埼玉県で生まれ育った私が、三重県鈴鹿市に住むことになったのは14年前のことだ。きっかけはありがちで夫の仕事の都合。当時の私は特に深く考えもせず、息子と家族3人で三重への引越しを決めた。
しかし、実際に三重での生活を始めてみると、右も左も分からない地での子育ては、想像以上に苦しかった。
保育園や仕事を探すのは大変だし、近くに育児のちょっとした悩みを話せる友達が誰一人いないことに気づいたときには、まるで箱の中に閉じ込められたような怖さと息苦しさを感じた。しかも当時の私には、気軽に足を運べる本屋さんや喫茶店もなく、次第にここには何もない、と思うようになった。
運良く見つけた保育園では、方言で話すお母さん方に囲まれる中、私の標準語はだいぶ浮いており、何気なく発せられた「この辺りの人ではないね」の一言がいちいち突き刺さってしかたなかった。その後、下の子が産まれるころには、さらに育児に追われ始め、次第に寂しさを感じる事すらできなくなっていた。
そんなある日、ようやく子育てがほんの少し落ち着き始め、家で子どもと遊んでいたら、私の大好きな絵本が床に転がっていた。思わず絵本を開いて読んでいるうちに、そういえば隣町に子どもの本の店があるということを思い出し、足を運んでみることにした。
今回は、この些細な出来事をきっかけに生まれた、私の不安を和らげてくれた出会いのことを振り返ってみようと思う。いくつもの出会いを経て、私は三重での生活に楽しみを見いだせるようになったのだ。
私の周りには本当に「何もない」のか?
本屋「メリーゴーランド」
鈴鹿市から車で約30分ほど、お隣の四日市市に子どもの本屋「メリーゴーランド」はある。独自に絵本塾を開いていたり、子ども用雑貨を豊富にそろえていたり、絵本好きの間では有名なお店で、私も以前から知ってはいたけれど、慌ただしさの中でその存在を忘れていた。
初めてメリーゴーランドを訪れたときは、店先のディスプレイの楽しさに目を奪われ、しばらくそこから動けなくなった。
ドキドキしながらドアを開けると、「いらっしゃいませ」ではなく「こんにちは」と店員さんがにっこり笑って挨拶してくれた。緊張がほぐれて私も自然と笑顔になる。
店内には店いっぱいの絵本や児童書のほか、子どもに絵本を読んであげているお父さんの姿、「りすが好きなので、りすが出てくる絵本ありますか?」という要望に応えようと絵本を選んであげている店員さんの姿があった。
穏やかで居心地の良い雰囲気の中、大好きな絵本をパラパラとめくっていると、私のグレーがかった心が白く塗り替えられていくのが分かった。
いつまでも寂しい寂しいと下を向いてばかりではいけない。
本当に私の周りには何もないのか?
ただ見えていないだけではないのか?
メリーゴーランドに行った日の夜、子どもたちを寝かしつけたあとの一人の時間に、これからは少しずつ顔を上げて周りを見渡すべきだと考えるようになった。
大栄軒製パン所
そんな折、同じく四日市市にあるパン屋さんが、「ほげちゃん」のパンを予約制で焼いてくれるとの情報を得た。
ほげちゃんとは、同名の絵本『ほげちゃん』に登場するカバに似た青いぬいぐるみのことだ。天真爛漫な持ち主・ゆうちゃんに雑に扱われ、ほげちゃんの怒りが爆発する楽しい絵本である。
聞くところによると、作者のやぎたみこさんがパン屋の店主と知り合ったことで「ほげちゃんパン」をつくることになったそう。いつもはうじうじと考えるだけだったが、これも何かのきっかけになるかも知れないと思い、行ってみることにした。期待で胸が膨らんだ。
JR四日市駅の近くにある「大栄軒製パン所」。趣のある対面式のパン屋さんだ。
3代目になる店主が昔ながらのパンを守りつつ、新しいパンを生み出し、自分好みにカスタマイズされた空間をつくっている。
初対面にも関わらず、店主は子どものことから音楽の話まで多岐にわたる話題を広げてくれ、話している間ずっと笑っていたくらい楽しく過ごすことができた。他愛もない会話を楽しめたのは、数年ぶりだったかもしれない。
家で子どもたちとキャラクターのパンをかじりながら、楽しかった時間を思い出すと心が安らいだ。
雑誌『kalas』
こうして少しずつ周囲のことに目を凝らすようになったころ、私が「この地で生きること」をより意識させられた雑誌と出会った。
三重県津市に焦点を当てた小冊子『kalas』だ。メリーゴーランドで手に取り、お店の情報に留まらず、津市で生きて暮らしている人のことを綴った文章が素晴らしいと思い、毎号読むようになった。
中でも印象的だったのが、35号「変わりかたの守りかた」特集の一文だ。
地方誌を発行するという仕事柄、様々な場所に足を運んできたつもりだが、未だに狭い町の中にも未知の場所は尽きることがない。
町を見続けることを生業としている人ですら、未知の場所は尽きることがないと感じているのに、探すことも知ることも放棄している人間が「何もない」と発することがあって良いのだろうか。安易に「何もない」と結論づけるのはなんだか違うような気がした。
現在は休刊してしまっているが、『kalas』を読んでさまざまな視点を得たことで、以前よりも三重県に住んでいることが楽しいと思えるようになった。
例えば、それまでは面倒に思っていた「おつきみどろぼう」(各家に用意されたお菓子を子どもが泥棒するという風習。日本版ハロウィンとも言われる)などの三重の風習も、背景や意味を考えてみることで楽しめるようになった。
私が私として生きていける場所が増えていく
演劇
そういった経緯で地域の情報を意識して探すようになってから、津市にある三重県総合文化センターが演劇活性化に力を入れていることを知った。
埼玉に住んでいるころは、演劇はチケットが取りづらいイメージが先行し、ほとんど足を運ぶことがなかった。しかし、ここは比較的チケットが取りやすく、東京で人気の劇団なども観ることができるため、時々足を運ぶようになった。
主な活性化の取り組みとしては、ワークショップの開催など、各地と連携した演劇人の育成を行っているほか、若手注目の劇団をセレクトして三重に紹介する「Mゲキセレクション」がある。このMゲキセレクションのラインナップが素晴らしく、私はいつも楽しみにしている。
どういったポイントで劇団を選定しているのかは分からないが、観劇に行った際に書かせてもらうアンケートには呼んでほしい劇団を書く項目があり、少しは参考にされているような気がしている。
先日は劇団ロロの「いつ高シリーズ」の2本立て公演があった
特に印象に残っている公演は、初めて一人で観に行った劇団「iaku」の『目頭を押さえた』だ。
この作品は、過疎化により衰退した集落を舞台に、女子高生の目線から葬送(そうそう)にまつわる因習(いんしゅう)をめぐって繰り広げられる新旧世代の葛藤を描くお話である。
田舎暮らしの大らかさと、伝統やしきたりに縛られる生きづらさ。どちらも身をもって理解している私には突き刺さる作品だった。笑う箇所もたびたび設けられながら、涙が自然とこぼれてしまう終盤まで感情がめまぐるしく変化し、何かすごいものを見てしまったと思ったのだ。
こうした非日常へ誘ってくれる演劇との出会いにより、私は心が豊かになり、余裕が生まれたことで、子どもたちにも焦らずゆっくりと接することができるようになった。
一箱古本市
あるときは、友人に誘われて伊勢市で行われている「一箱古本市」に参加することになった。引越してきた当初だったら、自分が誰かと一緒にイベントをやる側に回るなんて考えられないことだ。
古くからの蔵が立ち並ぶ勢田川(せたがわ)沿いで行われる
一箱古本市とは、蔵の町と呼ばれる河崎で行われるイベントで、参加者は一箱分の古本を持ち寄り販売する。
当日は幸い晴天に恵まれたこともあり、とてものんびりした空気が終始流れていて、その場にいるだけで気持ちが良かった。
私が販売用に置いていた絵本を手に取り「これが欲しい」とせがむ子の姿、孫の絵本を選んでいる祖母であろう人の姿、川をすぅと進むカモの姿、同時開催のだいどこ市(だいどころに関するものを販売するイベント)で豚汁をふるまうお母さんの姿、ひとつひとつがこの街をつくっているのだと感じた。
ひとつのことに触れるたび、私はどんどん欲張りになっていく。
まだ、何か面白いものがあるのではないか。
まだ、私が私として生きていける場所があるのではないか。
本の会
先日は、津市にある“本とコーヒーのある、居場所”「ひびうた」で行われた本の会にも参加した。本の会とは、本が好きな人々が本を持ち寄って順番に紹介していく集まりのことだ。
紹介者の経験と思いが、空気が振動して私に伝わってきたような感覚を抱き、本そのものより人に興味を持ってしまった。皆が笑って話せる場所は、オレンジ色の灯りが煌々と照っていて終始穏やかだった。
三重には三重でしか味わえない文化がある
私は小心者で、実は人がたくさん集まるところがそんなに得意ではない。
けれど、動かなければ始まらないこともあるし、ちょっと目をこらせば、三重には今回紹介したような動きたいと思えるほど魅力的な場所がたくさんあった。
そこでは熱い思いを持った人たちにもたくさん出会った。エスカルゴを養殖していると語ってくれた社長さん、とんぼの研究をしている方、四日市ぜんそくについて詳しく話してくれた方、どの方との出会いもかけがえのないものであった。
正直、地方は文化的な面で劣っているイメージを持っていた。しかし、多くの場所に行き、多くの人やモノに触れるうちにそのイメージは完全に払拭された。
三重には三重でしか味わえない文化がある。
私の住まいを中心とした私の行動範囲は、この先どこまで拡張されるのか分からないけれど、きっとまだまだ面白いことがあるのではないかと思っている。これからもずっと探していきたい。
苦しくて寂しかった私を救ってくれたそれぞれの場所すべてが私の大事な場所であり、今後も私を助けてくれるだろう。
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編集:はてな編集部