台方第六天神社へ
麻賀多神社・総本社から麻賀多神社・奥宮へ向かうのですが、
途中、Google Map上で見つけました「第六天神社」に寄らせて頂くことにします。
住宅街の細い路地を歩いていくので、
小さい祠のような感じを想定していましたが、
思いのほかご立派な鳥居と社殿があって驚きました。
境内には御由緒等の詳細はありませんでしたが、
鳥居も社殿も比較的新しいものとお見受けしました。
境内には辯財天も祀られていました。
ちょっとした穴場的スポットを見つけた気分です。
"麻賀多神社由緒その昔日本武尊東征の折 この地方の五穀の実りが悪いのを知り里人を集め大木の虚に鏡を掛け その根本に七つの玉を埋めて伊勢神宮に祈願いたしましたところ その後は豊年がつゞきました又三世紀の頃 印旛国造伊都許利命は この御鏡を霊代として祀られる稚日霊命の霊示をうけ 玉を堀り御霊代として 稚産霊命(伊勢外宮の親神)を祀り麻賀真の大神と崇め 八代神津の両郷を神領として奉斎しましたその後推古天皇十六年(608年)新に宮居をこの地に建て 麻賀多の大宮となづけました本地御鎮座以来一千三百六十余年 印旛郡下十八麻賀多の総社として筒粥祭 御田植祭 豊年神楽などの古い儀式が継承され御祭神にゆかりのある古い地名等も現存しています又明治五年に郷社に 昭和十年御神本大杉は 県の天然記念樹に更に近年御本殿は市の文化財に 神域は史跡に撰ばれ産業 開運 長寿 厄除けの守護神として崇められていることはよく知られていますこゝに伊勢神宮御遷宮記念の当社改修を機に本碑を奉献して神徳のいよいよ万民に 光被されんことを祈る次第です"
(宗吾霊堂バス停) |
"天祖神社由来慶長年間(江戸時代初め、四百年ほど前)、諸国で神踊りが流行した時に、牛込の里は、とくに神踊りが盛んであった。この頃、この辺りに長兵衛という、たいへん信仰心の篤い里人がいたが、ある時、神が夢の中に現われ給うて、「我ここに住みて諸人の苦難を救わん」と言われることが、五晩続いた。そこで長兵衛はいよいよ信心を深めて、まるで、そこにおられるかのように神を祀った。それを聞いた大橋龍慶という長者が、天照皇大神宮を勧請して祠を建て、その後、諸難消除祈願、病気平癒祈願、安産祈願、弓術皆中祈願などで、お参りするが人が絶えることなく、霊験あらたかな神社として知られ、原町一丁目の鎮守として、今日も多くの人々に信仰されている。御祭神は天照皇大神、境内には桃の神を祀った桃祖神社がある。平成十四年十一月 原町一丁目町会"