今年の夏で、ワールド・ワイド・ウェブが誕生して20年。(参考:TechCrunch Tokyo記事)
ブログというメディアがアメリカで最初に大きな注目を集めたのは、2002年(参考:過去日記)とのことなので、10年になる。
「ホームページ+メール」にしてもブログにしても、もともと繋がり機能を持っていたのだけど、ここ最近「繋がり」について分析したり意見する人が増えている。うちこもたまに、書いています。それは書きたくなる何かがあるからなんですけれども、今日はそのことについて掘り下げてみます。
サンスクリット語を多用するとややこしくなるので、表現に困ったところは今日は「サーフィン」を喩えに使います。「ネット」の話だからね(笑)。
「繋がりについて意見する人」が増えたことについて、うちこが「これは進歩」と思うのは
「承認欲求」という単語が意見のなかに登場するようになったこと
今まではなんとなく 「アピール」とか「自意識過剰」などのことばで、日常会話のようにやんわりふわふわ語られていたと思う。
「内観しながら議論する」
という人が増えたいま、「精神的デジタル・デバイド第2フェーズ」という波を感じる。
「来たよ! ドーン、乗る!」 という押し上げてくる波ではなくて、自らの浮力も必要とされるような、そんな「楽しむには難易度の高い波」だ。初心者には、浮力がはたらきやすいボードでなければ難しい。
そこは難しい波の海なので、その場を包む言語の透明度のグラデーションも微妙なものだ。
「批判」「叩く」「吐き捨てる」から、「文章化にいたらないままのもの」もある。
波乗り上手でも、この海で波を選ぶのはけっこう難しい。
繋がれは繋がるほど、どうなるか。
思いの言語化に苦しむ人にも押し寄せる、波のような「文字列」が、薬になるか毒になるか。
それすらも、「個人の自我」に委ねられているというのは自然法則なのだけど、いま世の中を見ていて「面白いな」と思うのが、「そのプロセスのなかで行ったり来たりしながら増殖する繋がりを歩んでいる」という景色。
ソーシャル・メディアのなかで起こっている、「現象」という海。
ソーシャル・メディアの普及で、「内観しながら議論する」という場面がテキストでどんどん可視化されている。
そこにTwitterという、ふわりとした風の機能が火を煽る。Facebookという地の体裁が、火の存在の輪郭を少しだけはっきりさせる。
火の人、風の人、地の人、水の人、空の人。
楽しめるかそうでないかを決めるのは、自分の中で起こる感情の取引バランス。
さて。
ここはヨガブログだから、おまけのプチ・ソリューションを添えてきますね。
(ここはサンスクリット単語を使わないと、書くのが難しいわこのニュアンス)
【今日のまとめ】
ヴァータ体質の人は、インターネットの利用頻度に気をつけましょう。
ピッタ体質の人は、読む案件の選定とそのきっかけに注意しましょう。
カパ体質の人は、リアクション発信をしようとしたときのきっかけに目を向けましょう。
インターネット=○○○ と、自分で解釈のルールをつくらないこと。
非・隠遁生活の、俗世ヨギのこころざし。