ライターのカツセマサヒコです。
ここ数年で「育メン」という言葉が流行ったり、待機児童問題が話題になったりしていますが、共働き夫婦って、母数は少なくても昔からいましたよね?
このデータを見ると、共働き世帯が専業世帯を上回ったのは1990年台中盤の話みたいなんですけど、つまり、それより前になると共働きが少数派になる。
「旦那さんの収入だけじゃ食べていけない家庭が増えた」とか、「女性が働きやすい職場が増えた」とか、現代社会ならではの事象が重なったからいま話題になっているのもわかる。でも、昔のほうが女性の社会進出に対しては厳しかったわけだし、今より問題は多かったんじゃないの?
当時の状況を聞くために、実際に共働きしていたご夫婦に取材することにしました。
取材に応じてくださったのは、小川博規(ひろき)さん(左)・美知子さん(右)ご夫婦。博規さんは元小学校の校長先生、美知子さんは元中学校の先生と、教師同士のおふたり。育児を始めたのは今から約40年前。ふたりのお子さんを育てたというベテランご夫婦に、当時のお話を伺いました。
携帯電話がないことで、職場が見守ってくれていた
「40年前の家事や育児で、大変なことってありましたか?」
「家事は、とくに洗濯が大変でした。当時は今と違って、布オムツが主流だったんです。保育園から汚れたオムツをそのまま渡されて、毎晩洗濯しなくちゃいけなかった」
「今は紙オムツが主流だから、そのまま捨てられますもんね」
「家事と育児のバランスでいうと、僕のほうが家と職場の距離が近かったから、保育園の送り迎えは基本的に僕の役目でしたね」
「え! そんなに早く退社できたんですか?」
「今では難しいと思うけど、当時の教師は、17時半には退勤できたんですよ。だから早く帰れるときは僕が迎えに行って、妻が買い物してから帰ってきた気がします」
「そう、今で言う『イクメン』だったよね」
「当時は本当に珍しかったんじゃないですか?」
「そうですね、保育園にお迎えまでしている男性は本当に少なかった」
「でも、そんなにうまくいかないときも多かったですよ(笑)。お互い忙しくて、ヒドいときは夫婦そろってお迎えにいくの忘れちゃって、子ども置いてけぼりにしたじゃない(笑)」
「そうだったっけ?(笑)」
「そうですよ(笑)」
「そうか、当時は携帯電話もないから、お互いに連絡もできないですもんね」
「そう! だからどっちが迎えに行くかはその日の朝に決めるんですけど、たまにお互いが『今日はあっちがお迎えにいくだろう』って勘違いしてて、忘れちゃうの」
「どうなっちゃうんですか......?」
「長女のときだったかな。保育園にひとりポツンと娘が待っていたところを、仲の良い子のお母さんが気にかけて連れて帰ってくれたことがありました」
「地域に助けられていたんですね」
「そうですね」
「当時って、何かあったら職場に直接電話がいくんですか?」
「そうそう。『熱が出た』とか、しょっちゅう電話がかかってきていました」
「ご夫婦で『どっちが迎えにいく!?』とかの話も、お互いの職場に電話をしていたんですか?」
「お互いの職場にかけることは滅多になかったですねえ。大体私あてに電話がきて、そのまま私が迎えに行っていました」
「僕は何が起きてるか知らされないから、いつもどおり帰ってきたら子どもが熱にうなされてることもありましたね」
「緊急のとき、本当に大変だったんじゃないですか?」
「そうねえ。携帯、なかったのかあ......。当時はそれが当たり前だったのに不思議ねえ......」
「大変だったことってありますか?」
「授業が終わって帰ってくると、教頭先生から『小川さん、いま保育園から電話あって、お子さん熱出たみたい』って言われるんですよ。もっと緊急だと、授業中にほかの先生が知らせに来ることもありました」
「でも、それが逆によかったかもしれない。携帯電話がなかったころは、職場の誰かが電話を必ず取り次ぐでしょう? そうすると職場が先に大変な状況を知るから、気遣いがしやすかったと思うんですよ」
「確かに! そうですね!」
「携帯電話に連絡きちゃうと、自分から職場に報告しなきゃいけないけど、それが言いづらい雰囲気のときもあるでしょう? そう考えると、携帯電話がなかったからこそ、職場は送り出しやすかったかもしれないねえ」
「今でもそういう理由から、携帯電話にはかけない保育園があるかもしれませんね」
「職場に連絡がくれば、事情をわかってもらいやすいですからね」
「そういう意味では、孤立感って今のお母さんたちのほうが感じているのかもしれないね」
「なんでも自分で解決しなきゃいけないって思ってしまいそうですよね」
「そういえば昔、職場に電話がかかってきて『いつもすみません』って上司に言ったら、『教師の代わりはたくさんいるけれど、母親の代わりはいないんだからね』って言われて、その言葉に救われたことがありました」
「いい話ですね。2016年でもそんなこと言える人、なかなかいなさそうですよ」
「たとえ言葉だけでもありがたかったですよ、本当に」
ふたりとも無職の状態で育児が始まった
「おふたりとも学校の先生と伺ったんですが、職場内結婚だったんですか?」
「いえ、夫は小学校の教師、私は中学校の教師だったので、同じ職場ではないんです」
「じゃあどこで出会ったんですか?」
「最初はふたりとも新聞社で働いていたんですよ。小さな会社だったんですが、そこで出会ったのがきっかけでした」
「新聞社からおふたりとも教師になるって、異色ですよね?」
「本当にちいさな新聞社だったから、待遇もよくなかったんですよ。仕事をし続けられる雰囲気ではなかったから、転職活動をしたんです」
「どうして教師になられたんですか?」
「私は教員免許を持っていたから。でもこの人は持ってなくて、退職してから通信教育を受けていました」
「当時は小学校の教員採用が2,000名とか、大規模な採用があった時期なんです。だから入りやすかったんですよね」
「今よりも子どもの数も多かったからね。あのころは今ほど就職も難しくなかったんですよ」
「新聞社を退職されたのは、どのタイミングなんですか?」
「長女が誕生するころでしたね。教員免許を取るためには通信教育を受けるのと、あと1カ月だけ大学に通い直す必要があって、それをしなきゃいけないってことで大学生協や近所の酒屋でアルバイトをしながら勉強をしていました」
「当時って20代中盤ぐらいで、お子さんもいる状況ですよね? 無収入って、怖くなかったんですか?」
「うん、のんきだった(笑)」
「まだ私たちの親も若かったし、いざとなったら頼れるかなって考えていたのよ」
「幸いにも、保育園にも似たような環境の人が多かったんだよね。これから必死に働こう!って人が多かった」
髪が長いと怒られる! 当時の保育園事情
「当時の保育園って、今とは違うところがありますか?」
「今でも変わらないところもあるかもしれないけれど、当時通っていた保育園は女の子でもTシャツに半ズボンが当たり前。今みたいにかわいいワンピースを着せようなんて発想はなかったんですよ。髪の毛も長くすると怒られたし」
「規則が厳しかったんですね」
「髪が長いとプールに入れたら乾かすのが大変だし、絡まっちゃうからなんでしょうね。今は『髪長いのダメ!』 なんて言ったら、保護者きっと怒るでしょう? まだそういう保育園もあるかもしれないけれど、減ってきているとしたら、時代の流れなんでしょうね」
「当時の保育園って何人くらい子どもがいたんですか?」
「園によってバラバラだと思うけれど、最初に長女を預けたところは10人くらいの無認可保育園。長女は8月に生まれたんだけど、私は4月1日から教師になることが決まっていたんです。だから急ぎで探していて、そこになりました」
「かなりバタバタだったんじゃないですか?」
「そうそう。決まった保育園も4月15日からしか預けられなくて、1日~15日は静岡の実家に預けました。たまたま母乳じゃなくてミルクで育てていたからできたんですけど、当時は本当にギリギリのスケジュールで、大変だった」
「きっと保育園見つからなくて復帰できないって言ってるお母さんも、このあたりの苦労は尽きないんでしょうね」
「そこからは、子育てが少しでもしやすい環境に行こうと思って、品川区に引っ越したんですよ。当時、役所の人に問い合わせをしたら『品川区がいいよ』って教えてもらえて」
「子育てしやすい場所に引っ越すって今でもやっている人が多いけど、昔からそうだったんですね」
「そうですねえ。でも引っ越したのは夏だから、 認可保育園にはまた入れなくて、無認可保育園からスタートしたんです」
「なかなか認可には入れないんですね......」
「しかも、そこの保育園がぜんぜんお金がなかったんですよ。毎年、園主催のバザーを開いて、保護者がリヤカーを引いて古着を集めてきては売って、そのお金を保育園の運営費にしていたんです。今考えると、すごいですよね(笑)」
「そんな運営の仕方あるんですか(笑)」
「でも、そこに通うお母さんは、すごく仲良くなるんですよ。保育園を潰さないように必死ですし」
「なるほどなあ......」
「でも保育園のときよりも、長女が小学校にあがって学童保育にいくときのほうが大変だったかな。学童が終わって家で一人で待っている時間のほうが、つらかったみたいで」
「保育園を卒業してからも大変って、よく聞きますね......」
「次女は次女で肺炎になってしまって、1カ月間保育園には預けられず、そのときは実家から母に来てもらっていました」
「それしか方法ないですもんねえ......。今も昔も、共働きの苦労は変わらないのかもしれないなあ......」
今の時代だからこそ、救われていること
「今の時代のほうがいいって思うことはありますか?」
「賛否両論だけど、親が保育園や学校にものを言いやすくなったのは、親サイドからしたら、助かることなのかなあ」
「やっぱり昔は、今ほど親の意見が強くなかったんですか?」
「むかしは保育園や学校側の権威が強かったんだよね。『こうしてください!』って言えば、親は逆らえなかった。今は保護者の個々の要求がとても細かく、強くなりましたよね」
「でも、モンスターペアレンツとか言いますけど、実は学校側が直さなきゃいけないことも多いと思うんですよ。個別の要求を言うひとが全員モンスターペアレンツかって言ったらそんなことはなくって、今まで無視されたけど、本当はおかしいんじゃない? っていう問題が顕在化してきただけってことでもあると思うんです」
「生活習慣が多様化した結果、それに適応しようとしているだけかもしれないですね」
「いまの親って、子育てに対する意識が昔より高いよね。お父さんが子ども連れてても自然に思えるし、僕らの世代は子どもなんてちょっとケガしたって大丈夫でしょ、くらいに楽観視していた」
「そうね。あと、当時は『育児はお母さんの仕事』という認識がもっと強かったね。オムツの取り換えとか、吐いちゃったときの掃除とか、汚いことはまったくやらないって旦那さんも多かったし」
「そこは変わってきているだろうねえ」
「おふたりは育児や家事でケンカしたことないんですか?」
「いっぱいあったよねえ?(笑)」
「いえ、私は覚えていません(笑)」
「今だったらわかるけど、当時は相手がイライラしてる理由がわからなかったんですよね。怒ってる理由がわかんないから、『何怒ってるんだ!』ってこっちも怒ったりして」
「昔は『自分はいい夫なんだ』って顔されると腹が立ったんですよ(笑)。周りから『いい旦那さんだね』って言われて、でも実際私のほうがやってるでしょ? 目立つことばっかりやってて! って思って(笑)」
「鈍感で申し訳ないけど、せめて怒ってる理由は教えてほしかったなあ(笑)」
「そうね(笑)。でも、今の男の人のほうが女性の細かなところに気が付くのかもしれないね」
「若い世代の男として、気付けるように頑張ります(笑)」
「ぜひそうしてください(笑)」
まとめ
こうして取材は終わりました。
おふたりはしきりに「公務員だから、まだ恵まれていた」とはお話されていましたが、それでも育児がしやすいように引っ越したり、遠くに住んでいる実家の親に長期で滞在してもらったりと、現代社会の夫婦でもよく聞く悩みや解決策で、どうにか苦境を乗り越えていました。
携 帯電話が普及したり、保育施設のサービスが向上したからといって、子育てや共働きが容易になったわけではありません。都心では以前よりも地域のつながりが 薄れてきているところも少なくないですし、夫婦で協力し合うことは、むしろ以前よりも顕著に求められていると言えそうです。
でもおふたりから感じられたのは、そうした苦難を乗り越えた末、お子さんふたりを無事に巣立たせたことからくる余裕と誇らしげな表情でした。
当時は本当に大変だったはずなのに、昔をなつかしむように和やかに話す小川さんご夫婦を見ていると、夫婦は苦楽をともにしたぶんだけ、絆が強くなることを実感します。
ま だまだ課題が多い日本の育児・教育環境ですが、文句だけを言っても始まらず、家族一丸となって乗り越え方を考えていく必要があります。そしてその先に、い つか「なつかしいね」と小川さんご夫婦のように誇らしげに語ることができれば、それは理想の夫婦のひとつのかたちと言えるのではないでしょうか。
■あわせて読みたい記事