仕事も楽しくておもしろかったので。
でも、銭湯業界に入ってみると、銭湯って地元の人が「ありがとう、気持ち良かったわ」とか、「ええお湯やったわ」とか、ニコニコしながら喜んでくださるのを直接見られるんですよね。
そういうシーンを目の当たりにして、自分はこういう人たちの住む地域とお風呂に育ててもらったんだなということを強く感じるようになりました。そうして、地域への恩返しとして、ちゃんとこの街に銭湯を残していかないとダメだと思い、銭湯業に腰を据えることに決めたんです。
――平和温泉さんが石橋阪大前の魅力のひとつになっているような気がします。
中野:そう思ってもらえたら嬉しいのですが、うちの銭湯だけが繁盛していてもダメだと思うんです。
銭湯業を通じて感じるのは、一軒だけ繁盛しても、それ以外の所がどんどん廃業していけば、結局は業界全体が沈んでいくということです。そこで大阪府の銭湯組合では若手の経営者で「For-U(湯)」というグループをつくり、スタンプラリーを企画するなど、業界全体が盛り上がるような仕掛けづくりを頑張っています。
石橋商店街も同じように、商店街全体が盛り上がればと思っています。「今日は平和温泉の帰りにあそこに寄ろう」とか、そう思ってもらえる場所が増えれば嬉しいですね。
いつ訪ねても、商店街や路地裏の飲食店に元気をもらえる石橋阪大前。そんな街の中で、しっかりと存在感を発揮する平和温泉。これからも街とともに、人々を癒やし、明日への元気をもらえる場所であり続けるでしょう。
取材・執筆:林宏樹/撮影:テラサカトモコ/編集:Huuuu inc.