二度の脱出を経て、それでも東京で生きていく――ヒロシさん【上京物語】

インタビューと文章: 戸部田誠(てれびのスキマ) 写真:小野奈那子
ヒロシさん

進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。

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今回の「上京物語」にご登場いただくのは、お笑い芸人のヒロシさんです。

熊本の炭鉱の町で生まれ育ったヒロシさんは、福岡の大学を卒業後、サラリーマンを経てお笑い芸人としてのキャリアをスタート。26歳のときに念願の上京を果たしますが、コンビの解散や借金などが重なり順風満帆とはいかず、一時は地元に帰られたこともありました。ブレイク後は、ようやく安定した暮らしを手にできるかと思いきや、出会う物件すべてに拒絶されるように転々とすることに。

炭鉱住宅に生まれた幼少期から、家賃2万円のアパートをさまよった下積み時代、ブレイクを経た現在の率直すぎる気持ちまで、ヒロシさんならではの不運すぎるエピソードに彩られた異色の上京物語をお届けします。

初めての一人暮らしには、まさかのアレが出た

―― ご出身の熊本県荒尾市は、どんな町でしたか?

ヒロシさん(以下、ヒロシ):昔は炭鉱の町として栄えていたらしいんですけど、僕が生まれたころにはもう下火になっていて、どよんとした“寂れた田舎”という感じでした。僕の家族を含め、炭鉱で働いている人たちは、みんな炭鉱住宅という同じつくりの木造長屋に住んでいて。あるとき、神奈川に住んでる従兄弟が遊びに来たんですけど、普通そういうときって泊まっていくものじゃないですか? それなのに、かたくなに泊まろうとしないんですよ。あとで聞いてみたら、「なんか怖かった」と言っていて、「ああ、俺はどえらいところに住んでいるんだな」とそのとき初めて知りましたねえ。

ヒロシさん

―― いきなり切ないお話ですね……。ずっと炭鉱住宅にお住まいだったんですか?

ヒロシ:いや、僕が中学2年生ぐらいのころに炭鉱が閉山になっちゃったんですけど、そうすると炭鉱住宅は社宅なので出ていかなきゃならない。だから、うちの親が家を建てて、そこで生まれて初めて家にお風呂があるという環境を手にしたんです。めちゃくちゃテンション上がりましたね。僕、人生を通して家にお風呂があることの方が少ないんですよ。

―― そのころは、どういったところで遊んでいましたか?

ヒロシ:だいたいは外で遊んでましたねえ。有明海があって、山もあって、今思えば全然悪くない環境なんですけど、子どものころって、そんなに自然に興味ないじゃないですか? しかも、みんながイメージする青いきれいな海だったらいいけど、ムツゴロウなんかがいるような干潟の海だったので……。

―― 大学は福岡の九州産業大学に進学されたそうですが、そこで初めて一人暮らしをされたんですか?

ヒロシ:そうです。当時、トレンディドラマがはやってたんですけど、自分も一人暮らしをすれば、おしゃれなL字型のテレビボードを置くような部屋に住めると思い込んでいました。でも実際に不動産屋に行ったら、まあそんな物件ないですよねえ。けっきょく、炭鉱住宅と大差ない家賃2万円のアパートですよ。

―― とはいえ、初めての一人暮らしですから、いろいろ楽しい思い出もあるんじゃないですか?

ヒロシ:家賃2万をなめないでくださいよ? 一応お風呂はあったんですけど、旧式のバランス釜で、お湯を沸かすときなんか、汗が吹き出るまでレバーをガッチャンガッチャン回さないといけないんです。しかも、時折風呂場に茶色い細長い物体があって、「何かな?」と思ったらヒルですよ、ヒル。当たり前にゴキブリはいるし、部屋の脇からナメクジは上がってくるし……。炭鉱住宅で免疫がついていたから、なんとか耐えられたようなものです。

ヒロシさん

憧れのお笑い芸人の仲間入りを果たすも……

―― そもそも、お笑い芸人になろうと思ったきっかけは?

ヒロシ:小学生のころから、ドリフターズとかお笑いは好きだったんですけど、「芸人」という職業に興味を持ったのは小学3〜4年生ぐらいですかね。漫才ブーム真っ只中で、ツービートや紳助・竜介を見て、漫才師という仕事に憧れました。ただ、実際に自分がなれるとは全く思っていなくて。今でこそ芸人も一つの選択肢という感じですけど、当時は社会からドロップアウトするようなイメージが強かった。僕は普通の人でしたし、暗かったので、その道に進むことはないだろうな、と。

―― しかし、その後大学時代にお笑いを始められました。

ヒロシ:たまたまテレビで福岡よしもと主催のオーディションが開催されることを知って、高校の友だちと3人で受けに行ってみたんですよ。まあ普通に落ちて、その後僕は保険会社に就職したんですけど、仕事が嫌で嫌でたまらなくて。芸人への憧れの気持ちもまだあったし、今度は一人でオーディションに行くんですけど、また落ちて。でも、そのときオーディション会場にいた事務所の偉い方が「どうしてもプロになりたいやつがいたらここに電話してこい!」と言っていて、そこに電話したのが始まりです。

―― 芸人になってからの福岡での生活はどうでしたか?

ヒロシ:最初は先輩たちのパシリみたいなことをさせられるんですけど、「領収書もらってこい」とか言われたときに、「吉本」って社名を言えるだけでうれしかったですね。憧れのお笑いの世界に関われている!って。まあ、それからなかなかの地獄が始まるわけですが……。

ヒロシさん

―― その後上京されますが、もともと東京に対するイメージはどんなものでしたか?

ヒロシ:日本の中心地ですね。お笑いでも役者でも、とにかく芸能ごとで何か事をなすには東京に行くしかないと思っていました。ただ、あまりにも得体の知れない土地だったので、僕の場合はビビって福岡を挟んじゃいました。熊本の実家にいるときも、セブンイレブンやマクドナルドのCMはやっているんですけど、実物を見たことないんですよ。「シェイクってなんだ!?」みたいな。そういう憧れのものが全てあるのが東京。

―― そんな憧れの東京に、いざ行くことになったきっかけはなんだったんですか?

ヒロシ:福岡で3年やってみて、ほとんど仕事がなかったんですよ。今思えば焦りすぎだったのかもしれないけど、このままここにいても売れないなと思っちゃったんですよねえ。しかも、お土地柄なのか、福岡はネタ番組が少なくて、芸人はレポーターとして使われることが多い。当時、やっぱり僕は漫才がやりたかったので、仮に売れたとしてもレポーターなら、思い切って東京で漫才で勝負してみよう、と。コンビを解散することになるともつゆ知らず、26歳のときに上京しました。

逃げ帰った先で生まれた「ヒロシです」

―― 実際に上京してみて、イメージとどう違いましたか?

ヒロシ:夜行バスで新宿に着くわけですけど、その時点では想像通りの高層ビル群に圧倒されながら、「売れるまで絶対に帰らないぞ」とか思うわけですよ。ただ、知り合いの芸人が住んでいる新井薬師前に行こうとしても、まず西武新宿駅までたどり着けない。道行く人に聞くんですけど、みんなシカトするんです。やっぱり東京の人は冷たいなと思いましたよ。それでなんとか西武新宿線に乗り込んで、景色を眺めていると、どんどんどんどん田舎になってきて。畑が出てきたときには、「ここ、本当に東京なの?」と。

―― 東京で初めて暮らしたのはどこの町だったんですか。

ヒロシ:芸人仲間の住んでた新井薬師前のアパートにそのまま転がり込みました。でも、毎週のように福岡から芸人がやってきて、さすがにこのままだと生活できないと思って、すぐに駅前の不動産屋に行ったんですよ。ある程度の家賃は覚悟していたんですけど、表の張り紙を見ると「2万円」と書いてある。「ああ、意外に東京にも安い部屋はあるんだね」と思って中に入ったら、「駐車場です」って。ベタな話ですけど、本当なんですよ! だったら「駐車場2万円」って書いときなさいよ、と思って。

ヒロシさん

―― 確かに意地悪ですね(笑)。

ヒロシ:その後、なんとか4畳2万の部屋が見つかりましたけどね。風呂なし共同便所で、部屋の鍵は南京錠。一度、家に帰ったら僕の部屋に同じアパートの子どもが上がり込んでいることがありましたよ。唯一の取り柄は日当たりの良さだったんですけど、クーラーもないから夏は熱中症になりそうでね。けっきょく、さらに家賃を浮かせたくて、沼袋のアパートで芸人仲間と一緒に住んだりもしましたけど、ろくな物件に出会っていませんね。

―― そのころは、どういったところで遊ばれていたんですか? どこか行きつけのお店があったり。

ヒロシ:よく下積み時代にお世話になったお店とかを挙げる人がいるじゃないですか? あんなもん、ありませんよ。東京はお金がないと何もできません! 僕なんて、芸人仲間と新宿のアルタ前で「一発ギャグ売ります」って書いて、なんとか日銭を稼いでいたんですから。唯一通っていたのは、中野ブロードウェイぐらい。中に入らなくても、買わなくても、ワゴンセールなんかをブラブラ見ているだけで楽しかったので。

―― 歌舞伎町でホストをされていたことも有名ですが、どのような経緯で始められたんですか?

ヒロシ:ある番組で「芸人の根性を叩き直す」的な企画があって、2カ月間住み込みでがっつり鳶職をさせられたんです。当然、その間はバイトも何もできず。そうしたら、そのときのギャラ2万5000円ですよ? しかも、共同生活していた沼袋の家に帰ったら、僕のレンタルビデオの会員証で勝手に誰かがビデオを借りていて、延滞金が80万。おまけに、そのタイミングで相方は芸人辞めると言い出して。追い詰められた結果、ホストになったら、お金稼げるんじゃないかと思っちゃったんですよねえ。さらなる地獄が待ってるのに。

ヒロシさん

―― その地獄というのは……?

ヒロシ:こんな性格ですから、ホストとして稼げるわけもなく、かといって簡単に辞められるわけもなく、ついに部屋を借りられなくなったんですよ。もう人に住まわせてもらうしかありません。しかも、当時はホストのイメージがあまり良くなかったから、芸人仲間からは距離を置かれ出していて。お店のキャッチをやるふりして、道行く人に「泊めてくれ」って懇願する毎日ですよ。3年間その生活でしたけど、本当に地獄でした。

―― その後、一度地元の熊本に帰られるんですよね。

ヒロシ:簡単に言うと、ホストから逃げたんですよ。その逃げ帰ってる間にできたのが、「ヒロシです」のネタ。早く試したくてウズウズしていたので、働いていたホストクラブが閉店したと聞いてから、すぐに再び上京して、ライブに出まくっているうちに、気付けばテレビに出られるようになっていたんです。

東京じゃないと生きていけない身体になった

―― ブレイクしてから東京での生活は変わりましたか?

ヒロシ:しばらくは曙橋のボロボロのアパートに住んでいました。引越す時間もないくらいに忙しかったので。その後、やっと引越したのは家賃14万の初台のマンション。もちろん風呂ありで、それがうれしくてねえ。自分専用のシャンプーとリンスなんか並べちゃって、るんるん気分で近所の吉野家に行ったら、そこで週刊誌に撮られたんですよ。引越し初日にこんなことあります? けっきょく、怖くなって、そこには1日も住まず、当時のマネージャーの親父さんがやってる武蔵小山のぼろいアパートに住みました。反動もあったのか、しばらくして目黒の家賃48万のマンションに引越しましたけど。

ヒロシさん

―― すごいジャンプアップですね。そこを選んだポイントは?

ヒロシ:分かりやすく「成功者」って思いたかったんでしょうねえ。でも、そこにも問題があって。当時のマネージャーは霊感があったんですけど、いきなり「ここはやばい」とか言い出して。「霊媒師からお札をもらってきたから貼ってください」としきりに言うんですよ。でも、せっかくおしゃれな新築の部屋に貼りたくないじゃないですか? それで拒否しているうちに、夜中足音が聞こえるようになったり、電気が急に消えたりして、同じような2LDKの港区のマンションにすぐ引越しました。

―― ことごとく、行く先々で悲惨な目にあっているような……。その後、テレビ出演をセーブされるようになってからは、どのような生活をされたんですか?

ヒロシ:当時は港区のマンションに住んでいたんですけど、もう毎日死にたかったです。あるとき、突発的に18階から飛び降りそうになるんですよ。それで、これはさすがにやばいと思って、飛び降りても死なないところということで、神奈川の一軒家に引越しました。多摩川沿いの家だったんですけど、ちょうど近くにシーバス釣りのできるポイントがあってねえ。仕事もせずに、釣りばっかりしてました。また今は東京に戻ってきましたけど。

―― かなり上京の洗礼を受けているような気がしますが、それでも東京に戻ってくるのはなぜですか? また地元への思いは変わりましたか。

ヒロシ:最近はキャンプが好きなので、あんなに嫌だった田舎が素晴らしい土地じゃないかと思えてくるわけですよ。海があり、山があり、最高じゃないかって。でもねえ、やっぱり東京に慣れちゃうと、ほかの場所で生きていけなくなっちゃうんですよ。神奈川の一軒家に住んでいたときですら、人との距離感が近くて嫌でしたからね。誰にも干渉されず、生きていけるのは東京。散々な目にあいながらも、しっかり東京じゃないと生きていけない身体になりましたねえ。

―― 最後に、上京してくる若い人たちにアドバイスするとしたらどんな言葉をかけますか。

ヒロシ:無理に来ないでもいいと思いますけど、社会勉強として住んでみるのもいいんじゃないですか。上京したからって、地元に帰れなくなるわけじゃないんだから。ただ一つ言っておきたいのは、いい人もいれば、悪い人もたくさんいるから気をつけてね、ってことですかね。

ヒロシさん

 
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お話を伺った人:ヒロシ

ヒロシさん

お笑い芸人。1972年1月23日生まれ。熊本県出身。九州産業大学卒業後、一度は保険会社に就職するも、仕事が合わず退職。その後、お笑い芸人としてのキャリアを本格的にスタートさせ、2004年ごろに「ヒロシです」のネタで一躍ブレイク。2015年には「ヒロシちゃんねる」を開設し、YouTuberとしても活動を開始。著書に『働き方1.9〜君も好きなことだけして生きていける〜』(講談社)、『ヒロシの自虐的幸福論』(大和書房)などがある。

HP:ヒロシ・コーポレーション Twitter:@hiroshidesu0214

聞き手:てれびのスキマ/戸部田誠 (id:LittleBoy)

てれびのスキマ/戸部田誠

テレビっ子。ライター。著書に『タモリ学』(イースト・プレス)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』(文春文庫)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮新書)など。近著に『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』(文藝春秋)がある。

ブログ:てれびのスキマ Twitter:@u5u

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編集:はてな編集部