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タワマンブームの源流「エルザタワー55」の全貌 伝説のマンション王国・大京 第1回

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日本一の超高層マンションの開発秘話がいま明らかに。

エルザタワー55の遠景
日本一の高さを誇ったエルザタワー55。埼玉・川口の荒川のほとりに1998年に竣工した(写真は1999年2月撮影)(撮影:尾形文繁)

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大京──。1978年から2006年まで、29年の長きにわたってマンション発売戸数首位であり続けた企業だ。00年代半ばに経営危機に陥って以降、業界でも有名な「猛烈営業」は鳴りを潜めたが、確実にマンションの一時代を築き上げた。その大京を連載で描くことは、日本のマンションブームの核心に迫ることでもある。
第1回はタワーマンションブームの源流といわれる大京「エルザタワー55」の全貌。1998年に竣工したこの物件の高さは約185メートル。日本で最も高い住居として00年代半ばまで君臨し、今も荒川のほとりに屹立(きつりつ)している。

大京・ランド事業部に所属する大場道夫(当時31歳)は1990年4月、埼玉・川口の工場地帯をさまよっていた。前年に中途入社し、早々に任された大型プロジェクトの建設予定地に向かっていたのだ。後にエルザタワー55として超高層タワーマンション時代の幕開けを告げる記念碑的なプロジェクトである。

ただ、大場は不安だった。早稲田大学で建築を学び、筑波大学大学院に進み、病院など公共建築に関わる建築計画学を専攻、修了後は建築事務所で働いていた。それが「猛烈営業」で知られる大京へ転職。幼少の頃からかわいがってくれた叔父の誘いを断り切れなかった。

「55階建て、日本一の超高層マンション……」。その言葉の重みが肩にのしかかっているようで、大場の足取りは重かった。

竹中工務店の大胆な提案

当時の最寄駅、JR川口駅からは、結局、徒歩で25分もかかってしまった。道中は、炎を吐き出す工場で、汗だくの作業員たちが赤熱した鋳物を扱う姿が目についた。

川口は鋳物産業の街として発展したが、戦後のオイルショックとプラスチック製品の台頭で工場は次々と姿を消しつつあった。1980年代には空いた工場用地を狙ってマンションが建ち、住民が増えるにつれ、東京のベッドタウンとしての様相を濃くしていた。

大京に舞い込んだ1本の電話が、このプロジェクトの始まりだった。日本ピストンリング川口工場の売却情報である。1983年、大京本店事業部の仕入れ担当者を中心に、約1万7000坪(東京ドーム約1.2個分)という広大な工業用地の取引をまとめ上げた。

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